待つということを知らない風
平原の見える道沿いの草の上に腰を下ろしていた。
道から少し外れた木陰。
視界の半分には緩やかな草原が広がり、もう半分には細い街道が伸びている。
空は高く、雲はゆっくりと流れている――そう見えるのに、じっと見つめていると、ほとんど動いていないようにも見えた。
ミアレは私の脇に座り、肩が触れそうな距離で並んでいる。
今は何もしていない。罠を仕掛け終えて、ただ待っているだけだ。
待つ。
それが、こんなにも手持ち無沙汰で、何も起きない時間だとは思っていなかった。
草は風に揺れ、さざ波のように何度も同じ動きを繰り返す。木の葉が擦れ合う音も、一定の間隔で耳に届く。
変わらない景色。変わらない音。
私はそのたびに視線を動かし、退屈をごまかそうとした。
――拍子抜け、という言葉が頭に浮かぶ。
魔物は人に害をなす存在で、見つければ襲いかかってくるものだと思っていた。オークのように、目に入ればすぐ戦いになり、倒せば終わるものだと。
けれどホーンラビットは違った。
姿を見せない。
一度も見ていない。
罠は十三、いや十四か。あれだけ仕掛けたのに、何も起きない。
なんだか納得がいかなかった。魔物という言葉から想像していたものと、あまりにも違う。
膝を抱えるように体を丸め、隣のミアレを見る。
彼女は穏やかな表情で、草原の先を眺めていた。焦りも苛立ちもなく、ただそこにいる。
ふと視線が合う。
「お腹すいた?」
自然な声だった。
私は一瞬、何を言われたのかわからず、少し遅れて頷く。
ミアレはポーチを探り、布に丁寧に包まれたものを取り出した。結び目をほどき、開く。中から出てきたのは、薄く乾いた肉だった。
「燻製肉だよ。この間、森オオカミを倒したでしょ。そのお肉」
あの時、彼女が慣れた手つきで解体していた光景がよみがえる。
差し出されたそれを両手で受け取る。硬く、薄い。指で押すと、わずかな弾力が返ってきた。
「ありがとう……ミアレさんって、何でもできるんですね」
「そんなことないよ。お父さんが教えてくれただけ。冒険者になるなら必要だからって。捌くのも、火の起こし方も、罠も。教わったことをやってるだけ」
冒険者に必要なこと。
その言葉が胸に小さく刺さる。
私は無意識に胸元へ手を伸ばし、首から下げた冒険者証を指先で掴んだ。金属の冷たさが伝わってくる。
これは、冒険者に必要なもの。
では、必要なことは?
杖がある。魔法がある。魔物を倒す術がある。
それで足りていると思っていた。
――本当に?
燻製肉を口に入れる。硬い。
歯を強く当て、ようやく繊維が裂ける。ゴムのような食感。
何度も噛み、唾液と混ざるうちに、じわりと旨味が滲み出してくる。木の煙の香りと、獣特有の匂い。
それでも、宿で食べた塩辛いだけの肉より、ずっと美味しかった。
自分の咀嚼音がやけに大きく感じた。
噛み続けるうちに、少しずつ頭の中が静かになる。
さっきまでの違和感も、焦りも、腹の底へ沈んでいく。
余計なことを考えるのは、きっとお腹が空いていたからだ。
そう思うことにした。
風が吹き、草原が揺れる。
罠の方からは何の音も届かない。
それでも、ただ待つ。
戦うことだけが冒険じゃない。
そんな当たり前のことを、私は今、初めて体で覚えているのかもしれなかった。
空を見上げる。
雲は、さっきより少しだけ形を変えていた。




