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赤い空、青い雨

響鈴と狂咲

作者: 八代愛

 それは紅葉も散る頃。冬の訪れに寂しさを覚えた頃。

 売られた喧嘩は大人買いして来た。蹴散らしても蹴散らしても向かって来る奴はいなくならない。

 飾り気のなかった携帯に、恥ずかしながら一目惚れしたストラップを付けた。何の花かもわからない花がモチーフ。その碧と和柄が気に入ったんだと思う。

 それに付いてた鈴が皆の気を引いた。

 ——りん……

 小さく鳴く(しろがね)

 血も散る円。

 屍の山。

 溜息はその中心。長い茶色の髪が風に揺られた。

「あーもう……勝てねぇくせに向かって来んなよ」

 その溜息は苛立ちと呆れ。周囲に倒れた一人が苦しそうに呻いた。

「いい気になるなよ……中坊が……。オレらのシマ荒しやがって……」

「ああ? その中坊に大勢で掛かった上にあっさりやられたのはどこのどいつだぁ?」

 吐き捨てて笑い、転がる頭を蹴り飛ばす。意識の飛ばない程度に、強く。

「売られた喧嘩は買ってやる。病院も中々いい所らしいぜぇ?」

 思いきり卑下する台詞。最後に本気で蹴り付け、その男の意識を奪う。

 りん、りん……と鳴る鈴が、やけに楽し気だった。


 鈴の音が響き渡る。

 ()の名は『響鈴(きょうりん)』。鈴ノ瀬中に響く鈴。

 多くがそれに恐怖した。恐怖がないのは、より大きな力を持つ者のみ。


「『響鈴』……ねぇ」

 同地区にある高校——香坂高等学校。

 一際目立つのは一年V組の野郎共。

「鈴ノ瀬中の三年生らしいよ。名前は……『大橋 圭介』。自分から喧嘩売ったりはしてないみたいだけど」

 持っているのは、苺牛乳。紙パック。

「ンなことなんでいちいち俺に言うわけ? 俺は正義の味方なんかじゃないよ?」

 深い溜息は黒髪碧眼の青年。持っているのは、ミルクコーヒー。紙パック。

「響鈴自体が『悪』ってわけじゃないからねぇ……。唯、そろそろマズいかと思って……」

 苺牛乳の少女も溜息を吐く。

 時は昼報課。場所は教壇前。

 青年——笹川 玲の席は窓側から二番目、最前列。少女——桜乃 しのぶの席は廊下側から二番目、最後列。

 教壇に座り玲と向かい合っているしのぶ。怠そうに応対する玲。

 彼らはなにものも恐れない。彼ら自身が恐れられる存在なのだから。彼らが恐れるものがあるとしたら、それは彼ら自身であろう。

「マズいからってなんなの? 俺には関係ないことでしょ?」

「ない……確かにね」

 やる気皆無で深い溜息を吐く玲。含みを持つしのぶの言葉にはまだ気付いていない。

「行動範囲広いよ、この子。周辺地区にも恨み買ってるみたい」

 ズゴゴー、と、間の抜けた音が声に消される。玲のミルクコーヒーがなくなった音だ。

「隣の隣……滝ノ尾? の『蜂』……最近ピリピリしてるよね」

 香坂高等学校は『鈴ノ瀬』地区にある。『滝ノ尾』地区は接してはいないが隣のような近さの地区だ。

「懐かしいグループ名だねぇ……まだ生き残ってたんだ?」

 『蜂』というのは滝ノ尾で最も有名なグループ。かつて鈴ノ瀬まで進攻して来たことがある。それから代替わりはしているだろうが。

「うん、また勢力伸ばしてる」

 そう言うしのぶの表情は、鋭い瞳に強い思惑。

「どうなるだろうね、響鈴は」

 浮かんだ笑みは、ひどく冷たく見えた。

「……なぁ、この後の授業って何だっけ……?」

 紙パックを膨らませて問う玲。笑みのないその表情は、どこか悲し気だった。

「現社と、理科Aだよ」

「そう……」

 理科Aは今、地学分野に入っている。現社と共に、ノートで対策が出来る科目だ。

「ねぇ、しのぶちゃん……出掛けない? こんな晴れてるんだし……?」

 遅刻魔の玲はちゃんと授業に出ている。睡眠学習ではあるが。

 その玲が提案したサボりは、本当に珍しい。それが何のためなのかは、意地でも言わないだろうが。


 狂ったように咲く碧色の花。その色があまりにも鮮やかで。

 皆の気を引いた、鮮やかな(みどり)

 誰もがそれを親しんで。

 誰もがそれを恐れた。

 それも全ては、彼の言行のため。


 パン、と軽い音を立てて風船ガムが割れた。青林檎味のそれは、青い空によく映える。

「割れちゃった……何かあんのかな……」

 ブラブラと適当に歩く少年——大橋 圭介。

 鼻緒が切れるのと同じような解釈をしたのか、不幸を予想する。

 しかしその表情は、恐怖に程遠いもの。それは寧ろ楽しみにしているように見えた。

「喧嘩上等……売られた喧嘩は大人買い、だ」

 軽かった足取りが更に軽くなり、圭介は後ろに意識を向けた。

 声を殺して笑い、笑ったことを悟られないようにとガムを膨らます。

 ——さぁ、どこまで行こうかな。

 空を見上げて、思考を巡らせた。


 青林檎の色をしたガムは、薄く伸ばされてほとんど色を失っていた。

 割れて色を取り戻す。それは不幸の兆しか、幸福の前兆か。


 青い空は、不安も何も抱いていない。おそらく自身の許で何が起こっているかも把握していないだろう。

「どーこ行こーかぁー? 行きたいトコあるー?」

「そうだなぁ……久しぶりに路地裏巡りでもする? 補導回避のためにも」

 今は平日の昼間だ。二人の格好は制服のままである。つまり、余裕で補導の対象になるのだ。

「じゃ、行こっか。魅惑の路地裏ツアー」

 玲が平淡な口調で話す時は、彼がとてもシリアスな気分でいる時。


 張り詰めた神経がキリキリと悲鳴を上げる。

 絶たれてしまいそうな細い糸。手を触れたら切れてしまいそうな細い糸。

 弾ける飛沫は、何方に花咲く。


 空の目が届かないところ。影に支配された空間。

 打撃音がその空間を満たす。

「ンだよ……また雑魚か」

 深い溜息が打撃音に代わる。同時に、指の骨を鳴らす。

「ツマんねー……」

「がッ……」

 頭を掻きつつ、足下に転がる男の腹を蹴る。男の呻き声も気にしない。

「相手見て喧嘩売れよ、何考えてんだ手前ェは! アァ?」

 既に意識のない男の顔面を蹴り飛ばす。無駄な時間を取られたことで、かなり苛立っているらしい。

「くそっ……——……何だよ」

 背後の気配に意識を向ける。視線を向けないことと驚きを見せないことが、プライドの高さを伺わせた。

「ちょっと顔貸せ、ガキ」

 低く唸るようなその声に、ようやく振り返る。


 人物の背後から照らす光の線にも、決して怯まない。

 怯めば負ける。畏れは負けだ。

 一度負ければ次々と仕掛けられる。一度勝てば次々と仕掛けられる。

 踏み入れた時点で、抜けられないのは決まってた。

 それは、まるで。

 無間方処の千本鳥居のように。


 空の目が届かないところ。影に支配された空間。

 深い溜息がその空間を満たす。

「居たみたいだね、ここに」

 溜息を吐いたのは、倒れた屍共の生死確認をする玲の後ろに居たしのぶ。

「死んではねぇなぁ……ま、そのうち起きるだろ」

 着いていた膝の汚れを払いながら立ち上がる。

「ウロウロウロウロと……どこ居んだよコイツは」

 疲れたように頭を掻く玲に、苛付きが垣間見えた。焦りの一種もあるだろう。

「まぁ落ち着きなよ。今探すから……」

 冷静な声で話し掛けたしのぶの眼は、どこにも焦点が合わされていない。

「探すて……?」

「黙ろうか」

 虚無の瞳が空を仰ぐ。張り詰めた糸が高く鳴く。

「ここに居た人で、今ここに居ない人でしょ? そんなの一人しか居ないから、それを探せばいいんでしょ?」

 独り言のように呟かれたそれは、確認と同義。自分の動作の意味を伝えるためのもの。

「得意なの、こういうの。よくやるから」

 そこでようやく理解する。今しのぶがしているのは、追跡術の一種だと。

「……頼りになる相方だねぇ?」

 細められた虚無の瞳が、見開かれた。


 蜘蛛の糸に掛かった蝶々に、逃れる術はない。

 蝶々に出来ることは、唯蜘蛛に怯えること。

 それか、誰かの助けを夢見ること。


 暗い、廃工場。割れた窓から、微かな光が入る。

 集まる人影。中心に蹲る影。

「ンだよ、大したことねーんだなぁ、響鈴ってのも」

 耳につく下品な笑い声。十数人に何度も蹴られて殴られて、ひどい咳が重なる。

「多……過ぎだろ、これ……」

 無言でいるのも悔しくて、憎まれ口を叩く。思った通り逆上して、また激しい私刑が始まる。

「ガハッ……ァ、ア……」

 胃液が逆流して来る。胃に何か入っていたら、間違いなく戻していただろう。

「何も言わねぇなぁ、コイツ」

「命乞いとかしてみろよ、アァ?」

 ——誰が、そんなこと。

 余りに気持ち悪くて、反論すらも出来ない。

 体中が痛んだ。まともに動かない腕は、折れているに違いない。

「どーすっか、コレ」

「ア? その辺捨てときゃいーだろ」

 大分飽きて来たらしい連中が相談し始める。動けないわりには意識がしっかりしていた圭介は、内心悪態を吐きまくる。

「ア、そーだ。鈴、寄越しとけよ」

 一人が圭介の携帯を取り上げる。

 碧の花に付いた銀の鈴。それを花と一緒に、千切り取る。

「じゃあな、響鈴。サヨナラだ」

 鈴が、手から滑り落ちる。

 リン……と鳴く華奢な姿が、ひどく愛しかった。

「何、してるの」

 地に叩き付けられる前に、鈴が鳴いた。

 碧の花を捕らえたのは、碧の瞳。

「久しぶりだなぁ、蜂」

 廃工場に響くその厳しい声が、圭介にはひどく優しい声に聞こえた。

 声に込められた叱責が、圭介に向けられたものでなかったせいだろう。

「何だよ手前ェは! 手前なんて知らねーよ!」

「そらそーだ。手前ェ個人とは面識ねーかんなぁ」

 内容的には笑声であってもおかしくはなかったのだが、それはひどく真面目な声だった。

「う……」

 一瞬見えた碧の瞳をもう一度捕らえようと、圭介は身を(よじ)る。かなり、胸が痛んだ。

「動くな。肋骨もイってんぞ」

「……どーりで……」

 咳をするのも困難な体。生憎、碧の瞳の主は拝めそうにない。

「で、(お宅)とはさー先々代位に関わってるんですよ。そんときゃ俺もまだ青くてねー」

 たった一人で、十数人を圧倒する。気配で、蜂が怯んでいるのがわかった。

「出張ってんじゃねーよ、ってリンチに遭ってさ。俺の一番苦い想い出だよ」

 弄んでいた碧の花を、圭介の方へ投げる。リン、と鳴いた鈴は、圭介の背中に落ちる。

「俺と似てっからさ、こーなるんじゃって思ったよ」

 コキキ、と手首を鳴らす。笑顔のないその表情はまるで、悲しんでいるかのよう。

「悪いね、響鈴。君の想い出に苦いもんが加わっちまった」

 どうやら、圭介に話していたらしい過去の話。これは、一種の懺悔だろうか。

「少し待ってな。すぐ終わらせるから」

 直後聞こえたのは、人を殴る音。

 悲鳴も重なって、一対多数とは思えないものが聞こえていた。

 その喧嘩は本当にすぐ終わって、圭介の目の前に陰が落ちる。

「ひどいねーこれは……。オーイ相方ァ、出て来てくんない?」

 圭介の様子を伺った後、廃工場の出入口の方に呼び掛ける。間を置かずに、返事があった。

「応急処置でいいからさ? 頼むよ?」

「……ホントに応急処置しか出来ないからね?」

 聞こえたのは女の声。

 言葉の終わりから、不思議な感覚が圭介を覆った。

「……え……」

 驚く程急激に体が軽くなる。起き上がるのは厳しそうだが、顔を二人へ向けることは出来そうだ。

「あんたら……は」

 上手く声が出なかった。(かす)れた声で、問う羽目になる。

「喋んな、痛むだろ?」

 不思議な感覚が消える。確かに、痛みは残っている。

「……感謝、する」

 事情がさっぱり飲み込めない部分もあるが、助けられたのは事実だと圭介は思った。故に、素直に礼を言う。

「素直に言えるのはいいことだと思うなぁ」

 返したのは女の方で、当の碧の瞳は困惑の表情を浮かべていた。

「アンタどんなけ言われ慣れてないのよ」

「イヤ、そうじゃなくて? 俺はこんな風に礼は言えねーなー……なんて?」

 困惑はどうやら、感心に近いものだったらしい。変な人だ、と一瞬圭介は思った。

「後でちゃんと病院行きなね」

 折れた腕も、添え木をしてくれた。

「これに懲りたら、もう足洗いな」

 碧の瞳がそう言って立ち上がる。女もそれに続いた。

「待っ……名、は」

 途切れ途切れの呼び掛け。しかし、これがこの時の圭介の精一杯な声だった。

「『狂咲(きょうしょう)』」

 単語が、返る。

 それは、碧の瞳の名。

 返ったのは本当にそれだけで、あっという間に二人の姿は消えた。

 残された圭介は病院に行こうと思いつつ、疲労から来る睡魔に身を委ねようとしていた。

「狂咲……ね」

 小さく、その名を呟いて。


 梅雨の晴れ間、香坂高等部の屋上。絶賛授業中のこの時に、のんびり空を眺める野郎がここに一人。

「何してんだよ、手前ェは」

 その野郎に、声を掛けたのが一人。

「俺は自習中だかんな? 言っとくけど?」

「おおう、ツッ込もうと思ったのにぃ」

 青い空に、碧の瞳はよく映えた。

「……懐かしーっすねぇ、玲さん」

「は?」

 膨らませたガムが、色を失う。自己完結気味な言葉に、玲は怪訝な表情をした。

 それすらも、圭介にとってはひどく格好良く見えた。

「どこまでも付いて行きますよー」

 割れたガムを、再び膨らます。味の有無は、気にしない。

 憧れがすぐ隣にあるだけで、味など簡単にわからなくなるのだから。

 ——自分でも驚く位、惚れ込んじまったよ。

 一人笑うのを、玲が更に訝し気な表情で見ていた。


「あ、でもあそこで放置はひどいんじゃないすかね」

「……ああ、あの時のことか」


END


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