未満の記録~年代記担当ダミアンの覚書~
かの黒髪の姫君がいつ西の辺境領に来たのか、生前のエルンスト辺境伯家公式記録には正確な記述がない。
彼女が世を去り、さらに後に獅子伯殿も亡くなってその治世の年代記・第三十五代当主獅子伯編を編纂する段になって、ようやく私、年代記担当文官であるダミアンは、領境の砦番のごく私的な備忘録誌に短い記述を見付けた。
『王国暦1409年晩夏、9月8日
お館様が直々に非公式の客人をお連れになる』
やはり館入りした前年に彼女は当地に来ていたのだ。
その事実や日付が、初めて明らかになった。
さらに砦番は彼女は『妙齢』で『処女』であると書き添えている。
乙女ではなく、あえて処女。
『その処女は黒髪で、お館様はアイシャとお呼びになる』
この箇所が、それがまさしく彼女であることを特定させた。記述は続く。
『迎賓棟に客間をご用意するも、その夜のうちにお館様のご寝所に召された』
『しかし翌々日、秘密裏に何処かへ移られた』
ごく簡潔なのだが、身内にしてみれば少々生々しい。
それ故か、次代の息子達の判断で年代記への記載は見送られた。
どこにも残らない記述になるので、万一を期してこの私、当代西の辺境領文官、エルンスト辺境伯家館書架棟統括責任者、獅子伯殿の文書係兼年代記担当ダミアンがこの覚書に記しておく。
この聡明な黒髪の姫君、アイシャことアイリーシャ様がその後郷里に帰ることはついぞなかった。
彼女はこの西の辺境の地に骨を埋めたのだ。




