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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第三章 訳アリの姫君

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姫と呼ばないで


「では、姫君」


 とっとと帰り掛けたシャールを、おずおずと姫君が引き留めた。


「あの」


 すぐに立ち去りたかったらしいが、シャールも束の間振り返る。


「シャールです」

「では、シャール。それと」


 姫君はゼフィネさんやイアルの方を見た。


「皆にも、聞いておいて欲しいのだけれど」


 はい、どうされました?


「――私、本当は皆から『姫君』なんて呼んでもらえる身分ではないの」


 え? いや、構いませんけど、そんなのは。別にどうでも。


「あまり詳しく事情は話せなくて……ごめんなさい」


 はあ――え、と。はい。


「でも、もう私は貴族の娘ではないのよ。前にあった仮の身分はもう捨ててしまったから、今は平民だわ。私には帰属する家自体がとうにない。それに元から富裕の出でもなかったし。だから、お嬢様と呼ばれるのもそぐわないと思う」


 ――うん。身分は捨てた。実家へも帰れない、と。


 相当……いや、予想以上の訳アリなのですね。ええと。それだけは、よくわかりました。


「お世話になる身で、自分のことを本名すら明かせないのが本当に申し訳ないのだけれど。――ただ嘘を吐くのはもっと申し訳なくて。どうか姫君じゃなくて、他の適当な名前で呼んでもらえないかしら」


 うーん。名前も捨てた、ってことなのかな……?

正直、イアルには呼び名なんてどうでもよかった。それに、身分―身分、そんなに大事かなあ。イアルは首を傾げてしまう。


『身分なんぞ、戦一つで吹けば飛ぶ』


 お館様の口癖である。

どんなに貴い生まれでも、戦いで負けてしまえば意味がなくなる。貴賤によらず、等しく一敗地に塗れてしまうのだ。いかな栄華を極めた王侯貴族も、国が亡べば明日は奴隷の身に堕ちるだけだ。


(そんな移ろいやすい浮世の身分より、才覚と働きの方が大事なんだって、お館様はいつも言ってなさるけどなあ)


 お館様は、押しも押されもせぬ当代西の辺境伯。この地の主である。今でこそ誰も文句なしの当主で、歴代稀に見る英主だと称えられているが、生まれは庶子だ。

 しかもご生母は、西海沿岸の原住部族。いわゆる西海衆のご出身なのである。

大陸最西端の異族の女だからと侮られたのだろうか。お館様という男子を上げたのに側女とは扱われず、従って息子であるお館様の序列もとんでもなく低かった。

辛うじてエルンスト辺境伯家の貴族籍簿末端に載せられていたそうだ。

 席次は年少の異母弟達よりずっと格下、ほぼ最下位。

 認知してやっただけマシと思え。そんな扱いだったらしい。当時は側女や愛妾が複数あり、幾人も息子が居たから、蛮地の蛮族の血が混じる子だと粗末にされたのだ。お館様は、総領からは最も遠い存在だった。


 ――それが今じゃあ、エルンストの『獅子伯』殿だ。


 おまけにお館様は、成人前に母子して辺境伯家を出されている。先代からすれば捨てた息子だ。

 しかしその遺棄児が稀に見る強運で、最後には家督を勝ち取った。そして腕一本で周囲を黙らせ、さらには才覚一つで傾いた家を見事に立て直したのだ。そういうお館様だからこそ、そのなさること、言われることには説得力がある。


(まあウチの辺境領は、何かと特殊らしいけど)


 他所ではこうはいかない。

外に出たことがある者は皆、口を揃えて力説する。


 領主家エルンストでは、人を使うのにさほど身分に重きを置いていない。

最たるものが辺境伯家騎士団だ。非常に珍しいことだが、組織として明確な能力主義の上に成り立っている。序列を決めるのは腕、頭、あとは人望等。間違っても出自ではない。

 昔からそういう気風らしいが、お館様の代になってより実力重視の傾向が加速したのは確かだった。


(だから、俺なんかでも採用されるんだよな……)


 そもそも生まれ育ちを問わない方針だから、イアルのような孤児の平民であっても入団試験を受けられた。そして合格後には騎士見習いとして訓練を受けられ、指導期間の三年で一定の基準を満たせばちゃんと正騎士にもなれた。

 もし氏素性で足切りをされていたら、おそらく現騎士団の半数以上が在籍していない。きっとイアル達が三Eなんて呼ばれることもなかった。


(まあ今はイーサンとエヴァンの二Eだけど)


 お館様の近習だって、大半は存在しなかったはずである。


(おかげで、何かと異端視されて目を付けられてるんだなあ)


 たとえば王国騎士団は、由緒正しい血筋の貴公子達で構成されるそうだ。大公国の近衛も同様らしい。

 神の末裔の高貴な血を守りたいが故の、北の王家の極端な血統主義が背景にある。大昔に王弟に分家して興させた大公家もまた然り。王国公国傘下の貴族達も、程度の差こそあれ倣っているようだ。


 血の正当性を誇り、出自を自負する彼等の目には、西の辺境伯家はさぞ奇異に見えているに違いない。

 現騎士団長も平民出なら、副団長だったラウルも平民、以下各隊長や小隊長、班長も身分家柄によらず腕と才覚だけで地位を得た人間ばかり。こういう西の辺境伯家のやり方は、王国基準からすれば異質、いかにも洗練されない土着豪族の野蛮で無秩序な流儀と取られるようだった。


 当地の騎士団は、良家の若様達でも地力がなければ淘汰されていく集団だ。

縁故採用がないわけではないが、実力がなければ上には行けない仕組みになっている。イアルなんかは国境地域なんだから当たり前だろと思っているが、これは実に稀有なことで、同時に西の辺境領が異端視される理由の一つにもなっている。


 北の王国圏下では、まずありえないことらしかった。


 ――けど。『血は混ぜる方が強くなる』もんなんだろ? 


 いつもお館様が仰ってるじゃん。俺等の辺境騎士団が強いのは、混成集団だからだって。犬も猫も雑種のが丈夫だろうって。

 あの例えは、ちょっと何だかなと思うけど。

 だが、王国圏の高位貴族達から混血だと未だ後ろ指をさされるお館様が言うのだから、間違いない。


『言いたい奴には言わせておけ』


 お館様は何を言われようが意に介さない。

西の辺境領は、経済的にも軍事的にも自立している。王国発の塩は要らない。王家直轄地の大塩湖の雪塩に頼らずとも、西海で産する海の塩を欲しいだけ調達できるからだ。そして領境を越える不埒者は、容赦なく殲滅する。

 この地は半ば独立国のような領で、王国だろうが公国だろうが干渉は受けない。

 従う振りくらいはしてやるさ。だが血統第一の了見の狭いしきたりなんぞ、クソくらえだ。大半の辺境領民はそう思っているはずである。


(だって、ここ辺境だし? 西の辺境領だ。王都や公都じゃない)


 だから、姫君。

正直、俺等的には身分とかどうでもいいんです。ここはそういうトコだから。



「シャール」


 ゼフィネさんが上席者の頃の顔で聞いた。


「お館様は、姫君のことをなんとお呼びになるの?」

「は」


 シャールは恭しく答える。


「アイシャ……様、とお呼びになります」


 ゼフィネさんは目を瞠った。いや、ご存知でしたよね? コレ絶対、知ってた顔でしょう。


「ならば、あなた様は姫君でございます」


 ゼフィネさんが厳然と言い渡した。


「お館様がアイシャ様とお呼びになる方を、私どもが好きにお呼びすることは許されておりません」


 シャールも頷く。


 ――アイシャ……様? アイシャ、アイシャ。


「ねえ、シャール」


 ――あ。


「は」


 ゼフィネさんに念押しされて、恭しい礼で俯いたシャールの顔は、よく見ると唇の端がほんの少しばかり上がっている。ゼフィネさんに至っては、瞳の奥に堪え切れない笑みが溢れていた。


 戸惑っているのは『アイシャ』の愛称の意味を知らない、姫君ひとりだけである。



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