第2話 「ありがとうの行き先」
このまま、淡々と書いてていければ。。。なんて妄想をしています。
夜のコンビニの自動ドアが、静かに開いた。
佐伯悠斗は、肩を落としたまま店内に足を踏み入れる。
蛍光灯の白い光が、彼の疲れた表情を容赦なく照らした。
今日もまた、仕事でミスをした。
上司に叱られ、後輩にも迷惑をかけ、帰り道はずっと自分を責め続けていた。
「……はぁ」
ため息が、胸の奥から勝手に漏れる。
レジで会計を済ませ、店員が袋を差し出した瞬間、
佐伯は反射的に口を開いた。
「……すいません」
言った瞬間、胸がきゅっと痛む。
─まただ……
店を出て、夜風に当たった途端、後悔が押し寄せてくる。
─“ありがとう”って言えばよかったのに。
──なんで俺は、いつもこうなんだろう……
自分でも嫌になるほど、癖になってしまった「すいません」。
親切を受け取るたびに、申し訳なさが先に立ってしまう。
その度に、言い直せなかった自分を責める。
街灯の下で立ち止まり、佐伯は小さく呟いた。
「……ありがとう」
誰に向けたわけでもない。
ただ、自分の中に溜まった気持ちを吐き出すように。
その瞬間、彼の吐いた白い息の中で、
淡い光がふわりと揺れた。
光は小さく震え、形を持ち始める。
羽のようなものが生え、丸い輪郭ができ、
やがて小さな妖精の姿になった。
精霊リンクが、佐伯の「ありがとう」に宿ったのだ。
(……あ。ひかり。ひさしぶり……)
(えへへ……“あり、がと……う”だ……きれい……)
リンクは嬉しそうに、ふわふわと宙を漂う。
そしてすぐに、佐伯の胸の奥に触れるように目を閉じた。
(このひと……ほんとは……“ありがと”って……いいたいのに……
いえない……の? かなしい……)
リンクは小さな手をぎゅっと握りしめる。
(じゃあ……ぼくが……かわりに……
“ありがと”……いっぱい……とどける……!)
幼いまま、しかし全力で、
リンクはちょっとズレた決意を固めた。
翌朝。
佐伯は会社に向かう電車の中で、スマホを取り出した。
─昨日の資料、山本に送っておかないと……
メールを打とうとした瞬間、予測変換の欄にずらりと並んだ文字に目を疑う。
「……全部“ありがとう”?」
ありがとう
ありがとう
ありがとう
ありがとう
どれを押しても「ありがとう」になる。
「なんだこれ……バグか……?」
佐伯は首をかしげながらも、
どこか胸の奥が温かくなるのを感じていた。
その足元で、リンクが小さくガッツポーズをしていた。
(やった……! でた……!
“ありがと”……いっぱい……でた……!)
会社に着くと、後輩の山本里奈が、少し心配そうに声をかけてきた。
「先輩、おはようございます。昨日……大丈夫でしたか?」
佐伯は、いつもの癖で「すいま──」と言いかけて、慌てて飲み込む。
「……お、おはよう」
それだけで精一杯だった。
山本は、そんな佐伯の不器用さを知っている。
そして、その不器用さごと好きだった。
─先輩、今日も頑張ってる……
──私、もっと力になりたいのに……
言葉にできない気持ちが胸に溜まる。
その時、山本の机の上に、ひらりと一枚のメモが落ちてきた。
『ありがとう』
「えっ……?」
山本は思わず顔を上げる。
しかし、誰もメモを置いた様子はない。
─これ……先輩が?
胸が少しだけ熱くなる。
机の下で、リンクが満足げに頷いていた。
(うん……とどいた……!
“ありがと”……ちゃんと……とどいた……!)
──ズレたまま、しかし確実に、
“ありがとう”は二人の間に広がり始めていた。
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昼下がりのオフィス。
コピー機の前で、佐伯は眉をひそめていた。
「……また紙詰まりか?」
エラー表示を確認しようと覗き込んだ瞬間、
液晶画面に、見慣れない文字が浮かんでいた。
『ありがとう』
「……は?」
佐伯は思わず二度見する。
コピー機は、まるで照れたように一瞬だけ光り、
次の瞬間には通常のエラー画面に戻っていた。
「気のせい……だよな」
佐伯は首を振りながらも、
胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
その足元で、リンクが必死に息を切らしていた。
(はぁ……はぁ……でた……!
“ありがと”……でた……!
こぴーき……おもかった……)
リンクはコピー機の内部を押したり引いたりして、
どうにか「ありがとう」を表示させたらしい。
(もっと……もっと……
このひとに……“ありがと”……とどける……!)
リンクはふらふらしながらも、
また次の“ありがとう作戦”に向かって飛んでいった。
夕方。
佐伯は会議室の片付けをしていた。
資料をまとめていると、山本がそっと近づいてくる。
「先輩、今日の会議……お疲れさまでした。
あの……資料、すごく分かりやすかったです」
佐伯は反射的に口を開く。
「すいま──」
言いかけて、ぐっと飲み込む。
─言うな……言うな……!
喉の奥で言葉がつっかえ、胸が苦しくなる。
山本は心配そうに見つめていた。
「先輩……?」
佐伯は、震える声でようやく絞り出した。
「……ありが……とう」
その瞬間、山本の目が大きく見開かれた。
「……っ」
頬がほんのり赤く染まる。
「い、いえ……!
私こそ、いつも助けてもらって……
ありがとうございます……!」
山本は深く頭を下げた。
その声は少し震えていた。
佐伯は驚き、そして胸が熱くなる。
─俺……ちゃんと……言えた……
その足元で、リンクが涙目になっていた。
(でた……!
ほんもの……“ありがと”……でた……!
すごい……すごい……!)
リンクは小さな手で目をこすりながら、
ふわりと宙に浮かび上がる。
(もう……ぼく……おしごと……おわり……
このひと……じぶんで……いえた……
えらい……えらい……)
リンクの体が、ゆっくりと淡い光に溶けていく。
(つぎは……どこに……いこう……
つぎの……“ありがと”……さがす……)
光はふわりと漂い、
夕暮れの会議室の隅へと消えていった。
会議室を出た後、
佐伯と山本は、いつもより少し近い距離で歩いていた。
「先輩、帰り……一緒に晩御飯とかどうですか?」
山本が勇気を振り絞って言うと、
佐伯は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……ああ。うん」
その返事はぎこちなかったが、
どこか嬉しそうでもあった。
二人の影が、夕焼けの廊下に並んで伸びていく。
その上を、
小さな光がひとつ、くるりと回って飛び去った。
(ありがと……って……
やっぱり……あったかい……)
リンクの幼い心の声だけが、
静かに、優しく響いていた。
お読みいただき、ありがとうございました。




