はじめてのご褒美
出口が近づくにつれて、空気が変わっていくのがわかった。
湿った石の匂いは薄れ、代わりに風に揺れる木の葉の擦れる音や、どこか高いところで鳴く鳥のさえずりが耳に届きはじめる。
闇の奥では聞こえなかった音たちが、少しずつ、少しずつ、私の周りに戻ってくる。
けれど、光の先はまだ見えない。
それでも足は自然と早くなっていた。
洞窟を抜けた瞬間、強い日差しに思わず手をかざす。
目を細めると、眩しさの向こうに広がる青空が滲んだ。
重たく沈んでいた呼吸が、するりと軽くなる。意識せずとも大きく息を吸い込んでいた。
鼻の奥にこびりついていた血なまぐさい匂いが、風にさらわれていく。
代わりに届くのは、乾いた土の匂いと、草の青い香り。胸の奥まで空気が満ちていくのが心地よかった。
前を歩く二人も同じだったらしい。
肩がゆっくり上下し、深く息を吐く様子が見える。誰も言葉にはしないけれど、そこにあるのは確かな安堵だった。
一安心。
そう思えた、その時だった。
今になって、手首がズキズキと脈打つように痛みはじめる。
ジャイアントバットに掴まれたところだ。
手袋越しに確認しても、赤く腫れている様子はない。大きな怪我ではないのだろう。
平気だと自分に言い聞かせる。けれど、背負った荷の重みがさっきより増した気がした。
空を見上げると、太陽はすでに傾きはじめている。
長く潜っていたのだと、そこでようやく実感した。疲労のせいか、バルクもロニオも口数は少ない。足音だけが、乾いた道に淡々と刻まれていく。
今の私は、冒険者。
兄様や姉様がこの姿を見たら、どう思うだろう。ちゃんと、立派に見えるだろうか。
そんなことを考えると、自然と頬が緩んだ。
誰に見せるわけでもない、小さな妄想。それだけで、少しだけ元気が湧いてくる。
帰り道は見晴らしがよかった。片側にはなだらかな平原、もう片側には濃い緑をたたえた森が続いている。
その境目をなぞるように、私たちは歩いていた。
振り返れば、暗い洞窟の入口はもう遠い。
考えてみれば、ダンジョンに潜っていた時間より、こうして移動している時間の方が長かったのかもしれない。
冒険とは、戦いだけではなく、この長い道のりも含めてなのだと、今さらながら思い知る。
しばらく歩いた頃だろうか。街との距離がちょうど半分ほどになったあたりで、ロニオがぽつりと呟いた。
「ここで焼くか」
「お、待ってたぜ」
バルクがすぐに反応する。
焼く――その言葉の意味は、聞かなくてもわかっていた。背負っているこの重み。オークの肉。それしかない。けれど、あえて口に出して確認する。
「何を焼くつもりですか?」
「オークの肉に決まってるだろ」
バルクがにかっと笑う。
私の思考が一瞬止まった。
今からギルドへ持っていく素材を自分たちで食べる?それでいいのだろうか。
これを引き渡してお金になるのなら、手をつけてはいけない気がする。けれど、正解がわからない。
「考えすぎんなよ。全部は食えねえし、俺たちが頑張ったご褒美みたいなもんだ」
軽い調子で言われる。
ロニオも近くの岩を見つけて腰を下ろし、続けた。
「これはまだ、僕たちのものだ。後でギルドや依頼主に検品してもらって初めて、正式な納品になる。それまでに無事に持ち帰れるかどうかの方が問題だからな。少し食べた程度で評価は変わらないよ」
包みをほどきながら、彼は一言だけ付け加える。
「真面目なのは、いいことだ」
その言葉に、胸の奥の引っかかりが少しだけほどけた。
そういうものなのだと、自分の中で納得する。バルクも私も、ロニオのそばに荷を下ろした。
「バルク、火を頼む。リュシアは水を汲んできてくれ。僕は肉を切り分ける」
短い指示に従い、それぞれが動き出す。
私は水筒を受け取り、小さく頷いた。
歩き出した瞬間、急に空腹に気づく。
宿で食べた塩辛くて硬いベーコンの味が蘇った。あれから何も口にしていない。胃の奥がきゅうと鳴る。
近くを流れる小川へ向かいながら、私は少しだけ足取りを軽くした。
冷たい水の音が、木々の隙間から聞こえてくる。血と鉄の匂いに満ちていた洞窟とは違う、澄んだ空気の中で、私は水筒を握りしめた。
冒険者の一日がようやく終わりに近づいている。
そう思うと、胸の奥に、じんわりと温かいものが灯った。




