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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
16話
81/88

見えている命、見えていない命



 ゴブリンと視線が合った。


 濁った横長の瞳孔がこちらを射抜く。

 ギャッ、ギィ、と耳障りな唸り声を上げ、三体が一斉にこちらへ動き出した。


 そのとき、ようやくエルネが反応する。


「ゴブリン……?」


 遅い。


 そう思うより先に、私は杖を前に突き出し、魔力を通す。


「エアーブロー」


 風の塊を二発、即射。


 圧縮された空気が弾丸のように放たれ、先頭の二体をまとめて打ち抜いた。

 ギ、と短い声を上げたかと思うと、体が後方へ弾き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられる。もがく暇もなく、四肢が伸びきった。


 残る一体が足を止める。


「ゴブリンまだいたの? あ、先輩、私も、私も戦いたい」


 振り返ると、エルネはようやく状況を理解したようだった。

 さっきまで、きっとホーンラビットしか見えていなかったのだろう。


 柄に手をかけ、ぎこちなく剣を引き抜く。


 刃は少しくすみ、手入れが行き届いているとは言い難い。

 バルクの剣とは違い、切っ先はやや短く、軽い。扱いやすいはずなのに、どこか頼りなく見える。


 状況を確認する。


 二体は沈黙。残る一体は動揺している。


 あのとき入ったダンジョンも同じだった。

 群れの一体を素早く倒すと、残りは様子を窺う。


「エルネさん。ゴブリンは数が減ると動揺します。今がチャンスです」


「はい!」


 返事だけは威勢がいい。


 奥では、ホーンラビットの遺骸を掴んだ別のゴブリンが、何かを叫びながら立ち尽くしている。


 エルネは剣を大振りに構えたまま駆け出した。


 風を切る音。

 次の瞬間、鈍い衝撃音が響く。


 斬る、というより叩き潰すような一撃だった。

 振り下ろされた勢いのまま、ゴブリンは地面に伏し、押し潰される。


 かろうじて切っ先の跡が残っている。


 バルクもロニオも、ほぼ一刀両断だった。

 ジャイアントバットを真っ二つにしたあの光景が、脳裏をよぎる。


 ――武器に振るわれているな。


 試験会場で聞いた言葉。

 

 確かにそうだ。


 今のエルネは、まさにそれだった。


 だが、止める暇はない。


「あ、兎さん……」


 ゴブリンが引きずっていたホーンラビットが、エルネの視界に入る。


 彼女は再び剣を振りかぶった。


「くらえ!!」


 両手で勢いをつけて振り下ろす。


 ギャ、と短い断末魔。

 グチャ、と嫌な音。


 脳天を割る一撃。


 刃は頭の半分ほどまで食い込み、わずかな返り血が飛ぶ。


「うっ、なに、気持ち悪い……」


 力を失ったゴブリンが崩れ落ち、食い込んだ剣に体重が引かれる。


「ゴブリンって気持ち悪い……離れて」


 剣を引き抜こうとすると、潰れた頭部が一緒についてくる。

 

 ゴブリンはただの肉塊になった。


 その拍子に、ぐちゃぐちゃになったホーンラビットの体が地面に転がる。


「エルネさん、ギッタンギッタンに倒せましたね」


 軽く言うと、エルネはぱっと振り返り、嬉しそうに笑った。


「見てました!? ふへへへ、これで私も冒険者の一員!」


 足でゴブリンの遺骸を踏みつけ、剣を抜く。

 だが視線はすぐ逸れた。


 そして、近くに横たわるホーンラビットへ駆け寄る。


「かわいそう……頭が潰れちゃってる……」


 両手で抱きかかえ、こちらを向く。


「先輩、あの……埋めてあげてもいいですか?」


 視線が合う。


 このホーンラビットは、私たちの罠にかかった個体かもしれない。

 だとしたら、奪われたことになる。


 けれど同時に、ゴブリンにとっては食事だったのかもしれない。


 エルネの「かわいそう」は、最初から最後までホーンラビットにだけ向けられていた。

 ゴブリンには、一欠片も向かっていない。


 魔物だから。

 特にゴブリンは、悪い魔物だから。


 きっと、そう。


 私は小さく頷いた。


 エルネは少し離れた場所でナイフを使い、土を掘る。


 土の匂いと手に付く血。

 

 浅い穴だが、小さな体はすっぽり収まった。


 最後に土をかける。


「ごめんね、助けられなくて」


 そう呟くエルネの横顔は、真剣だった。


 その気持ちは分からなくもない。


 私は振り返る。


 ゴブリンの遺骸は、そのまま放置されている。

 誰も埋めない。誰も祈らない。


 エルネは何も言わない。


 森の中、土をかけられた小さな墓と、転がる緑の死体。


 同じ命だったはずのもの。


 私はそれを、ただ黙って見ていた。

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