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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
14話
71/80

昨日と同じ扉の前

 


 エルネは軽やかな足取りで石畳を踏みしめ、朝の街に乾いたリズムを刻んでいた。


 その背を、私は少し遅れて追う。


 朝焼けに染まる街並みは、見慣れたはずなのにどこか遠い。露店はまだ布をかけられ、通りを行き交う人影もまばらだ。冷たい空気が肺に入り、頭をわずかに冴えさせる。


 視線でエルネを追っていたが、ふと彼女は道を外れた。


 ……おかしい。そっちにギルドはない。


 胸の奥に小さな違和感が走り、私は駆け足になる。石畳を踏む音が、等間隔に響いた。


 追いついた先で、エルネは小さな木の椅子に腰掛け、こちらに手を振っていた。


「リュシア先輩、ほらここ! 冒険者に必要なもの、ここで売ってるんだって。雑貨屋さん!」


 人差し指で示された先には、古びた看板を掲げた小さな店。外壁は色あせ、窓も曇っていて、目立たない。魔道具屋と大差ない、地味な店構えだった。


 冒険者用の雑貨屋。


 ポーション、保存食、罠解除用の道具、ロープ、携帯用ランタン——。


 一瞬、胸が小さく高鳴る。冒険者として必要なものが揃っている場所。けれど同時に、現実が頭をもたげる。


 私は今、杖のためにお金を貯めている。余計な出費はできない。


 店内を覗くと、薄暗く静まり返っている。


「朝早くて営業してないみたい」


 エルネは少し残念そうに言った。


「帰りに、また寄ってみる?」


 私がそう尋ねると、彼女はすぐに「うん」と頷く。


 ギルドにも併設の店はある。でも、私はほとんど立ち寄らない。見れば欲しくなる。今は我慢だ。


「ギルドに行こう」


 開かない扉から視線を外し、前を向く。


 歩きながら、私は問いかけた。


「ギルドの雑貨屋は?」


 エルネは首を振る。


「値段比べたけど、高いもん」


 その一言で、なんとなく分かる。彼女はただ明るいだけじゃない。ちゃんと見て、考えている。


 ギルドが近づくにつれ、胸の奥が重くなる。


 見慣れた道なのに、足取りが鈍る。昨日、逃げるように駆けた道。その石畳が、今日は妙に硬い。


 息をゆっくり吐く。


 足取りが鈍る。


 歩幅が狭くなる。


 息が浅い。



「ねぇ、ほら、ギルドだよ!」


 エルネは一人で駆け出し、扉を押しのけて中へ入っていった。


 私は取り残されたように立ち尽くす。


 昨日、逃げた場所。


 一体、何が怖い?


 ミアレに会うのが?


 それとも、Eランクの自分をまた思い知らされるのが?


 ——認められなかった自分を見るのが、怖いのか。


 その考えに触れた瞬間、胸がひりつく。



 そのとき、ギィ、と音を立てて扉が開き、二人の男が出てきた。驚いた拍子に身体が硬直する。


 ぶつかってもいないのに、足の力が抜けた。


 視界が揺れ、尻もちをつく。


「わりぃ、ぶつかったか?」


 差し出された手を取る。


「すみません」


 男たちは笑いながら去っていく。


「ぶつかった感覚すらねぇのお前おかしいだろ? ははは」


 ——誰も、私を見ていない。


 怖がっているのは、私だけだ。


 その背中を見送り、私は扉に向き直った。


 息が止まる。


 周囲の音が、遠のく。


 視界にあるのは、ただその扉だけ。


 手を伸ばす。


 重く感じる取っ手を押し、ゆっくりと中へ踏み込む。


 変わらない光景。


 受付のお姉さん。掲示板の前に立つ冒険者。汗と酒の混ざった匂い。


 ミアレはいない。


 当然だ。家の用事があると言っていた。


 そこでようやく、肺に溜め込んでいた息を吐き出した。


 肩の力が抜ける。


 気を張っていたのが、馬鹿みたいだ。


 視線を巡らせると、エルネが掲示板の前で真剣な顔をして依頼を眺めている。


 きっと、どれがいいのか分からないのだ。


 私はその隣に立つ。


「ねぇ、先輩、簡単なやつからしましょ」


 掲示板には、見慣れた依頼が並んでいた。


 ホーンラビットの討伐。

 薬草採取。

 ベリーナッツの収集。


 変わらない、Eランクの並び。


 私はベリーナッツの依頼札を手に取る。森の浅い場所で採れる、安全な依頼。


 それを見て、エルネも薬草採取を選ぶ。


「これにする〜」


 依頼書を掲げ、内容を確認しながら、少し唇を尖らせる。


「ん〜……ねぇ、全部、報酬少ないね」


「Eランクの依頼だから、仕方ないよ」


 自分で言いながら、胸が少しだけ痛む。


 けれど——昨日ほどではない。


 私は依頼書を握り直す。


 隣に、エルネがいる。


 まだ不安は消えない。Eランクのまま。評価も変わらない。


 でも、足は止まっていない。


 受付へ向かう。


 一歩一歩。


 昨日は逃げた場所へ、今日は歩いて行く。


 それだけで、今は十分だった。


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