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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
10話
53/81

銀貨の温度

 



 夜のギルドは、何度来ても慣れない。


 日が沈んだはずなのに、ここだけは昼より明るく、騒がしく、そして妙に熱い。

 酒と汗と焼いた肉の匂いが混ざり合い、扉をくぐった瞬間に鼻の奥へと入り込んでくる。



 机を叩く音。

 ジョッキのぶつかる音。

 誰かの大きな笑い声。


 それらを横目に、ミアレの後ろについてカウンターへ向かった。


 受付のお姉さんは、顔を上げると小さく微笑んだ。

 見覚えのある表情。ここに何度か来ているからこその、ほんのわずかな親しみ。


 依頼書と納品物を差し出す。

 革袋の重みが手から離れると、肩が少しだけ軽くなる。


「確認しますね」


 そう言って、彼女は奥へと消えた。


 待ち時間はほんの少し。

 それでも、カウンターの木目を眺めたり、背後の喧騒に耳を傾けたりしていると、妙に長く感じる。


 やがて戻ってきた受付嬢が、硬貨を差し出した。


 銀貨が七枚。

 銅貨が五枚。


 灯りに照らされ、縁のすり減った銀貨が鈍く光る。

 刻印の溝に黒ずみが残っているのが見えた。

 きっと何人もの手を渡ってきたのだろう。


「依頼主が納品物を確認してから、追加の報酬金があります。後日お受け取りくださいね。受け取り手は――」


「リュシアちゃんでいいよ」


 ミアレの声が、横から自然に入った。


「はい。リュシアさんですね」


 受付嬢は小さな紙を千切り、私の前に滑らせる。


「手形です。これがないと追加分はお渡しできませんので、無くさないようにしてくださいね」


 両手でその紙を持ち上げる。

 薄くて軽い。ただの紙切れなのに、妙に重く感じた。


 名前が書いてある。

 私の名前。

 これがお金になる。

 そう言われても、まだどこか現実味がない。


 ポーチへそっとしまい込む。

 失くしたら終わりだと、直感的にわかった。


「リュシアちゃんは銀貨四枚でいい? 私は残りもらうね?」


「ありがとう」


 反射のように言葉が出た。

 でも、手を伸ばしかけて、ほんの一瞬だけ止まる。


 銀貨四枚。

 私がもらっていい額なのか。


 ミアレは三枚と銅貨五枚。

 頭の中で計算が合わないわけじゃない。

 それでも、胸の奥に小さな引っかかりが残る。


「どうしたの? 難しい顔して」


 覗き込まれて、私は一歩だけ後ろに退いた。


「あ、ううん。違う、なんでもないよ。なんでも……」


 言葉が曖昧に消える。


 ミアレは何も言わず、銀貨を掴んで私の手に押し込んだ。

 冷たい金属の感触。

 指の間で、硬貨同士が小さく触れ合う。


 その手を、今度はミアレが両手で包んだ。


「リュシアちゃんは強いよ。強くて、頼りがいがあって、ちゃんと前を見てる。もし何かあったら、その魔法で私を助けてくれるって思ってる」


 銀貨の冷たさより、手の温もりのほうが強くなる。


「だから私は、私のできることをやるだけ。弓を引くとか、解体するとか、道を覚えるとか。得意なことが違うだけだよ」


 言い聞かせるでもなく、誇るでもなく、ただ事実を置くような言い方。


 騒がしいギルドの中で、そこだけ音が遠のいた気がした。


「次も一緒に行こうね。信頼の意味も込めて、ね?」


 ゆっくりと手が離れる。


 掌の中の銀貨は、さっきより少し温かくなっていた。

 ただの金属なのに。


 私はそれを見つめてから、強く握りしめた。


「ありがとう、ミアレ!」


 声が思ったよりも明るく出た。


 周囲では誰かがまた笑い、ジョッキがぶつかる音が響く。

 いつもの夜のギルド。



 銀貨の温度が、まだ手の中に残っていた。

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