昨日と同じ扉の前
エルネは軽やかな足取りで石畳を踏みしめ、朝の街に乾いたリズムを刻んでいた。
その背を、私は少し遅れて追う。
朝焼けに染まる街並みは、見慣れたはずなのにどこか遠い。露店はまだ布をかけられ、通りを行き交う人影もまばらだ。冷たい空気が肺に入り、頭をわずかに冴えさせる。
視線でエルネを追っていたが、ふと彼女は道を外れた。
……おかしい。そっちにギルドはない。
胸の奥に小さな違和感が走り、私は駆け足になる。石畳を踏む音が、等間隔に響いた。
追いついた先で、エルネは小さな木の椅子に腰掛け、こちらに手を振っていた。
「リュシア先輩、ほらここ! 冒険者に必要なもの、ここで売ってるんだって。雑貨屋さん!」
人差し指で示された先には、古びた看板を掲げた小さな店。外壁は色あせ、窓も曇っていて、目立たない。魔道具屋と大差ない、地味な店構えだった。
冒険者用の雑貨屋。
ポーション、保存食、罠解除用の道具、ロープ、携帯用ランタン——。
一瞬、胸が小さく高鳴る。冒険者として必要なものが揃っている場所。けれど同時に、現実が頭をもたげる。
私は今、杖のためにお金を貯めている。余計な出費はできない。
店内を覗くと、薄暗く静まり返っている。
「朝早くて営業してないみたい」
エルネは少し残念そうに言った。
「帰りに、また寄ってみる?」
私がそう尋ねると、彼女はすぐに「うん」と頷く。
ギルドにも併設の店はある。でも、私はほとんど立ち寄らない。見れば欲しくなる。今は我慢だ。
「ギルドに行こう」
開かない扉から視線を外し、前を向く。
歩きながら、私は問いかけた。
「ギルドの雑貨屋は?」
エルネは首を振る。
「値段比べたけど、高いもん」
その一言で、なんとなく分かる。彼女はただ明るいだけじゃない。ちゃんと見て、考えている。
ギルドが近づくにつれ、胸の奥が重くなる。
見慣れた道なのに、足取りが鈍る。昨日、逃げるように駆けた道。その石畳が、今日は妙に硬い。
息をゆっくり吐く。
足取りが鈍る。
歩幅が狭くなる。
息が浅い。
「ねぇ、ほら、ギルドだよ!」
エルネは一人で駆け出し、扉を押しのけて中へ入っていった。
私は取り残されたように立ち尽くす。
昨日、逃げた場所。
一体、何が怖い?
ミアレに会うのが?
それとも、Eランクの自分をまた思い知らされるのが?
——認められなかった自分を見るのが、怖いのか。
その考えに触れた瞬間、胸がひりつく。
そのとき、ギィ、と音を立てて扉が開き、二人の男が出てきた。驚いた拍子に身体が硬直する。
ぶつかってもいないのに、足の力が抜けた。
視界が揺れ、尻もちをつく。
「わりぃ、ぶつかったか?」
差し出された手を取る。
「すみません」
男たちは笑いながら去っていく。
「ぶつかった感覚すらねぇのお前おかしいだろ? ははは」
——誰も、私を見ていない。
怖がっているのは、私だけだ。
その背中を見送り、私は扉に向き直った。
息が止まる。
周囲の音が、遠のく。
視界にあるのは、ただその扉だけ。
手を伸ばす。
重く感じる取っ手を押し、ゆっくりと中へ踏み込む。
変わらない光景。
受付のお姉さん。掲示板の前に立つ冒険者。汗と酒の混ざった匂い。
ミアレはいない。
当然だ。家の用事があると言っていた。
そこでようやく、肺に溜め込んでいた息を吐き出した。
肩の力が抜ける。
気を張っていたのが、馬鹿みたいだ。
視線を巡らせると、エルネが掲示板の前で真剣な顔をして依頼を眺めている。
きっと、どれがいいのか分からないのだ。
私はその隣に立つ。
「ねぇ、先輩、簡単なやつからしましょ」
掲示板には、見慣れた依頼が並んでいた。
ホーンラビットの討伐。
薬草採取。
ベリーナッツの収集。
変わらない、Eランクの並び。
私はベリーナッツの依頼札を手に取る。森の浅い場所で採れる、安全な依頼。
それを見て、エルネも薬草採取を選ぶ。
「これにする〜」
依頼書を掲げ、内容を確認しながら、少し唇を尖らせる。
「ん〜……ねぇ、全部、報酬少ないね」
「Eランクの依頼だから、仕方ないよ」
自分で言いながら、胸が少しだけ痛む。
けれど——昨日ほどではない。
私は依頼書を握り直す。
隣に、エルネがいる。
まだ不安は消えない。Eランクのまま。評価も変わらない。
でも、足は止まっていない。
受付へ向かう。
一歩一歩。
昨日は逃げた場所へ、今日は歩いて行く。
それだけで、今は十分だった。




