表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
16話
82/89

必要なことの名前



 罠にかかったホーンラビットを前にして、エルネが静かに言った。



「この子は、逃がしていいですか?」



 その問いは、迷いというより願いに近かった。


 私は一瞬だけ彼女の顔を見る。

 同じ気持ちだった。


 もともと罠の確認と解除が目的だった。

 人知れず捕まって、ただ弱っていく個体が出ないように。


 ミアレのときもそうだった。罠はきちんと解除してから次に進む。

 私たちはそれを真似しているだけだ。


「エルネさん、しっかり抑えてて下さい」


「うん」


 ホーンラビットは小さな体を震わせ、後ろ足をばたつかせる。

 エルネは必死に抱え込むように押さえた。


 絡みついたツタを緩める。

 引っかかった後ろ足を慎重に外す。


 次の瞬間。


 力強い脚が地面を蹴り上げ、エルネの腕を振りほどいた。


「わぁ!」


 尻餅をつくエルネの横を、白い影が駆け抜ける。

 草陰にガサリと音を立て、そのまま森へ消えた。


「行っちゃった。すごい逃げ足」


 私は小さく息を吐く。

 逃げ切った。それでいい。


 周囲に散らばったベリーナッツを拾い集め、一箇所にまとめる。

 安全に食べられるように。


 前と同じ。

 贖罪と感謝。


「薬草も食べるかな」


 エルネが隣でしゃがみ込む。


「食べるかもしれないね。一緒に並べます?」


「うん」


 薬草を一本取り出し、ナッツの横にそっと置く。

 まるで誰かのための供物のように。


「お皿があったら見栄えがよくなるのにね」


 嬉しそうに並べ替えるエルネ。


「食べてくれるかな」


「そう、ですね」


 けれど、ここへ戻ってきて食べることがあったら。

 また罠にかかるかもしれない。


 そんな予感が胸をかすめる。


 ホーンラビットは可愛い。


 エルネの言葉が、静かに沈み込む。


 深く息を吐いた。


「戻りましょう」


 立ち上がる。

 ゴブリンの遺骸が視界の端に入る。


 魔石。


 本来なら剥ぎ取るべきだ。

 けれど今は、その作業をする気になれなかった。


 そこまでしてしまえば、このあと丸焼きにするホーンラビットを、どんな気持ちで口にすればいいのか分からなくなりそうだった。


 考えを振り払うように、頭を軽く振る。


 焚き火の場所へ戻る。


 木々の陰を抜け、開けた場所に出た瞬間、詰めていた息がようやく抜けた。


 集めておいた枝。

 椅子代わりの石。

 倒木。


 その傍らに、ベリーナッツの袋を置く。


 中には布で包んだホーンラビット。


 これを、今から小川で捌く。

 頭を落とし、内臓を取り出す。


 ミアレのやり方。

 それを、そのままやるだけ。


 でも。


 これは。


 これこそ、エルネには見せられない。


 血抜きで、あんな顔をした。

 また何かを言われるかもしれない。


「私、今から近くの小川でホーンラビットを食べられるように捌いてきます」


 布に触れる。

 熱の失われた、ぬるい感触。


 布の一箇所に、赤い点。


 それを両腕に抱える。


「あの、リュシア先輩」


 呼び止められる。


 エルネの視線は、確かに私の腕の中にあるものへ向いている。

 さっきと同じ、物悲しい目。


 けれど、口にした言葉は違った。


「それは、その……冒険者に必要な……ことなんですか?」


 その問いは。


 一度、私自身が自分に向けたものだった。


 魔石を剥ぐ。

 素材を取る。

 食材にする。


 必要なこと。


 喉の奥が少しだけ重い。


「……これは、冒険者に必要なこと、です」


 けれど、言った後に胸が少し重い。目を逸らす。


 食べて生きるため。

 お金のため。

 冒険者であるために。


 エルネは小さく息を吸い、言った。


「私、見ててもいいですか?」


 表情はまだ晴れない。

 けれど目は逸らさない。


 逃げない、と言っているようだった。


「いいよ。一緒に来て」


 平原に風が渡る。

 少し凪いだ空気の中を歩き出す。

 

 水音が近付く。


 布をめくり、生ぬるいホーンラビットを両手で抱え直す。


 その重さを、確かめるように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ