ここから始まり
ギルドの端、壁際に置かれた長椅子に、私は一人で座っていた。
朝から何度目かわからない溜め息を、胸の奥で噛み殺す。
人の行き交う音が、やけに遠く感じられた。
――結局。
ダンジョンで、私の杖は見つからなかった。
一度目は、焦って探した。
二度目は、冷静に順路をなぞった。
それでも、どこにもない。
見逃した?
そんなはずない。
あれだけ目を凝らして、隅々まで探したのに。
「……なんで」
声に出すと、余計に不安が膨らむ。
どうして、ないの。
どうして、あんな大事なものが。
きっと、魔物だ。
魔物が握って、次の階層へ持っていったんだ。
そうに決まってる。
そう思わないと、胸の奥がざわざわして落ち着かない。
取り戻さなきゃ。
頭の中で、その言葉がぐるぐる回る。
――大切なものは、きちんとしまっておきなさい。
姉様の声が、やけに鮮明に思い出された。
何度も言われた。
怒られたことも、一度や二度じゃない。
ああ、こんなこと知られたら、きっとまた怒られる。
でも。
あれがないと、私の冒険は始まらない。
ただの杖じゃない。
魔法を使うための道具以上のもの。
私が、魔法使いだって証明するもの。
それを失くしたまま、冒険者を名乗るなんて――。
「……探さなきゃ」
小さく呟く。
その間にも、何人かが声をかけてきた。
「一緒に組まないか?」
「試験、すごかったな」
「Dランクだけど、どうだ?」
冒険者証を受け取ったばかりの人たち。
中には、私の試験を見ていたらしい、少し年上の冒険者もいた。
正直、少しだけ誇らしかった。
でも。
「ごめんなさい」
私は、首を横に振った。
「今は、私用があって……。ほかに、やらなきゃいけないことがあるんです」
自分でも、素っ気ない言い方だったと思う。
相手がどう思ったかは、考えないようにした。
今はそれどころじゃない。
――私には、やることがある。
「リュシア?」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
そこにいたのは、ミレアだった。
弓を背負い、いつもの明るい笑顔。
でも、少しだけ拗ねたような表情も混じっている。
「上のランクの人にも誘われてたでしょ?
先に組まれちゃうかと思って、ちょっと焦ったんだけど」
「……ごめん」
思わず謝ってしまう。
「パーティーは、今は無理なの。
どうしても、しなくちゃいけないことがあって」
「え?」
ミレアは目を丸くする。
「えええ!? 私、そのつもりだったのにー!」
そう言いながら、遠慮なく隣に腰を下ろしてきた。
距離が、近い。
こそこそと、内緒話をするみたいに、手を添えて囁く。
「それってさ、私に手伝えることだったりしない?
で、その用事が終わったら――私と組もうよ」
胸の奥が、きゅっと締まる。
一人でやらなきゃ、って思ってた。
私の問題だから、私だけで解決しなきゃって。
でも。
「……いいの?」
そう聞いた瞬間、自分でも驚いた。
「もちろん」
ミレアは、迷いなく笑った。
「交渉成立、でしょ?」
その笑顔を見て、胸の中の重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
――大丈夫。
きっと、うまくいく。
杖も、取り戻せる。
冒険も、ここからちゃんと始まる。
私はまだ、この時は知らなかった。
この選択が、
この“始まり”が、
私をどこへ連れていくのかを。
ただ、少しだけ前を向けた気がして。
私は、長椅子から立ち上がった。




