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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第一章 姫君の護衛騎士

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姫君の部屋

 

(とりあえず、仕事しよう―)


 悩んでも仕方ないので、イアルは淡々と二階の点検を続けた。

 屋内での上下移動は階段のみである。他に経路はない。踊り場にも死角はなく、人が潜んでいられそうな余白はなかった。


「部屋数は多くないのよ。―私の部屋は、割愛してもいいのかしら?」

「はい。問題ありません」


 頼めばゼフィネさんは見せてくれるのだろうが、イアルは食い下がらなかった。

 二階の部屋は三つ。ゼフィネさんが使っている居室。客用の部屋。後の一つは小さめの空き部屋。それにやはり納戸程の空間が、こちらの方は地味に物入れになっていた。


「はい。結構です」


 何も不審な箇所はない。決して大きくはないが独居には十分に広い家は、どこもきちんと掃除されていた。誰も人は置いていないはずだから、ゼフィネさんは朝から大変だったに違いない。

 ゼフィネさんにはこのぐらいの家がちょうどよいのだろうか。これ以上の規模だと、一人で維持管理するのは難しい気がする。イアルの部屋なんて、もっとずっと狭いのに、誰にもお見せできないぐらいとっ散らかっている。


 ――しかし、ここは姫君をお迎えできる家なのか?


 ここは不意の客も来る家。急な訪問でも、いつでも一人二人は泊められるよう、しっかり者のゼフィネさんが整美している。ただ、当たり前に普通の家だ。


(…失礼します。お先です。すいません)


 入りしな、イアルは心の中で謝った。姫君にお泊りいただく予定の客用の部屋。姫君のための寝室に、当の姫君よりも先に入る。

 家主のゼフィネさんの居室は、女性の部屋だからと遠慮したのに。

けど妙齢(だよな?)の女性である姫君の部屋の方にはズカズカ入り込んで、無粋にガサ入れ探索しておくって。


(割り切れ、俺。お役目だ。仕方ないんだ)


 それに、事前だし? まだ使用中の部屋じゃない。


「これから毎晩、姫君のご就寝前にはあなたが窓を点検してちょうだいね」

「………」


 ――勘弁してください。


 イアルは姫君が目覚められてからご就寝まで、この母屋で護衛する。

日中はひたすらお傍に張り付き、夜はお休み前に姫君の部屋の窓が閉まっているのを確かめてから、家中の戸締りを再点検。そして、万一に備えて階下で寝る。そういう段取りだそうだ。下の階段脇空間が指定されたイアルの詰所。そこで終夜の待機。そんな建前なのだった。


(俺…平常心でやれるのだろうか?)


 イアルは室内のあちこちを念入りに点検した。ドア周辺、特に窓は念入りに。

 仄かにラベンダーが香った。前庭の方の植込みは、ちょうどこの部屋の下あたりになるらしい。


 ――よし。窓の端まで伸びた枝とかもないな。


 しかし。


(うーん。いいのか、これ)


 ものすごく。普通の部屋だった。


 たぶん町の中級の宿屋がこんなカンジだ。ごく標準の値段の部屋。

 あえて言うなら、町の中流の家で娘に与えそうな部屋――だろうか。

 華美でなく、というかあっさりした簡素な部屋。家具調度は寝台とその脇の低い棚。それと小さい机に椅子が一つきり。衣装箪笥もあったが、中は空だ。人が隠れる程の広さはなかった。


 寝台も寝具も綺麗だし、化粧台も兼ねるらしい棚には手鏡が載っていた。姿見なんて贅沢品はないものの、身支度には困らないだろう。

 机は、花瓶くらいは置けそうな寸法だった。同じく一つきりの抽斗もまだ空で、何も入ってはいない。ここに座り、落ち着いて本を読む。手紙だって書けるはずだ。

 平素は客を泊めるであろうその部屋は、寝て起きるにはじゅうぶんな広さだった。イアルの仮眠室ほど質素ではない。だがそれでも立派とまではいかなかった。あくまで普通、ごくごく普通だ。


 決して、やんごとなき姫君の住まう瀟洒な部屋ではなかった。


(ま、あんまりここに長居はなさらない…ってこと、だよな?)


 仮住まいなら、こんなもの。イアルは無理にも自分を納得させた。


 窓は二重になっている。

 辺境領はどこも比較的気候温暖だが、アル湖周縁は年によっては雪が積む。

 すべては西海沿岸から吹く季節風のご機嫌次第だが、長く湖岸に住むなら家を建てる時点で冬の備えをしておくに限る。その一つが、この二重窓である。この部屋は、どちらの錠もしっかりしていた。

 窓の造りも頑丈だった。これならば、きちんと閉め切りさえすれば安心だ。窓から易々と侵入されることはない。しかも窓自体が小さめで、明かり取りや換気には支障なく、人の出入りにはいかにも不向き。確実に大人では体が抜けない。頃合の大きさだ。しかも湖岸沿いの家屋の常で、窓は台所以外は内開きである。


(ん? なんだ、これ?)


 姫君の部屋は、窓の外側に細いロープが幾重にも渡してあった。それにたくさんの鳴り物が等間隔にぶら下がっている。外から無理に開けようとすれば、一斉に大きな音を立てる仕掛けが施されていた。

 大仰だなと思いつつ、その出来を確かめて軽く驚く。イアルには不穏な違和感が先に立った。


「――刺客が来ることは、まずないと思うわ」


 窓のところに来たゼフィネさんが、怖いことを言う。


「だから私達のお役目は、姫君を知らない誰かの目から隠し通すこと。…それは、いいわね?」


 イアルは頷く。

 もう日暮れ時だった。窓からの遠景には、アル湖と館が黒く浮かんでいる。


「それと私のお役目は、この家で姫君に安心して普通に過ごしていただくこと」


 何だか遠くへ来てしまったな――


 ぼんやりとイアルは思った。

そしてすぐに打ち消す。いや、遠くない。ここはまだ、館と眼と鼻の先じゃないか。


「そしてあなたのお役目は、この家で過ごす姫君をしっかりお守りすること。それに何より、」


 横顔のままゼフィネさんは続けた。


「姫君が何処かへ消えてしまったりしないよう、片時も目を離さないこと」


 え? イアルは瞬時固まる。


 イアルはゼフィネさんの言葉を反芻した。思考が追い付かない。その意味を理解するのに時間がかかった。

 外は誰そ彼時。だから、こんなに自分は注意力散漫なのだ。集中しろ。

刻一刻と陽が沈む。じきに昏くなってしまう。間もなく夜が来る。となれば、姫君のご到着は間近い。陽が沈めば、すぐ姫君がー


(――護衛じゃなく、俺に姫君の見張りをしろ、と?)


 ゼフィネさんの輪郭に翳が差した。

 陽が落ちる寸前、束の間だけイアルに向けたゼフィネさんの顔は無表情で、やはり目だけが光っていた。


(同じだー)


 イアルを送り出した騎士団長の目。得体の知れない、あの底光りと。




『あのな、イアル』


 出発間際、騎士団長は元々低い声をさらに一段落として、イアルに顔を寄せた。


『万一…不測の事態が生じたら、容赦無用だ』


 騎士団長の顔からも表情が消えていた。

常は陽気な性質で軽口も冗談もよく言うこの人は、こういう時が一番怖い。


『誰であれ、構わん。斬れ』


 ――お館様のご命令だ。


 最後の一言は、ほとんど囁きだった。

騎士団長の目は鈍く光り、イアルの剣をじっと見つめた。束の間、イアルとその視線が交差する。

 イアルが剣の手入れを怠ったことはない。


『以上だ。さあ、行け』




 夏の終わりのこの日。イアルの運命は、確かに変わったのだ。





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