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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
10話
49/85

小さな命

 


 木陰の中を歩くたび、足元で小さく枝が折れる音がした。

 乾いた落ち葉と枯れ葉が重なり、踏みしめるごとに柔らかく沈み、かすかな音を返してくる。


 静かな森の中では、それだけでも自分の存在がやけに大きく感じられた。


 少し前を歩くミアレの背中を視界に入れ、私はゆっくりと後を追う。



 片手には杖。もう片方の手は時折、木の幹に触れて体を支えながら進む。押し出すように一歩を踏み込み、慎重に足を運ぶ。



 罠に何かがかかってくれていればいい。

 そんな期待だけが、胸の奥で小さく揺れていた。



 ミアレは時折振り返り、私の様子を確かめるように目を向けてくれる。急かすでもなく、置いていくでもない。その歩調に合わせていると、森の中でも不思議と心が落ち着いた。



 やがて、最初の罠を仕掛けた場所の近くに着く。

 ミアレはすっと身をかがめ、手招きした。


「こっち」


 囁くような声。

 私も同じように体を低くし、誘われるまま近づく。草をかき分け、視線を落とした先に――それはいた。



 白い毛玉のような小さな体。

 長い耳がぴんと立ち、赤い瞳がじっとこちらを見据えている。額には、指の節ほどの小さな角。


 ホーンラビット。



 ようやく目にすることができた、小さな魔物だった。


 周囲には散らばったベリーナッツ。地面は掘り返され、爪で蹴った跡が幾重にも残っている。必死に逃げようとしたのだと一目でわかった。


 片足にはツルの輪が絡みつき、引き寄せられたまま前足で踏ん張っている。耳が小刻みに揺れ、動かない。


 動けないだけだ。


「私たちが近づくと暴れて、罠がほどけちゃうかもしれないから……私がやるね」


「はい」


 息を潜めるようなやり取り。

 ミアレは弓を取り、矢をつがえ、構える。動作に無駄がない。森の音が一瞬だけ遠のいた気がした。


 ――バシュ。


 風を裂く音。

 目で追うより早く、射た音と鈍い衝撃音が重なる。


 矢はホーンラビットの前肢に突き刺さり、短い断末魔を残して体勢が崩れた。

 小さな体が地面に倒れ、動かなくなる。


「まずは一匹目」


 ミアレは私に目を向け、静かに微笑んだ。

 私は喉の奥で言葉を探し、ようやく口を開く。


「あの……さっきの、狙って当てられるんですか?」


 自分でも、どうしてそんなことを聞いたのかわからなかった。ただ、目の前で起きたことがあまりにも自然で、確かめたくなっただけだ。


 ミアレは少し視線を落とし、それからまた私を見る。


「外れるときは外れちゃうよ」


 そう言って、弓を引く姿勢だけをもう一度とる。弦を引き、先を見据える仕草。


「でもね、こうやって引いてるときに……当たってって、お願いするの。そしたら、まっすぐ飛んでくれる気がするの」



 ふわりとした答え。

 理屈ではない。

 けれど、その言葉の中には彼女なりの確信があるのだと感じた。


「外しているところ、見たことないから……凄いです」


「ありがとう、リュシアちゃん」


 草陰から離れ、倒れたホーンラビットへ近づく。


 小さな獲物。


 近づくほどに、その小ささが強調される。ほんの少し前まで動いていた命が、そこに横たわっているだけだった。


 まずは一匹。

 残り七。



 ミアレは刺さった矢を引き抜き、付いた血を振り払って矢筒へ戻す。


 絡まったツルをほどき、ナイフを取り出して首元へ刃を入れた。赤い線が走り、血が滲み出す。


 逆さに持ち上げ、軽く揉むようにして血を抜き、大きめの革袋へと収める。


「殺さないほうがよかったかな……でも、生け捕りは難しいし……」



 小さな独り言。



 私はその意味をうまく掴めないまま、ただ見つめていた。


 つぶらな瞳。


 もう何も映していないのに、見られている気がした。


 愛らしい。

 同時に、胸の奥がずきりと痛む。


 ――これは魔物。

 そう言い聞かせる。何度も。


「リュシアちゃん、罠を一通り回ろう?」


 ミアレが一歩踏み出す。


 地面には血の跡、暴れた跡、散らばったベリーナッツ。ほんの数分前までの出来事が、そのまま残っている。


 これで、ホーンラビットは捕まえられる。

 そう理解する。


 少し先で待ってくれている背中に追いつき、私は並んで歩き出した。

 森の中には、また同じように葉の擦れる音が戻ってくる。


 小さな命を一つ、越えた。

 それでも足取りは重くない。

 ただ、心のどこかに、名前のつかない感触だけが残っていた。

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