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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
11話
56/80

静寂に置かれた権威

セレナ視点

 


 朝はいつも早い。

 それは太陽の位置によるものではなく、私の身体に染み付いた単なる癖。


 目覚める時間に理由などない。ただ、眠りが浅くなる頃合いを身体が覚えてしまっただけのこと。


 柔らかな寝具の上でゆっくりと身を起こし、足を床へ下ろす。


 冷たい石の感触が足裏を通じて現実を伝えてくる。


 ここは王城の一角、宮廷魔術師に与えられた私室。

 広すぎるほどの部屋に、置かれている家具は最低限。


 豪奢でも華美でもないが、どこか空虚で、音が吸い込まれていくような静けさがある。



 宮廷魔術師。


 杖を持つ者にとって、これ以上ない名誉の一つ。

 実力、結果、努力、そして才能。

 それらが揃い、王国に認められて初めて与えられる称号。

 家の者はきっと喜んだだろう。

 血族の誉れ、後世に名を残す偉業。

 肖像画が描かれ、史書に名が刻まれ、いつか誰かが称える。



 ――結果的に、そうなっただけだ。



 私はその肩書きに憧れていたわけでも、名誉を欲したわけでもない。


 辿り着いた場所が、ただここだったというだけの話。



 部屋の隅に、正装のローブと帽子が掛けられている。

 王国が個人を認めて贈る、由緒正しき一着。

 誰もが喉から手が出るほど欲しがる代物。

 けれど、そこには薄く埃が積もっていた。



 正式な式典でもなければ、袖を通す理由がない。

 権威を示す衣装は、私にとってはただの重りだ。

 同じように、大振りの杖も好まない。

 儀礼用の装飾は扱いづらく、威圧のための道具でしかない。

 実用で言えば、短い杖か、いっそ棍棒の方がよほど手に馴染む。



 息を吸い、吐く。

 水差しから一口だけ喉を潤し、鏡の前に立つ。



 薄緑がかった銀髪の女が映る。

 感情の薄い目。

 整ってはいるが、特別印象に残る顔ではない。

 だが――



「風に揺れる髪が綺麗」


 そう言われたのは、いつだっただろうか。

 リュシアの声が、ふと脳裏を掠める。


 肩にも掛からない長さに切ってから、ずっとこのままだ。


 戦闘でも研究でも邪魔にならない長さ。

 右手で耳に触れるように髪をかき上げると、視線を逸らし、装飾のない衣服を手に取った。


 軽装に着替え、部屋を出る。

 扉が閉まる音が小さく響き、廊下に溶ける。


 誰もいない通路に、私の足音だけが規則的に反響する。

 王城は朝でも静かだ。

 人はいるはずなのに、気配が遠い。

 この静けさは嫌いではないが、好きでもない。


 必要なのは名声でも、力そのものでもない。

 私が自由に動ける立場。

 必要なときに、必要な言葉を通せる発言力。

 誰かを縛り、守り、あるいは止めるための権力。


 宮廷魔術師の言葉は軽くない。

 それが命令でなくとも、多くの者が従う。

 だから私は、それを利用する。

 良くも悪くも、それだけだ。


 エゴだろう。

 傲慢だろう。

 だが、他の宮廷魔術師たちに比べれば、私のそれはまだ可愛いものだと思っている。


 彼らは名声を欲し、影響力を広げ、互いを牽制し合う。

 持ちつ持たれつ、騙し騙され、利用し合う関係。

 笑顔の裏で計算し、沈黙の裏で測り続ける。


 私はそこに立っている。

 同じ輪の中にいながら、少しだけ距離を置いて。


 居心地が悪い。

 だが、離れるつもりもない。


 この立場でしか守れないものがある。

 この権威でしか止められない愚かさがある。

 だから私は、ここにいる。


 廊下の窓から差し込む朝の光が、石床に細い帯を落としていた。

 その光を踏み越えながら、私は歩く。


 名誉でも栄光でもない。

 ただ、必要だから。

 それだけの理由で今日も宮廷魔術師であり続ける。


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