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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
18話
95/109

それは、食べるだけのもの

 


 息を殺した。


 杖は構えたまま、動かさない。

 掲げた松明の炎だけが、頼りなく揺らめいている。


 いつでも撃てる。


 そう思いながらも、私はまだ動かなかった。


 視線の先、暗がりの中で、何かが蠢いている。

 いや――蠢くというより、咀嚼している音。


 クッチャ、クッチャ。

 ズズッ、と湿った音。


 何かを食べている。


 それに夢中なのか、こちらへ襲ってくる様子はない。


 オークにしては小さい。

 ゴブリンにしては、人の形をしていない。


 そのどちらでもない何か。


 その時だった。


 服の裾に、かすかな違和感。


 視線を落とすと、エルネが何も言わずに私の服を掴んでいた。

 強くではない。けれど確かに、引き止めるように。


 ……正直、動きづらい。


 少し邪魔に思えた。


 けれど振り払うほどでもない。


 私は一度だけ小さく息を整え、言った。


「エルネさん、剣を抜いて下さい」


 返事を待たず、手に持っていた松明を振りかぶる。


 そして――


 影の傍へ、音のする方へ放り投げた。


 カラン。

 コロン。


 石に当たる音を立てながら、松明が転がる。


 炎が跳ね、揺れ、光が広がる。


 その先にいたものが、照らし出された。


 黒く、湿った体。

 ぬめるように光を反射し、濃淡のあるまだら模様を浮かべている。


 高さは膝ほど。


 四足で、地面に這いつくばるような姿勢。


 頭は平たく、横に大きく裂けた口。


 そして、長い尾の先には――ヒレのような器官。


 見た目だけなら、小さなドラゴン。


 けれど。


 ドラゴンと呼ぶには、どこか頼りない。


 どちらかと言えば、大きなトカゲ。


 しかも、どこか間の抜けた顔をしている。


 そのトカゲは、先ほどエルネが仕留めたスライムを口に咥え、ゆっくりと呑み込んでいた。


 噛み砕くこともなく、ただ丸呑みするように。


 喉が、わずかに膨らんでいく。


 なんだろう、この生き物。


 知らない。


 初めて見る。


 私は、有名な魔物しか知らない。


 オオカミ、クマ、オーク、ゴブリン。

 依頼書に貼り出される名前。


 それ以外は――ほとんど知らない。


 目の前のそれは、どこにも載っていなかった。


 見た目だけなら、危険はなさそうに思える。


「わ……あ、私の倒したスライムが食べられちゃった……」


 エルネが、少し残念そうに呟いた。


 私は視線を外さずに言う。


「あの魔物、知っていますか?」


 問いかけると、エルネは首を横に振った。


「知らないです……」


 分からないまま。


 それでも、私は杖を構えたまま動かない。


 ゆっくりと位置を変え、松明の落ちた側へ回り込む。


 距離を保ちながら、観察する。



 わずかな沈黙。



 しばらくして。


 スライムを飲み終えたトカゲは、こちらを気にする様子もなく、その場でじっとしていた。


 敵意は感じない。


 危険ではない……気がする。


 確証はない。


 それでも。


 気づけば、杖を下ろしていた。


 松明を拾い上げる。


 その判断よりも先に、エルネの声が弾む。


「なんか……よく見るとちょっと、キモかわいい、かも」


 キモかわいい。


 確かに、そう言われればそんな気もする。


 平たい顔。

 離れた目。


 何を考えているのか分からない、間の抜けた表情。



 私は少しだけ、その姿を見つめた。


 エルネは私の前に乗り出して、もう一歩踏み出しそうになる様子だった。


 その時だった。


 トカゲが、のそりと動いた。


 前足を一歩、前へ。


 ぺたり、と小さな音を立てる。


 遅い。


 とても緩慢な動き。


 エルネと並んで、それを見ていた。


 私は松明をエルネに渡す。


 彼女はそれを受け取り、少し離れた距離からトカゲの後を追い始めた。


「あまり近づかないで下さい」


「うん。離れたところで見てる」


 敵意はない。


 ただ――


 食事に夢中で、こちらに関心がないだけかもしれない。


 …魔物にも、色々いる。


 魔物だから危険。

 魔物だから人を襲う。


 そう思っていた。


 けれど、違うみたいで。


 襲ってくるものもいれば、逃げるものもいる。

 そして――


 関心を持たないものもいる。


 私は、思っていたものと違う世界を見ている。


 ふと、足元に目をやる。


 トカゲの這った跡。


 そこを踏むと、ぬかるむように滑った。



 ――これだ。



 エルネが転んだ原因。


 その時。


 エルネの声が響いた。


「あー! 先輩! トカゲさんがスライム食べました!

 あ゛! まって! 素材だけちょうだい!?

 まってまって、だめー!」


 私はすぐに顔を上げた。


 そして、滑らないように慎重に足を運びながら、エルネの元へ駆けた。

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