強さと、運と、言わないこと
ミアレの言葉に、私は小さく胸を張った。
自分でも気づかないほど自然に、肩がわずかに持ち上がる。高揚と、誇らしさ。
私が強いという事実。
誰かがその強さを理解してくれているという確かな感覚。
それは、思っていたよりもずっと心地よかった。
鼻息が少し荒くなる。
握った杖に、無意識に力がこもっていた。木の軋む感触が掌に伝わる。
「なぁ、お前ら、ある程度の依頼をこなしてるんだったら、昇格試験を受けたらどうだ?」
不意に、バルクが口を開いた。
彼は椅子の背にもたれたまま、気楽そうに顎でカウンターの方を指す。
「次の登録試験と同日だったはずだ。内容も難しいこともないしな。まぁ、無事にDランクになったらよ。次も一緒に行こうぜ」
軽い調子の言葉だった。けれど、その中に「次」が当然のように含まれていることに、私はわずかにくすぐったさを覚える。
「Eランク自体、冒険者のお触り期間みたいなもんだ」
バルクは笑いながら続ける。
「面倒くさくて手間のかかる雑魚の魔物ばかりだったろ? で、そこで死ぬやつは死ぬし、死にかけてそこでやめるやつはそこで辞める。それでもなお、残ってるやつだけは次に行く。それがEランクだ」
言葉は乱暴なのに、不思議と否定する気にはならなかった。
事実なのだろう、とどこかで理解している自分がいる。
彼は向き直り、親指を自分に突き立てた。
「かくいう、俺もEランクの時に死にかけてガルドのおやっさんに助けられたからな」
ハハッ、と軽く笑う。
その笑い声は、過去を自嘲するものでも、誇るものでもなく、ただ「そういうこともあった」と言っているだけの音だった。
Dランクのおじさん。ガルド。
私は視線をギルドの中へ泳がせる。
昼下がりの空気はぬるく、酒の匂いと木の床の湿り気が混ざっている。
誰かの笑い声、コップの触れ合う音。
けれど、彼の姿は見当たらない。代わりに、ロニオが視界に入り、こちらに気づいて軽く手を挙げた。私は同じように返す。
「それでよ、礼と詫びにポーション渡そうとしたんだ。回復薬。命が助かるもんだろ? なのに断られた」
バルクの声が少しだけ低くなる。
ポーション。
冒険者にとって必要なもの。
怪我をしたとき、いざというとき、体勢を立て直すための手段。
それで命が助かることだってある。
私とミアレは自然と口を閉じ、続きを促すように彼の話に耳を傾けていた。
「それが必要なのは今のお前だ、ってな。返されたんだよ。ついでにこうも言われた。死にに行くやつは顔を見りゃわかる、だとよ」
バルクは肩をすくめる。
「何も受け取らねぇから、考えた末に酒を奢ったら飲むわ飲むわ。で、後になって笑ったわ」
楽しそうだった。
本当に、ただの思い出として語っている。
ふと、私の中にぼんやりとした記憶が浮かぶ。
あのおじさんに助けられたこと。
はっきりとは思い出せない。ただ、声だけが残っている。
――今日は運が良いな。
ふいに、記憶が浮かぶ。
あの時の声。
大きくもなく、優しくもなく、ただ事実を置くような声音。
腑に落ちない。
胸の奥で、小さな石が転がる。
バルクも助けられた。
他にも助けられた者がいる。
じゃあ、あの時の私は――
まるで、死にに行っていたみたいじゃないか。
違う。
そんなことはない。
私は強いから。
私は口には出さなかった。
あれは偶然、通りかかっただけだ。
助けられたなんて大げさだ。
たまたまそこにいただけ。
だから、言う必要はない。
胸に手を当てる。鼓動がやけに大きく響く。
でも、ついこの間も見た。
初心者の冒険者を引きずって運ぶ姿を。
同じ背中。
同じ歩幅。
頭を横に振る。
一度。
否定するように。
もう一度。
振り払うように。
三度目は、小さく。
自分に言い聞かせるように。
「もし世話になったんなら礼の一つは言っとけ」
バルクの声が現実に引き戻す。
「冒険者ってのは一人でどうにかできるもんじゃねぇからな。横のつながりはあった方が得だ」
その言葉の途中で、ロニオが彼を呼ぶ。
バルクは手を挙げて応え、こちらに向き直った。
「じゃあな」
短く言って、去っていく背中。
ミアレは別れ際、小さく頭を下げた。
「お話、ありがとうございました」
ミアレが丁寧に頭を下げた。
その横顔はいつも通り落ち着いていて、何も変わらない。
だからこそ、私は聞いてしまった。
「ねぇ、ミアレさんも……助けられたこと、あるの?」
恐る恐る。
願うように。
「ううん、私はないよ。ここの地元だとガルドさんは有名だから。知ってる人は割と多いかもしれないかな」
──無い。
「そう、ですよね」
また、頭を振る。
今度は速く。
思考を追い出すように。
「リュシアちゃん、どうしたの?」
ミアレが覗き込む。
私は口角を上げる。
「ん、いえ。何でもないです」
言葉は軽く、喉を通り抜けた。
「リュシアちゃん、先に昇格試験の申し込みに行こ?」
手の甲をそっと掴まれ、軽く引かれる。
強くない、でも確かな力。
自然と身体が受付のカウンターの方へ動いていく。
受付のカウンターへ向かう途中、私は一度だけ振り返る。
ギルドの入り口の近くの隅。
空いた椅子。
誰も座っていない場所。
私は歩きながら、もう一度だけ胸の奥に触れる。
胸の奥のざわめきには、まだ名前がつかない。
強さなのか、運なのか。
それとも、まだ知らない何かなのか。
答えは出ないまま、足だけが前へ進んでいた。




