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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
15話
73/82

初めての後輩

 


 いつもの街道だった。

 もう何度も歩いたはずの、同じ平原の景色。


 背の低い草が一面に広がり、遠くで風に揺れている。空は高く、雲はゆっくりと流れていた。平原から吹き抜けてくる風は、青い草の匂いを含んでいて、胸の奥に溜まっていた重たい空気を少しずつ押し出してくれる。


 大きく息を吸い込むと、気持ちが軽くなった。


 隣を歩くエルネは、私より半歩後ろをついてくる。けれど、決して遅れない。無意識に私の歩幅に合わせているのだと分かる。


 その様子が、どこか懐かしかった。


 ――前の私みたい。


 ミアレの背中を追いかけていた時の、自分と重なる。あのときの私は、ただ前を歩く背中が頼もしくて、置いて行かれないようについていくばかりだった。


 視線を落とす。


 エルネはロングソードの柄の先端を掴むようにして手を置いていた。いつでも抜ける体勢だ。まるで、魔物が現れる瞬間を今か今かと待っているように見える。


 バルクもロニオも、ダンジョンでは常に抜剣していた。肘を軽く掛ける程度のときもあったが、空気が張り詰めれば即座に刃が抜かれた。


 剣の扱いは、正直よく分からない。

 けれど、杖なら違う。


 私は手に持った杖を軽く見下ろした。磨かれた木の感触。魔力の通り道。問題はない。杖は抜く必要がない。常に手の中にあって、思えばすぐに力になる。


「なんか、魔物が出てきたりしないかな?」


 ぽつりと、エルネが言った。

 期待に満ちた声だった。


 今日は収集依頼だ。ベリーナッツと薬草の納品。危険度は低い。

 それなのに、彼女の瞳はきらきらと輝いている。


「じゃあ、討伐依頼にすればよかったんじゃないですか?」


 そう問うと、エルネは少し困ったように眉を寄せた。


「せっかく、冒険者になったから……えーと、手応えというか、実感が欲しいんです! 先輩!」


 その言葉に、胸の奥がちくりとした。


 ――分かる。


 私も、仮証を手にしたとき、真っ先にダンジョンへ駆け出した。危険よりも、冒険者になったという実感が欲しかったのだ。


「人に迷惑を掛ける悪い魔物を倒すのは良いことだけど、今は依頼をやります。そのついでに見かけたら、そのときは倒そうね」


 できるだけ落ち着いた声で言うと、エルネの顔がぱっと明るくなった。


「やった! 私がギッタンギッタンに倒しますから、先輩は手を出さなくて大丈夫です!」


 胸を張る姿が少し可笑しい。

 けれど、その無邪気さが眩しかった。


 前を向き直りながら、私は心の中で別のことを考えていた。


 ベリーナッツの依頼。

 私がこれを選んだ本当の理由。


 ――ホーンラビットの丸焼きが食べたい。


 討伐依頼だと、規定数ぴったりでは足りない。食べる分を確保するには、もう一体余計に仕留めなければならない。目視で追いかけるのは難しい。


 だから、罠を使う。


 ミアレが教えてくれたやり方。

 ベリーナッツとツタ紐で足を絡め取る簡易罠。時間はかかるが、確実だ。


 あのとき歩いた森の道を、記憶を辿るように進む。背後では、エルネの足音が規則正しく続いていた。


 やがて、視界がひらける。


 低い木々に、赤と紫の果実が実っている。陽の光を受けて、宝石のように艶やかだ。


「なにあれ! あれがベリーナッツ?」


「そう、ベリーナッツ。赤色と紫色のものを収穫して、ギルドに納品します」


 ポーチから畳んでいた革袋を取り出す。少し大きめのものだ。


「これ、食べられるよね?」


「はい」


 私は一つ摘み取り、口に運ぶ。


 枝先が小さく揺れ、葉が擦れる音がする。

 穏やかな空の下、風と木の音だけが響く。


 噛み潰すと、果肉が弾けた。

 甘さが広がり、すぐに酸味が追いかけてくる。


 この味を、私は覚えている。


 隣では、エルネが一粒を口に入れ、ぎゅっと目と口を閉じた。


「しゅぱい!」


 その顔があまりにも大げさで、思わず笑いそうになる。けれど次の瞬間には、また一つ摘んで口に運んでいる。


「……好きなんですか?」


「うん。なんかクセになりそう!」


 革袋に果実を入れながら、私は空を見上げた。


 魔物もいない。

 緊張もない。

 ただ、風と甘酸っぱい匂いだけがある。


 こんな時間も、悪くない。


 後輩ができて、私は少しだけ前を歩く側になった。

 まだ頼りないかもしれないけれど、それでも今は、確かに先輩だ。


 枝を揺らしながら、赤と紫の実を摘み続ける。


 依頼のため。

 罠のため。

 そして、丸焼きのため。


 平原の風がまた吹き抜けた。

 その中で、エルネの「しゅぱい」が、もう一度響いた。

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