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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
11話
58/88

土の匂いと手応え

リュシア視点

 


「くちゅん……!」


 流れてきたそよ風が、鼻先をくすぐった。

 反射的に目を閉じた瞬間、情けない音が喉から漏れる。


「ふぇぁ……」


 自分でも分かる。今、きっとひどい顔をしている。

 まぶたの端を指で押さえながら、くしゃみの余韻をやり過ごす。


「ふにゃふにゃの顔になってるよ」


 横から聞こえた声に、思わず頬が緩んだ。


「えへへ……」


 ミアレが小さく笑っている。

 からかわれているのに、不思議と嫌な気はしなかった。杖を持ち直し、軽く握り直す。革の感触が手のひらに馴染んで、気持ちが少し落ち着いた。


 ここは農地。

 柔らかな土を踏みしめるたび、湿った匂いが立ち上る。その匂いが、また鼻を刺激してくる。今度はこらえた。


 依頼の真っ最中だ。


 内容は単純。

 農地を荒らす大ネズミの駆除。できるだけ多く倒す。それだけ。説明は短く、余計な言葉もなかった。


 参加しているのは私とミアレ、それから三人組のパーティー。

 合計五人で、広い農地を横に広がるように進んでいる。


 依頼主の農場主が、少し離れた場所で土魔法を使っている。

 地面の表層を掻き混ぜるように盛り上げると、ぼこり、と土が動き、その下から大ネズミが飛び出してくる。膝下ほどの大きさ。ずんぐりとした体に短い脚。隠れる場所もなく、蛇のように体をくねらせながら必死に走る。


 そこを、仕留める。


 ピン、と乾いた音。

 ミアレの矢が放たれ、大ネズミの胴に吸い込まれる。短い悲鳴もなく、静かに倒れる。彼女は駆け寄り、矢を引き抜き、泥を軽く拭うとすぐ次へ視線を向ける。動きに無駄がない。流れるようだ。


 私は杖を向ける。


「エアーブロー」


 風の塊が、目に見えないまま放たれる。

 やや下に逸れたそれは、大ネズミの側面に当たり、土にめり込ませた。動かなくなる。


 ……手応えがない。


 これでいいのか分からず、もう一度、とどめのつもりで放った。


「あ……」


 二度目の風は強すぎた。

 大ネズミの体が崩れ、土に散る。原型が分からなくなる。やりすぎた、とすぐに分かった。一発で十分だったのだろう。


 胸の奥が、少しだけ重くなる。


 後ろを見ると、すでにいくつもの遺骸が並んでいた。

 その周囲に、森オオカミの姿がある。こちらに気づいているのに、近づいてこない。ただ倒れたネズミを咥えては、少し離れて食べている。


 依頼主は言っていた。

 このときの森オオカミは、人を襲わない。おこぼれをもらって満足して帰っていく、と。


 空からは鳥が降りてきて、遺骸をついばんでいる。

 すべては後で土と混ぜられ、肥やしになるのだという。


 命が、土に戻る。


 足元に視線を落とすと、白く細いものが見えた。

 小さな骨。踏みしめた土の隙間から、かすかに覗いている。


 私は向き直る。

 考えすぎる前に、杖を構える。


「エアーブロー」


 一つ。

 続けて、もう一つ。


 即射。連続。風が走る。

 前方で飛び出した大ネズミが、軽く弾かれるように吹き飛ぶ。先頭のパーティーが取りこぼした個体だ。


「助かる!」


 声が飛んでくる。

 私は軽くうなずくだけで、また次へ視線を向けた。


 広い。

 本当に広い農地だった。端が見えない。どこまで続くのか分からない。終わりが遠く感じる。


「あっちだ!」

「取り逃がした、頼む!」

「まかせろ!」


 声が、何度も交差する。

 土が盛り上がり、ネズミが飛び出し、矢が走り、風が打つ。繰り返し。繰り返し。


 私は杖を握り直す。

 手のひらに汗が滲んでいるのに、なぜか心は静かだった。


 土の匂い。

 風の流れ。

 命が倒れ、命が食べ、命が還る。

 土の上で、土のために行われる作業。




 風を放つたび、私は少しだけ、自分の輪郭がはっきりする気がした。

 強すぎてもいけない。弱すぎても足りない。ちょうどいい力を探す。手応えを覚える。


 くしゃみをした鼻先を、袖でこすった。

 土の匂いが、まだ残っている。


 遠くでまた声が上がる。


「あっちだ!」


 私は杖を構え、風を集めた。


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