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半端感、雨上がり、極まる

人間という物は信じていた物を失った時にこそ、本質が現れるのではないか。

例えば、愛していた人に裏切られた時、私はどうするか。

いや、別に裏切られた訳ではないし、どうしようか、とかいう話でも無いけれど。

けれど、

少し、話をしたいと思います。



昼下がり、彼は今日もお弁当を食べてくれない。これは、今更感溢れる程私たちの常で、語るべき事でもない。けれども、この上なく大切な物だ。

彼が私のお弁当を食べようとしない理由はただ一つ、私が毒を盛っているという事だ。決して、私から毒について話した事は無い。しかし、彼には分かってしまう。きっと、彼はそういう「ニオイ」が分かるのだ。

彼が何処を見ているのか分からない目で此方を見る。そして、少しうんざりしたような、してないような、溜め息をつく。そうしたら、やはりいつも通り、お弁当を仕舞い、トランプを出す。

彼はトランプが大好きで、否、賭事が大好きで、しかし、どうにも弱い。運は有る、カードの引きも、基本的には良い。けれど、ここぞという時に限って途端に駄目になる。

「ああ、僕の負けだ」

「やったった。わたしの大勝利?」

「その通りだ」

彼は負けると、また少しだけ悔しそうに唇を噛んで、それからとても嬉しそうな顔をする。

きっと、彼は負けた事が嬉しくて堪らないのだ、そんな顔だ。そういった意味では私の負けで、でも私もまた、それが嬉しいのだ。「ねえ、今日も行くん?」

私はその余韻を中途で断つ。

「そうだな、今日は二人だ」

「へー」

私はわざと気のない返事をし、彼から貰った『蜘蛛糸』をポケットの中握り締めた。





中学生の頃、当時の彼は昼休みの度、ずっと手を弄っていて、私はそれがとても気になっていた。

よくよく観察していると、彼が糸のような物を手に絡めているのが分かった。

私は堪えきれず、彼の肩を叩き話し掛けた。

「それ、何なんよ?」

彼は、後ろを振り返らず、ゆっくり、ふう、と溜め息をつくと言った。

「親の、形見なんだ」





夜中、一時過ぎ、彼からのメールが届く。タイトル無し、本文無し。

私は目立たない服に着替え、音を出さないよう扉を閉じる。

「行ってきまーす……」

ボソッと告げると、私は門を抜けた。

夜の街は、真っ暗で、足元も、ぼんやり。音もなく、静かで。朝と同じ場所だとは思えない。

シャッターが降りた商店街を抜け、墓場の隣を抜け、その先に有るのが私たちの学校だ。

「待ったかえ?」

「待ったよ」

彼は校門に寄りかかりながら、不満げな声をあげる。けれど、私は知っているのだ、彼がまるで気に介していない事を。

これが私達の常。

「さあ、行こうか。なるべく早く。これ以上遅いと寝不足になる」 彼は音を立てる事なく、歩き始めた。





橙色の光がぼやける窓。仲睦まじげな家族の影。

私達は息を殺して、外の寒風に晒される。

彼が窓の隙間に例の糸を通すと、まるで糸は生きているかのように揺らめき、反対側の家具に巻きつく。

彼曰わく、風に糸を流し飛ばし、手元の細かい糸で左右側の伸縮を調整し巻き付けているらしい。

一息吐くと、彼はこちらを向いた。

「糸、渡しただろ。お前、出来るか?」

ここが家の外であり、息を殺さなければいけない事を忘れる程、明瞭な常の声だった。

「あ、うん」

私も、また他人に勘づかれる事を気にする事無くいつもの声であった。潜むため、屈んでいたのも忘れ立ち上がり、ポケットから糸を出した。

「家で、何回も練習してたんよ」

「そうか」

私達はいつも通りで、学校の昼休み、教室の中を思った。寒さも無くなっていた。

指で摘んだ糸を、針穴を通すかのように、窓の隙間から糸を通そうとするが、何度か失敗する。

すると、彼が横から手を重ねてくる。途端に私の手は正確に動き、糸を通した。ゆっくりと風に流され進み、家の中に居る、女の子の父親らしき男のボタンに絡みついた。

「おお」

私が声を挙げると、流石に彼も軽く小突いてたしなめた。

そこでようやく手を握り続けていた事に気付いたらしく、彼は慌てて手を離し、そっぽを向いて、わざとらしく腕を組んだ。

彼の様を見ていると、段々こちらも恥ずかしくなってきて、顔を隠そうと手をあげるも、その手に彼の温もりが残っていて、益々顔を赤くするのだった。





一本、一本と、糸は増え、蜘蛛の巣のように、複雑に張り巡らされていた。また、その糸は全て彼の手元に繋がっていた。否、一本だけは私の手に。

家の中を覗くと、母親と父親が娘を囲み絵本を読み聞かせていた。

「さあ、一緒に引くんだ。いっせーのーせっ、だぜ」

「うん」

「いっせーの」「あ」

私が間違えて、腕を引いてしまい。絡み合った糸が父親の首周りを締める。母親は慌てて父親の身体をゆする。

「わ、どうしよ」

慌てる私を、抑えて彼は言う。

「力を抜け」

私が言われた通りに力を抜くと、彼が楽器を弾くように糸を引いた。

瞬間、父親の首に、赤色の筋が走り、それはそのまま、母親の顔にも続いた。ぎい、と彼が引き終わると、ぼとっ、と首は地面に落ち、母親の顔は細切れになった。

娘は噴き出す血飛沫を浴び、何が起きたのか分からず呆然としている。

「うわ、すっご」

私はどうでも良さげに呟き、それを眺める。

彼は冷静に中から糸を巻き取っていく。

「あの子は良いの?」

私が尋ねると、彼は少し憤りを込め答える

「彼女は人間だ。化け物は殺した。充分だ」

背を向けた彼に、私は言う。

「私、コンビニ行ってから帰るね」

「そうか、僕は先に帰ろう」

口は動かしていたものの、私の眼は赤色の女の子を映していた。彼女もまた、赤く濡らした顔を上げ、こちらを見ていた。





それで、彼が何故人を殺すのか、だけれど。

それは彼の話、彼の構造であり、私の言葉では中途半端だ。

しかし、だからこそ、私は彼にの話に対して、私の言葉で中途半端に踏み込もうと、思う。

それが、私達に相応しい。


まず、彼の生い立ちについて。

彼に両親は居ない。私と同じだ。ただ、彼の方が幼い内に失っている。小学生だったらしい。

彼は自分の両親を殺した。

その理由は「人間ではなくなっていた」から。

彼の生はひたすら其処に集約される。

その妄想の根元は不明である。私はそれ以上聞いた事は無い。何故なら私達は何かに対して、正しく割り切った事は無いし、話し合った事も無いのだ。なのに、この重大な告白は私達の間で共有されている。どこまでも中途半端だ、私達は。





次の朝、私が登校すると、彼は大層興奮した様子で私の腕を掴み、連れ出した。

「どうしたん?そんな慌てて」

「ふざけるな」

彼が押し殺した低い声で、今まで聞いた事のない声で(とは言え知っていたのだ、彼がこういう本質であった事は)答えると、私は、ああ、私達の関係も中途半端で無くなるのかな、と妙に冷静になった。

彼は度々、彼の生に関して、このような熱の一端を見せていた。私は彼のその熱を見る度頭が冷めていくのを感じてしまうのだ

私達が中途半端を止めるという事は、殺されるか殺すかに全てが帰着するに違いない、そして、そうなった時、死ぬのは私なのだ、と、其処まで自覚しているにも関わらず、私は依然として落ち着いていた。

彼は屋上に着くと、歩みを止め、問いかける。

「何故、子供を殺した?」

「可哀相だったから」

「可哀相?現実を見せただけだ。あの子供の両親は化け物に成っていた。死んだも同然、物事をあるべき姿へ戻しただけだ」

「あなたの思想なんて私は知らない。私が可哀相、と言った理由はそんな所には無い」

「では、何処にある!」



「人間は、皆死ぬべきだ」



彼は、眼を大きく開き、震えた声を絞り出した。

「今、分かったよ。お前と出会った理由が。お前みたいな、とんでもない人間は、死ぬべきだ」

全く、酷い男だ。全て自己完結している。理由は分かり切っているというのに。

「俺が、殺すべきだ」

彼が言い終わると同時に、私は張り巡らせた糸を引いた。

が、糸は動かない。

「そういう運命だったんだ」

彼の首の内側から張られた糸が、私の糸に絡み動かないよう結ばれていた。

「運命じゃない。全て作為的な物だ」

私は懐からナイフを取り出し彼に向けた。瞬間、指がバラバラに弾け飛んで、血が吹き出る。私は諦めない。指を失った右手をそのまま叩きつける。左足に違和感を感じると同時にバランスを崩し、右手は彼の学生服のボタンを掠めるのみだった。

「運命じゃ、ない、んだ」

私の首を糸が締め上げる。糸は切り裂く事をしなかった。私がやった時のように。

頭の中が白く成り、完全に意識を失うまで、私は彼の為に作った弁当について考えていた。

それは案外長い間だった。





死ぬ間際の走馬灯、もしくは死んだ後の独白。彼ならそのような物語としてこれを読むだろう。

私はそういう時に冷え切るのだ。

運命だとか、ロマンな話なんて無い。全て作為的な物である。そう考えれば、この事象が起こる以前に於いて、自らの死を自覚し、これを書いているなど、といった予想は容易だ。そうじゃないのだけれど。

そもそも、どうして私は中学生の彼を、昼休みの度観察していたのか。

理由は単純明快だ。私はそれ以前から彼を知っていた、だから彼に注視し、彼に接近したのだ。





私の誕生日は、彼と初めて出会った日で、またそれは私の両親が死んだ日でもある。

いや、そういう言い方は良くない。言い直そう。

彼が私のパパとママを殺した日だ。

その誕生日の朝。

私は目覚め、バラバラになったパパと、ズタズタになったママを見つけた。

恐らく、この時まだ彼は人を殺すのが上手ではなかったのだろう。暴れた結果か、本棚は倒れ、花瓶は割れ、一面血塗れ、視るに耐えない物ばかり。

彼はその中、一人血に汚れる事無く、その大きな丸い眼で、私を見ていた。

「見ろ」

彼の、『潔白』な声が響く。

「おまえの親は、化け物だった」 それはまるでお告げのようだった。

「きたない中身だ。これが化け物だ」

私は悲惨な部屋の現状を見て、父親の剥き出しの頭蓋や、母親から漏れ出す黄色い脂肪、眼玉、その他、を見て、思った。

汚い。

「おまえは殺さない、化け物の子どもだが、きみは化け物ではなかった」

彼は一言、言い放つ。

「きみは、救われたんだ」


神様だと、思った。





それから、何年も私は彼を探していた。

復讐の為だったようにも思える。または、別の何かだったかも知れない。けれど、ずっと会いたく会いたくて、それだけは間違いなかった。

彼の居る学校を突き止めて、やっとの事で(といっても養父に頼むと極めて早く叶った)転入した。

それだけしても、話し掛ける事は出来なかった。

声を出そうとする度、緊張した。それで、やっと二人きりに成れる機会があって。

絞り出した声はみっともないに違いないと思っていたし、とんでもなく怪しまれると思っていたけれど、案外自然で(口調は妙だった。だが私はこの後もその口調を正す事はしなかった)私は心の中を待ち望んでいた喜びで満たした。

彼と話す度、死にそうな気分になるまで神経をすり減らしたし、仲良くなっていく事は更なる喜びを私に与えた。

例の糸をもらった時だって、家で何度も練習した。彼に比べれば下手くそだけれど、あんな物、本来なら使いこなせない。

私は全てを費やして彼に尽くした。そして出来ることなら彼を殺してやりたかった。

それは半端な私達の中でさえ、間違いなく愛だった。





そんな事を、白い天井の蜘蛛みたいな形のシミを眺めながら、考えている。

手は動くような、動かないような、どういう訳か、指が付いている。左足はまるで感覚が無い。腱が切られたらしい。

まあ、取り敢えず私は死んでいない。つまり、生きている。

彼は殺さなかったようだ。

本当に糞馬鹿野郎だ。

治って、学校に行けるようになったら、卵焼きとか、タコさんウインナーとか、彼の好きそうな物を作って、素敵な毒を盛ろう。

今は、とにかく、疲れていて、眠い。


白い光、蜘蛛のシミ、朝の。

そして、さようなら。



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