死に場所
まだ、諦めない。
私は大丈夫、のはず。
98点のテスト。英語のテスト、期末。返却されて。
発音記号の間違い。マイナス二点。たった、一問。
手が、落ち着かない。
右へ左へ、指が、貧乏揺すりを、そして、滲む汗。
「ねー、全楽、何点だった?」
慌てて、テストを握りつぶす。
どうやら、レモンの友人が、私の点数を尋ねに来たようだ。
「そっちこそ、何点だった?」
「え?ボク?ボクは、77点。ラッキーセブン!」
平均点は70位だから、悪い点数ではない。
「良かったね」
「おっと、ボクを誤魔化そうとしてる?駄目だよ、全楽もオープンするのが礼儀だよ」
そう言って、彼女が私のテストを見ようとするので、私はテストをビリビリに破いてしまった。
「ああっ」
あー、と彼女は寂しそうに、私のテストだった物を眺めている。
「えっと、その、……ごめんね。そんなにテスト、見られたくなかった?」
「いや、そういう訳じゃなくて、ほら……」
そういう訳じゃないなら、どういう訳なんだろう。
テスト、あのまま私の前に有ったとしても、私は結局破っていただろう。
私は、98点のテストを只の紙切れにした。
散らばった紙切れ、その塵芥。
○か×か、二つに一つ、どちらかでなければならない。
100点でなければ、正解にはならない。中途半端な点数をとるなら、いっそ、0点の方がいい。
勿論、100点なんて、殆ど、とった事は無いけれど。
それでも、完全でなければならない。
そうやって、頭が締め付けられて、痛む。
ガリガリ、ガリガリ、頭の中の虫が蠢く音が聞こえる。
脳が痒い。頭蓋骨を割って、直接掻きむしりたい。
でも、知っている。
こういう時は、目を閉じて眠ればいい。きっと、朝は来る。
何処だろう。
気付けば、知りもしない夜の町、独りで。
何故、こんな場所に来てしまったのだろう。
理由は、不明で。だけど、空で月が嗤っているので、とりあえず、地球である事は間違いない。
と、言えども、それだけでは、到底家に辿り着く事は出来ないだろう。
こういう時、道を歩く人に向かって、「エクスキューズミー」と一言、話し掛ける事が出来れば、状況は大きく変わるだろう。が、しかし、私の豆腐メンタルでは、それすら叶わない。
仕方が無いので、同じく豆腐並みの脳みそをフル活用する事にした。
まず、電話。親に連絡しないと、多分、相当心配しているだろう。
公衆電話、は運良く近くにある。
後は、お金だけ。たが、財布の中を覗いてみたら、万札しか無い。
まぁ、崩せばいいや、と近くのコンビニに立ち寄ろうと、顔を向ける。
すると、どういう訳か、コンビニの前の座り込み族、の一人がこちらに歩いてくる。
「全楽、だよね?」
「え、あ、うん」
「うわ、久しぶり!全然身長伸びてないね、全楽!」
「だ、誰?」
「ほら、小学校の時一緒だった……」
ああ、そう言えばそんな人も居た気がする。昔から友達なんて両手の指で数えられる位しか居なかったのに、なんでうろ覚えなのかしらん。
「ねぇ、一緒にご飯食べない?」
「ん、ああ。行こうかな」
金髪で、チャラチャラしている。こんな知り合い居たら覚えてると、思うけれど。
「……その顔つきからして、やっぱり、あたしの事思い出してないのかな」
ん?どっかで聞いた事がある台詞。……あ。
「……誠?」
「大正解!全楽、散々忘れるって言ってたもんね。本当に忘れるなんて、有言実行かぁ。……全楽らしい」
誠はそう言って、空を見上げた。
都会の空でさ、こんなにも星が見えるなんて。光害なんて、嘘だったんだ。きっと。多分。
ねぇ、お月様。
私はこの街が、大好きだ。
人間の作った不完全な人工物、統一性が無く、それぞれ別の主張を怒鳴り散らす。新しい物が次々に生まれる。
そして破壊。輪廻して、輪廻して、円く。
全く、効率的でない。
この、腐った臭い。死臭だ。
死体を片付けず、放置しているから、夏だし、よく腐る。
不快な、臭い。
心地好い。
胸の奥がぽかぽか、する。
手で肋骨をなぞりながら、思う。
唇に付いたポテトの脂を舐めとる。
私達はもう2人とも食べ終わっているのだけど。どうしてか、2人とも席を立ち上がろうとしない。
誠はガラスの向こうの街を眺めて固まったままで。
「あのさ」
私が口を開くと、誠は顔を横に向けたまま応える。
「なに?」
少し、逡巡した後、言葉を繋ぐ。
「どう……だった?」
「なにが?」
「全体的に、ほら、」
「ん、ま、どうにかなったけど」
「それなら、良かった」
「良くないから」
誠がこちらに顔を向ける。
「あのさ、私からも質問していい?」
「……うん」
誠の目は真っ直ぐ私を見据えている。
「全楽、楽しんでる?」
「……」
誠は私の返答を暫く待っていたが、何も答えないのを見て取ると、質問を続けた。
「全楽の言ってた程、世界って楽しい?」
「もし、そうだとして、それを楽しむのって、凄い難しい事なんじゃない?」
「私は言われた通り生きたよ?」「全楽は?」
誠はまた、私が答えないのを見ると、突然笑った。
「全楽、変わったね」
「え、」
誠は顔を抑え、ため息をつくと、またガラスの外に顔を向けた。
「昔みたいに、くだらない、って言って欲しかった」
私は最後まで口を挟めなかったし、誠の顔が街の光に照らされているせいで、誠が何を考えているかも、まるで分からなかった。
もう、なにもかも。
誠と別れた帰り道、私は空を見上げた。
呆れるほど、星が光っていた。
空はあの頃と比べて随分変わった。
私は変わっていない。
今まで通り楽しんでいるし、楽しもうとしている。それが正しいという考えも変わりない。
でも、多分、その事を今考えている事自体が変わった証拠なのかもしれない。
私は嗤う月を思う。
私はレモンの友を思う。
私は誠を思う。
私は兄を思う。
私はまだ大丈夫。
此処では死ねない。
だから、まだ、大丈夫。