獲物になりかけた者
ウインドブラスト。
風の塊が、薄暗い視界の奥――オークの影へ一直線に走る。
避ける素振りも、防ぐ動作もなかった。
圧縮された風が腹部に直撃し、次の瞬間、爆ぜるような衝撃音が洞窟内に反響する。
オークの巨体が、風に押し潰されるように宙を舞い、闇の奥へと吹き飛ばされた。
――重い。
鈍い音。
地面を引きずられる感触だけが、足裏を通して伝わってくる。
手応えは、確かにあった。
けれど――どうなったかは、見えない。
確認しないと。
そう思った瞬間。
洞窟内の空気が、ぴたりと止まった。
視線。
数えきれないほどの視線が、一斉にこちらへ向けられている。
甲高い叫び声。
ジャイアントバットの群れが、私を見ていた。
獲物を見る目で。
「……っ」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
この感覚。
ゴブリンに追い詰められたときと、同じだ。
私は反射的に杖を握り直した。
風を叩く音が、迫ってくる。
ジャイアントバットが、鉤爪を前に突き出しながら突進してくる。
距離は――ある。
けれど。
数が、多い。
「ウインドブラスト!」
即射。
一発、二発。
風が翼を打ち抜き、二匹が空中でバランスを失い、錐揉み回転しながら地面へ落ちる。
――これなら。
怯えて、引くはず。
そう思った。
けれど。
止まらない。
「……あ」
声にならない音が、喉から漏れた。
ダメだ。
鉤爪が、真っ直ぐこちらに――。
避けられない。
咄嗟に腕を上げ、防御の姿勢を取る。
次の瞬間、衝撃。
ジャイアントバットの足が、レザーの手袋を掴み取った。
「――ッ!」
貫通はしていない。
けれど、食い込む。
痛い。
強い。
離す気配がない。
力加減など、最初から存在しない。
手首が、今にも握り潰されそうだった。
見上げる。
闇の中、ジャイアントバットが私を見下ろしている。
大きく開いた口。
鋭利な牙。
鈍い光を反射して、はっきりと見えた。
叫び声が鼓膜を打ち、視界が揺れる。
その瞬間。
重い衝撃が、腹部に叩き込まれた。
別の一匹が、勢いのまま飛びかかってきたのだ。
「――っ、……!」
肺の空気が、一気に抜ける。
息ができない。
体勢が崩れ、地面に倒れ込む。
掴む力は、まだ緩まない。
抵抗できない。
――あ。
死ぬ。
そう思った。
次の瞬間。
「――おらっ!!」
鋭い金属音。
バルクのロングソードが、私に馬乗りになっていたジャイアントバットの翼を切り上げ、両断する。
血と肉が飛び散り、剣の勢いのまま蹴り飛ばされる。
続けざまに、もう一体。
斬り伏せ、蹴り上げる。
私は、地面に這いつくばったまま、息を吸おうとして、むせた。
「聞いてるか、ロニオ。作戦変更だ」
「……ああ、分かってる」
バルクはロングソードを振り、張り付いた血糊を勢いよく払う。
その背中は、私を一度も振り返らない。
「おい、Eランク。立て」
荒い声。
けれど、命令だった。
「休むんなら、ここを出てからにしろ」
周囲では、まだ羽音が飛び交っている。
私は、乱れた息を整えながら、ゆっくりと立ち上がった。
手首が痛い。
腹部も、鈍く痛む。
手で軽く擦る。
「……ありがとうございます」
そう言って、バルクを見る。
けれど、彼は振り向かない。
「感謝はあとだ」
低く、前を見据えたまま、言い放つ。
「オークが死んだかは分かんねぇ。だが――」
剣を構え直す。
「ここからは狩りの時間だ」
甲高い鳴き声が、再び洞窟を満たす。
「来いよ、コウモリ野郎」




