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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
14話
69/80

揺れる心



次の朝は、あっという間にやってきた。


 眠ったのかどうかもわからない。ただ、目を閉じていた時間が終わり、薄い光がカーテンの隙間から差し込んでいる。それだけで「朝」だと告げられる。


 依頼に行く気分ではなかった。


 ずっとこうしていたい。

 動きたくない。

 世界が私を置いて進むなら、せめてこの部屋の中だけは止まっていてほしい。


 枕に顔を押しつけると、かすかに自分の髪の匂いがした。昨日よりも濃い。寝返りを打つたびに、香りが布に移っていったのだろう。


 目を閉じたまま、布団の上で横になる。


 落ち着く気配はない。

 むしろ、静かだからこそ、余計に考えてしまう。


 ——どうして。


 その一言が、頭の中を巡る。


 兄様なら、どう答えるの。


 強い背中。迷いのない言葉。

 きっと「次に活かせばいい」とか、「必要なものが足りなかっただけだ」とか、そういうふうに整理してくれるのだろう。


 姉様は違う。

 小さい頃に、

「魔法さえあればそれでいい」


 そう言っていた。


 魔法があればいい。

 悪い魔物を倒せる力があれば。


 私は、その通りだと思っていた。


 筆記試験の問題を思い浮かべる。

 パーティーと魔物の対峙したとき、対処法。

 ちゃんと答えた。迷いもなかった。


 そのあと、ミアレがぽつりとこぼした言葉。


「難しかった」


 あの時の彼女の顔。

 少しだけ眉を寄せて、それでもどこか納得しているような横顔。


 私は難しいなんて思わなかった。


 モンスターを倒して、気をつけることを書くだけ。

 ちゃんと問題の答えも出していた。


 それなのに。


 結果は、Eランクのまま。


 布団の中で、指先をぎゅっと握る。


 きっと、誰も私のことをわかってくれない。


 そんな考えが、胸の奥に沈む。


 強いのに。

 魔物を倒せるのに。

 なのに、どうして評価されないのか。


 ただ——泣かなかった。


 泣いてしまったら、本当に自分に負けた気がする。


 悔しいと認めることが、弱さを認めることのようで。


 それだけは、したくなかった。


 音のない部屋。

 まぶたの裏は暗く、考えごとだけが渦を巻く。


 シーツだけが、私を優しく包んでいる。


 その静寂を、乱暴に叩き割る音が響いた。


 ドンッ。


 心臓が跳ねる。


 体が反射的に起き上がる。視線は扉へ。


 誰だろう。


 宿のおばさんは、あんな叩き方をしない。もっと遠慮がちで、二回ほど控えめにノックする。


 じゃあ、ミアレ?


 姉様?


 わからない。


 でも、もしミアレだったら。


 顔を合わせる勇気がない。


 あの優しい目で見られたら、余計に惨めになる気がする。


 それなのに、半分は——


 そうであってほしい、と思っている自分もいる。


 矛盾に気づいて、視線を落とす。


 ベッドの縁に座り、そっと床に足をつける。

 体重を乗せると、床板がわずかに軋んだ。


 ドンッ。


 また一つ。


 そして間を置かず、両手で叩くような連打。


 バン、バン、バンッ。


 流石に煩い。


 眉をひそめながら、忍び足で扉へ近づく。

 杖は持たない。ただ、息を殺す。


 扉の前に立ち、ノブを握る手が震える。

 

 深呼吸を一つ。


 ゆっくりと、ギィ、と音を立てて扉を開けた。


 そこに立っていたのは、知らない少女だった。


 くすんだ金髪。少し跳ねた前髪。

 くたびれた袖の服に、レザーの胸当て。

 首から下げた真新しい冒険者証が、朝の光を受けて小さく光る。


 年は、私とそう変わらない。


 でも、その目は。


「出てきた」


 真っ直ぐだった。


 まるで迷いを知らないみたいに、私を見ている。


 その瞳に映る自分の顔は、きっとひどい顔をしているのだろう。


「ねぇ、おばさんから聞いたけど、あなた冒険者なんでしょ!」


 明るい声。


 間髪入れず、続ける。


「一緒に行こうよ!」


 ——一緒に?


 思考が一瞬止まる。


 部屋の前に立って、いきなりそんなことを言うなんて。


 戸惑いと、苛立ちと、ほんの少しの驚き。


 彼女は私の事情を知らない。

 Eランクのままだということも、昨日の試験のことも。


 それなのに。


 まるで私が当然、外へ出る前提で話している。


 胸の奥が、わずかに揺れた。


 動きたくないと思っていたはずなのに。


 布団の中で、世界から隠れていたかったはずなのに。


 目の前の少女の真っ直ぐな瞳が、それを許さない。


 私は、何かを言おうとして、口を開く。


 声が出るまで、ほんの少し時間がかかった。


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