見えている命、見えていない命
ゴブリンと視線が合った。
濁った横長の瞳孔がこちらを射抜く。
ギャッ、ギィ、と耳障りな唸り声を上げ、三体が一斉にこちらへ動き出した。
そのとき、ようやくエルネが反応する。
「ゴブリン……?」
遅い。
そう思うより先に、私は杖を前に突き出し、魔力を通す。
「エアーブロー」
風の塊を二発、即射。
圧縮された空気が弾丸のように放たれ、先頭の二体をまとめて打ち抜いた。
ギ、と短い声を上げたかと思うと、体が後方へ弾き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられる。もがく暇もなく、四肢が伸びきった。
残る一体が足を止める。
「ゴブリンまだいたの? あ、先輩、私も、私も戦いたい」
振り返ると、エルネはようやく状況を理解したようだった。
さっきまで、きっとホーンラビットしか見えていなかったのだろう。
柄に手をかけ、ぎこちなく剣を引き抜く。
刃は少しくすみ、手入れが行き届いているとは言い難い。
バルクの剣とは違い、切っ先はやや短く、軽い。扱いやすいはずなのに、どこか頼りなく見える。
状況を確認する。
二体は沈黙。残る一体は動揺している。
あのとき入ったダンジョンも同じだった。
群れの一体を素早く倒すと、残りは様子を窺う。
「エルネさん。ゴブリンは数が減ると動揺します。今がチャンスです」
「はい!」
返事だけは威勢がいい。
奥では、ホーンラビットの遺骸を掴んだ別のゴブリンが、何かを叫びながら立ち尽くしている。
エルネは剣を大振りに構えたまま駆け出した。
風を切る音。
次の瞬間、鈍い衝撃音が響く。
斬る、というより叩き潰すような一撃だった。
振り下ろされた勢いのまま、ゴブリンは地面に伏し、押し潰される。
かろうじて切っ先の跡が残っている。
バルクもロニオも、ほぼ一刀両断だった。
ジャイアントバットを真っ二つにしたあの光景が、脳裏をよぎる。
――武器に振るわれているな。
試験会場で聞いた言葉。
確かにそうだ。
今のエルネは、まさにそれだった。
だが、止める暇はない。
「あ、兎さん……」
ゴブリンが引きずっていたホーンラビットが、エルネの視界に入る。
彼女は再び剣を振りかぶった。
「くらえ!!」
両手で勢いをつけて振り下ろす。
ギャ、と短い断末魔。
グチャ、と嫌な音。
脳天を割る一撃。
刃は頭の半分ほどまで食い込み、わずかな返り血が飛ぶ。
「うっ、なに、気持ち悪い……」
力を失ったゴブリンが崩れ落ち、食い込んだ剣に体重が引かれる。
「ゴブリンって気持ち悪い……離れて」
剣を引き抜こうとすると、潰れた頭部が一緒についてくる。
ゴブリンはただの肉塊になった。
その拍子に、ぐちゃぐちゃになったホーンラビットの体が地面に転がる。
「エルネさん、ギッタンギッタンに倒せましたね」
軽く言うと、エルネはぱっと振り返り、嬉しそうに笑った。
「見てました!? ふへへへ、これで私も冒険者の一員!」
足でゴブリンの遺骸を踏みつけ、剣を抜く。
だが視線はすぐ逸れた。
そして、近くに横たわるホーンラビットへ駆け寄る。
「かわいそう……頭が潰れちゃってる……」
両手で抱きかかえ、こちらを向く。
「先輩、あの……埋めてあげてもいいですか?」
視線が合う。
このホーンラビットは、私たちの罠にかかった個体かもしれない。
だとしたら、奪われたことになる。
けれど同時に、ゴブリンにとっては食事だったのかもしれない。
エルネの「かわいそう」は、最初から最後までホーンラビットにだけ向けられていた。
ゴブリンには、一欠片も向かっていない。
魔物だから。
特にゴブリンは、悪い魔物だから。
きっと、そう。
私は小さく頷いた。
エルネは少し離れた場所でナイフを使い、土を掘る。
土の匂いと手に付く血。
浅い穴だが、小さな体はすっぽり収まった。
最後に土をかける。
「ごめんね、助けられなくて」
そう呟くエルネの横顔は、真剣だった。
その気持ちは分からなくもない。
私は振り返る。
ゴブリンの遺骸は、そのまま放置されている。
誰も埋めない。誰も祈らない。
エルネは何も言わない。
森の中、土をかけられた小さな墓と、転がる緑の死体。
同じ命だったはずのもの。
私はそれを、ただ黙って見ていた。




