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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第一章 イアル、姫君の護衛騎士になる

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4/7

ある晩夏の午後に

「イアル。お前、今日から姫君の護衛騎士な」

「…はい?」


 つい数刻前のことだ。

 今日の昼下がり、イアルはいきなり騎士団長から直命された。


 しばらくは言われている意味がわからなかった。


(は? なに言ってんだ、この人)


 暑気あたりか?


 西の辺境領の夏は長い。

九月初めはまだ晩夏だ。大半の王国圏地域は短い秋である。

王国ならば暦通りの気候で上着が要るだろうし、公国でも空気が澄んで冷たくなる季節のはずだ。


 しかし、この地では違う。朝晩はともかく日中は残暑が厳しかった。

動けば汗だくになるので誰の袖も短い。なのに、昼から夕方までが長い休憩になる夏時間は、杓子定規にも八月末で終了していた。


(団長もどっかの隊の鍛錬に出てたのかな…)


 イアルの隊は、炎天下で午後の鍛錬の最中だった。

 やっと短い休憩に入り、頭から水をかぶったところで顔馴染の事務方にチョットと手招きされたのだ。


(げ。また日報の不備かよ?) 


 そして軽く腰を上げて連れて来られたのが、ここ騎士団長室である。

いつもの詰所でも事務室でもなかった。しかも室内には騎士団長しかいない。

 どうやら内密で呼び出されたようだ。気付けば事務方はさっさと消えていた。

イアルだけを、所属組織の長とサシなんていう尋常ならざる状態に置き去りにして。無防備に付いて来たイアルは、そのまま回れ右で帰りたくなった。


 

「………」


 ――姫君の。護衛、騎士?


(今日はまた暑かったからなあ…。騎士団長でも、頭が茹ると変なこと口走るのか?)


「今日、たった今からだ。いいな?」


 いや。いいな、も何も。


(いないだろ? そもそも『姫君』なんて)


 一体、この辺境領のどこに姫君が居る?

 西の辺境伯家エルンストには姫君なんぞいない。もう何代も娘は誕生していないのだ。


 そもそもこの大陸最西端の辺境領は、男女比が少々歪な男余りの土地である。

より正確に言うと、いわゆる適齢期層に極端に女性が少ない。お貴族様は別として、領内では平民の男は嫁を貰えればそれだけで甲斐性があると評価されるくらいなのだ。結婚適齢期の女性もだが、ともかく出産可能年齢層の薄さが深刻だった。


 それは、先代辺境伯時代の末期から数年続いた混乱期の所為だと言われている。

この時期に女性人口が激減した。内乱による治安悪化が主な原因なのだそうだ。

もっとも昨今では出生時点ではほぼ男女半々らしいから、もう一世代もすれば解消するのかも知れない。


(けど、領主家は別だよな)


 ただし領主家エルンスト一族に限っては、今も昔も誕生するのは何故か見事に男ばかりだった。イアルの知る限り、ずっと女児は生れていないはずだ。

 実に百年近く、本家はおろか分家も傍流も新生児はみな男、男、男。

書架棟勤務のダミアンがそう言っていた。当家の年代記担当文官から聞いたのだから間違いない。


 遂には当代、辺境伯家館には貴婦人の姿が皆無となっている。


 自家出生の幼女はおろか、他所から縁付いてきた女性達さえ既に一人もいなくなった。現在進行形で姫君と呼んでもいい妙齢の女性は勿論、かつては姫君と呼ばれていた女性達の影すらもとうにない。


「姫君はじきにお着きになる。イアル。お前、すぐ向こうに行って日没までに準備しろ」


 どこだよ? 向こうって。


 咄嗟には回らない頭で、それでもイアルは考える。


 ――姫君と呼ぶからには、貴婦人なんだよな?


 ――お着きになるということは、他所から来るのか。


 外から迎える姫君。

かつて、辺境伯家でそうした存在が一人だけいた。あれを基準に考えると、高貴な相手で――賓客?


(……この人、頭大丈夫か?)


 イアルは二十一歳。生まれも育ちも西の辺境領。バリバリ、ガチガチの辺境領民である。エルンスト辺境伯家騎士団の正騎士だが、王国公国の認定する正式な騎士爵ではなく、あくまで地方軍人としての騎士職なので平民だ。

 ちなみに団長は騎士爵持ち。


 しかもイアルの所属は第四隊だ。

領内随一の人気職種、辺境伯家騎士団にあっていささか微妙な位置付けの部署だった。そこの万年平騎士である。


 若輩、末端、役職なし。身分もなし。平民だからもちろん姓もない。

つまり、とてもお家の大事の客を出迎えに行ける立場にはなかった。


「おい。聞いてるか?」

「…へ?」

「へ、じゃない」


 騎士団長は苦い顔でイアルを窘める。


 ――悪い冗談言うよなあ、騎士団長も。


 おそらくイアルは今日、入団以来初めて騎士団長と一対一で話している。

これまでこんな状況はなかった。一介の平だ。幸か不幸かそんな機会はなかった。

 また必要もなかった。腕はそこそこ立つが、イアルは決して頭が切れる方ではないと自覚している。直々に声掛けされるような手柄など立てた覚えはなかった。

 それにあまり要領はよくなくとも、わざわざ単独で呼び付けられて叱責を受ける程の失態を演じたこともない。


 なのにこのおかしな状況下、前置きもなしに自分は奇妙な指令を出されている。


「寡黙で腕が立つ奴をご所望だったので、俺がお前を推したんだよ」


 騎士団長はイアルの当惑には構わず、先を続けた。


「―はい?」


 イアルは確かに寡黙だ。が、それが序列をすっ飛ばして抜擢される程の長所になるのか。

 とは言え、他に優れていそうな点など思い付かない。

 

 ――マジ? なんで、俺?


 騎士団には腕の立つ奴はザラにいる。

だから今、ここに呼ばれている理由がまるでわからない。何故自分か。まったくからかわれているとしか思えなかった。


(そもそも、誰のご所望だよ…)


「それでお館様が、な」


 お館様…⁈ それはイアルには殺し文句だった。


「是非ともお前に頼みたいと仰せなんだが」

「やりますっ!」


 みなまで聞かず、イアルは即答してしまった。

やる! やるよ、やります。やるさ。なんだってやる。

 


 そしてイアルは、もしかまさかの姫君の護衛騎士を拝命したのだ。




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