薄幸
夜も深まり、闇がそこら中に立ちこめ始めた、そんな夏の夜。
私は小腹が空いたので、コンビニに出かけた。
街灯ぐらいしか灯りがなくて、幽霊が現れても、なんの不自然もないと思えるような暗闇。
自転車を漕いでいると、なんだろうな、母親の胎内と言えばいいのか、心臓の音色に耳を傾けて、自己の境界もなく、只々生きていた赤子に戻ったみたいで。
そんな、夢心地。泳いでいたのだけれども。
黒色の中、すぅ、と浮き上がる白い影。ああ、これは予想通りの幽霊かな、と思いつつ。私は自転車を止めた。
「すいません、ここらにお寺はありませんでしょうか?」
おんなの、こえ。どうやら、女性の声。と、言うのも、頭の中から直接響くような幽かな声で、どうも、判別がつかないのだ。
私は、片足を地面につけて、しかし自転車から降りずに応えた。
「ええ、恐らくこの先を真っ直ぐ往けば辿り着くのではないですか」
「そう、ですか」
その白色はやけにはっきりと見えるのに、絵の具に水を垂らしたかのように滲む顔。そして、また不思議な事に、泣きぼくろだけはくっきりと見る事が出来る。
「僕からも、一つ尋ねていいですか」「……はい、どうぞ」「あなたは、こんな夜に寺なんぞで何をする気なのですか」
「……それは、」
女は目を泳がせて、手を頬に当て、悩ましげな顔をした。
私はまずい事でも尋ねてしまったかと、頭を掻いた。
「答え難い事ならいいのです。僕は人と話すが苦手で、人の気分を害してしまうのです。僕には気を使わなくて、いいのです」
すると、女はふと微笑み
「いいえ、貴方はぶっきらぼうですが、いい人です。それは、分かります」
そんな事を言われたら、益々、何をすれば良いのか分からなくて。
「それはよかった」
と、ぶっきらぼうに返す他無かった。
しばらくすると、女は不意に口を開いた。
――わたしは、会いに来たのです
刹那、女は消えていた。
きっと、もう何年も前に無くなってしまった寺に着いたに違いない。
ため息を一つ吐くと、私は、また足をペダルを乗せて、自転車を走らせ始めた。