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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
13話
66/83

砂煙の向こうで

 

 屈伸座りのまま、壁にもたれかかった。


 石壁のひんやりとした感触が背中越しに伝わる。杖は倒れないように壁へ立て掛け、杖の柄を指でなぞりながら、ぼんやりと広場を眺めていた。



 胸の奥が、妙に静かだった。

 悔しいはずなのに、怒りもない。ただ、冷めきった水のように感情が沈んでいる。



 目の前の試験の熱気とは裏腹に、自分だけがどこか外側にいるような感覚だった。



 広場の中央では、木剣がぶつかる乾いた音が規則的に響いている。掛け声と足音。踏みしめられた地面から舞い上がる砂煙が風に乗ってこちらまで流れてきて、わずかに鼻をくすぐった。



 少しの間、何も考えたくなかった。

 考えれば考えるほど、余計なことまで思い出してしまいそうで。



 ただ、試験を受けている人たちを、何も言わずに眺めていた。



「おい、見てみろよ。あいつ、試験官に弄ばれてんぞ。可哀想にな。前の時は流してたのによ」


 バルクがひとりごとのように笑う。


 視線を向けると、確かにそうだった。


 受験者が木剣を振るたびに、試験官は身体の隙へと軽く木剣を当てる。トン、と置くような。強く打つわけでもない。ただ、触れる寸前で止める。


 圧倒的な実力差。



 受験者は必死に大きく振りかぶり、勢いよく斬り込む。


 真っ直ぐで、力任せで、迷いのない初動。けれどその刃は、空を斬るばかりで、撃ち合いにすらなっていない。



「武器に振るわれているな」


 ロニオが静かに言う。


「重心が武器に寄りすぎてる」



 二人の言葉は、私にはうまく理解できなかった。


 一見すると、受験者の方が攻めているように見える。追い込んでいるようにも見える。けれど、結果は違う。試験官の身体には一撃も入らない。逆に木剣がぴたりと身体へ触れて止まる場面ばかりが増えていく。



 ただ、見ているだけでも分かることがある。

 試験官は余裕を崩さない。受験者の動きは荒い。


 また木剣が、ぴたりと身体に触れて止まった


 ――あれでは、なれない。


 …そう思った。

 ただそれだけ。理由なんて、きっといらない。


 剣の扱いなんて分からない。でも、二人が「動きが悪い」と言うのなら、きっとそうなのだろう。私には見えない何かが、彼らには見えている。



「バルクさん、ロニオさん。あの、一ついいですか?」


 声を上げたのはミアレだった。私は顔を上げ、彼女を見る。

 ミアレの視線は二人に向いている。


「見守るにしても、他の冒険者の方々もいて……多くないですか?」



 言われて、周囲を見渡した。


 

 剣、杖、槍、弓。様々な武器を携えた冒険者たちが、広場の縁に点々と立ち、中央を見つめている。




 ――そこで、ハッとした。


 視線を逸らす。


 今さら、気づいた。


 登録を終えたあと、顔も知らない人からパーティーに誘われたこと。

 私のことを知っているように話しかけられたこと。


 どうしてだろうと思っていた。


 でも、違う。


 あのとき、私は気づいていなかっただけだ。


 あのとき、私は丸太の打ち込み台を魔法で破壊した。


 自分の力を証明するために、ただ全力を叩き込んだ。

 この広場で、こんなふうに、みんなが見ていたのだ。


 私は傍観者の存在に、気づいていなかった。


 ずっと、前しか見ていなかったから。



「ここのギルドだけ暗黙の了解みたいな恒例行事だよ」


 バルクが肩をすくめる。


「別に守る必要も、ここに来てまで見る必要もないんだけどな。まぁ、新しく入るやつの実力をみるって言うのは本当だ」


 一呼吸置いて、中央の受験者を眺めたまま続けた。


「俺たちは癒し手が来ねぇか、ずっと待ってんだよ」


 癒し手。


 その言葉に、思わず反応する。


 癒し手の氏族。回復魔法に秀でた魔法使いたち。

 私は風の氏族。火、水、土、そして癒し。いくつもの系譜があると聞いてきた。


「それじゃあ、みなさんは癒し手の人を心待ちにしているんですね」


「ああ……」


 バルクが短く返す。


「ポーション代もアンチドーテも、馬鹿にならんからな」


 ロニオの視線が、バルクへ向く。


「へぇへぇ、わかってますよ」


 どこか拗ねたような声に、ミアレがくすりと笑った。


 他愛ない会話。

 そのやり取りを眺めながら、静かに息を吐いた。


 癒し手を待つ。

 誰かが来るのを待つ。


 それは、自分が足りない何かを補う存在を待つということだ。


 私は――待たれている側ではない。



 風の魔法は速さや補助には向いている。でも、傷を癒すことはできない。

 誰かの失血を止めることも、毒を抜くこともできない。


 それでも私は、前に出るしかない。


 胸の奥に、冷たい感覚が戻る。


 弱い。

 さっき受験者を見て思った言葉が、自分へ向けて返ってくる。



 試験官に弄ばれていたあの人と、私はどこが違うのだろう。


 圧倒的な差。

 あの木剣が触れた瞬間の、どうしようもなさ。


 あの時のゴブリンの影を思い出す。


 杖を掴む。


 広場では、また木剣の音が鳴る。

 誰かのため息と、誰かの歓声が混ざる。


 私は杖を両手に抱え、その光景を見つめた。



 風は、いつも前へ吹くものだ。


 私は顔を上げる。


 何も考えたくないと思っていたはずなのに、胸の奥で、かすかに風が動き始めていた。


 冷めきっていたはずの感情が、わずかに揺れる。


 試験を受ける人たちの姿を、もう一度見る。


 弱い、と切り捨てたその言葉が、少しだけ重くなっていた。

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