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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
12話
61/80

強さと、運と、言わないこと

 



 ミアレの言葉に、私は小さく胸を張った。

 自分でも気づかないほど自然に、肩がわずかに持ち上がる。高揚と、誇らしさ。



 私が強いという事実。

 誰かがその強さを理解してくれているという確かな感覚。

 それは、思っていたよりもずっと心地よかった。



 鼻息が少し荒くなる。

 握った杖に、無意識に力がこもっていた。木の軋む感触が掌に伝わる。



「なぁ、お前ら、ある程度の依頼をこなしてるんだったら、昇格試験を受けたらどうだ?」



 不意に、バルクが口を開いた。

 彼は椅子の背にもたれたまま、気楽そうに顎でカウンターの方を指す。




「次の登録試験と同日だったはずだ。内容も難しいこともないしな。まぁ、無事にDランクになったらよ。次も一緒に行こうぜ」



 軽い調子の言葉だった。けれど、その中に「次」が当然のように含まれていることに、私はわずかにくすぐったさを覚える。



「Eランク自体、冒険者のお触り期間みたいなもんだ」



 バルクは笑いながら続ける。



「面倒くさくて手間のかかる雑魚の魔物ばかりだったろ? で、そこで死ぬやつは死ぬし、死にかけてそこでやめるやつはそこで辞める。それでもなお、残ってるやつだけは次に行く。それがEランクだ」



 言葉は乱暴なのに、不思議と否定する気にはならなかった。

 事実なのだろう、とどこかで理解している自分がいる。


 彼は向き直り、親指を自分に突き立てた。



「かくいう、俺もEランクの時に死にかけてガルドのおやっさんに助けられたからな」



 ハハッ、と軽く笑う。

 その笑い声は、過去を自嘲するものでも、誇るものでもなく、ただ「そういうこともあった」と言っているだけの音だった。


 Dランクのおじさん。ガルド。



 私は視線をギルドの中へ泳がせる。



 昼下がりの空気はぬるく、酒の匂いと木の床の湿り気が混ざっている。

 誰かの笑い声、コップの触れ合う音。


 けれど、彼の姿は見当たらない。代わりに、ロニオが視界に入り、こちらに気づいて軽く手を挙げた。私は同じように返す。



「それでよ、礼と詫びにポーション渡そうとしたんだ。回復薬。命が助かるもんだろ? なのに断られた」


 バルクの声が少しだけ低くなる。


 ポーション。

 冒険者にとって必要なもの。

 怪我をしたとき、いざというとき、体勢を立て直すための手段。

 それで命が助かることだってある。


 私とミアレは自然と口を閉じ、続きを促すように彼の話に耳を傾けていた。


「それが必要なのは今のお前だ、ってな。返されたんだよ。ついでにこうも言われた。死にに行くやつは顔を見りゃわかる、だとよ」


 バルクは肩をすくめる。


「何も受け取らねぇから、考えた末に酒を奢ったら飲むわ飲むわ。で、後になって笑ったわ」


 楽しそうだった。

 本当に、ただの思い出として語っている。




 ふと、私の中にぼんやりとした記憶が浮かぶ。

 あのおじさんに助けられたこと。

 はっきりとは思い出せない。ただ、声だけが残っている。



 ――今日は運が良いな。




 ふいに、記憶が浮かぶ。

 あの時の声。

 大きくもなく、優しくもなく、ただ事実を置くような声音。




 腑に落ちない。

 胸の奥で、小さな石が転がる。


 バルクも助けられた。

 他にも助けられた者がいる。

 じゃあ、あの時の私は――


 まるで、死にに行っていたみたいじゃないか。




 違う。

 そんなことはない。

 私は強いから。



 私は口には出さなかった。

 あれは偶然、通りかかっただけだ。

 助けられたなんて大げさだ。

 たまたまそこにいただけ。

 だから、言う必要はない。



 胸に手を当てる。鼓動がやけに大きく響く。


 でも、ついこの間も見た。

 初心者の冒険者を引きずって運ぶ姿を。

 同じ背中。

 同じ歩幅。




 頭を横に振る。

 一度。

 否定するように。


 もう一度。

 振り払うように。


 三度目は、小さく。

 自分に言い聞かせるように。



「もし世話になったんなら礼の一つは言っとけ」


 バルクの声が現実に引き戻す。


「冒険者ってのは一人でどうにかできるもんじゃねぇからな。横のつながりはあった方が得だ」


 その言葉の途中で、ロニオが彼を呼ぶ。

 バルクは手を挙げて応え、こちらに向き直った。


「じゃあな」


 短く言って、去っていく背中。


 ミアレは別れ際、小さく頭を下げた。

「お話、ありがとうございました」


 ミアレが丁寧に頭を下げた。

 その横顔はいつも通り落ち着いていて、何も変わらない。

 だからこそ、私は聞いてしまった。




「ねぇ、ミアレさんも……助けられたこと、あるの?」


 恐る恐る。

 願うように。



「ううん、私はないよ。ここの地元だとガルドさんは有名だから。知ってる人は割と多いかもしれないかな」



 ──無い。


「そう、ですよね」


 また、頭を振る。

 今度は速く。

 思考を追い出すように。




「リュシアちゃん、どうしたの?」


 ミアレが覗き込む。

 私は口角を上げる。


「ん、いえ。何でもないです」


 言葉は軽く、喉を通り抜けた。


「リュシアちゃん、先に昇格試験の申し込みに行こ?」


 手の甲をそっと掴まれ、軽く引かれる。

 強くない、でも確かな力。

 自然と身体が受付のカウンターの方へ動いていく。


 受付のカウンターへ向かう途中、私は一度だけ振り返る。

 ギルドの入り口の近くの隅。

 空いた椅子。

 誰も座っていない場所。


 私は歩きながら、もう一度だけ胸の奥に触れる。

 胸の奥のざわめきには、まだ名前がつかない。

 強さなのか、運なのか。

 それとも、まだ知らない何かなのか。


 答えは出ないまま、足だけが前へ進んでいた。


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