銀貨四枚の良心
食べ終えたフォークと皿は、いつの間にかおばさんが下げてくれていた。
油と塩の匂いが少し残るテーブルの上が、すっきりと片付いている。
「いい食べっぷりだったね。おかわりするかい? 遠慮しなくていいんだよ」
その声に、私は首を振った。もう十分だった。お腹は満ちていて、それ以上は贅沢に思えた。
すると背後から、がなり声が飛ぶ。
「酒のおかわりじゃあ!」
「バカタレ! あんたは十分飲んだでしょうが! これ以上飲むなら外に引っ張り出すよ!」
「ドケチババァ!」
怒鳴り合いは派手なのに、不思議と剣呑な空気にはならない。
いつものやり取りなのだろう。私はそう思いながら、声の主――飲んだくれのおじさんの方を見た。
赤い。頬も、鼻も。酒で内側から焼けているみたいだった。
そのおじさんと、ふと目が合う。
「……嬢ちゃん」
低く、少し掠れた声。
「足、怪我してんのか」
ぎくりとする。視線が自然と、引きずるような左脚に落ちた。
「いいもん、あるぞ」
そう言って、おじさんは足元の荷物をゴソゴソと探り始めた。
皮袋の中から取り出されたのは、小さなガラス瓶。
青く透明な液体が、わずかに光を反射して揺れている。
「これは……?」
知らない。見たことがない。
おじさんは、得意げに鼻を鳴らした。
「ポーションだよ。回復薬。冒険者なら、知らねぇわけじゃあるまい」
――ポーション。
その言葉が、胸の中で弾けた。
噂では聞いたことがある。怪我を癒す、魔法の薬。
本当に、こんな形で存在しているんだ。
差し出された小瓶を受け取ると、私は思わず目を輝かせていた。
冒険者には必要なもの。
つまり――今の私に、必要なもの。
「これ……もらっても、いいですか?」
おじさんはニタリと笑った。
「分かる口だな。銀貨四枚ってとこだ。欲しいか?」
「欲しい!」
即答だった。
「ちょっと! 若い子を薬で誑かすんじゃないよ!」
おばさんの声が飛ぶ。
「碌なもんじゃないよ!」
「うっせぇ! こっちは取引してんだ! 俺は調合師だぞ! 信用を売ってんだ!」
怒鳴り合いの隙間で、私は金貨一枚をそっとテーブルに置いた。
「……あの、これで」
おじさんは一瞬目を丸くし、次いで豪快に笑った。
「釣りはねぇぞ! ……ま、サービスだ。三本持ってけ」
追加で二本、瓶が並べられる。
「女将! これで宿代払えるぞ! 儲けた儲けた!」
下品な笑い声。でも、不思議と嫌じゃなかった。
私は三本のポーションを抱えた。
小さな瓶なのに、手の中でずっしりと重い。
冒険者になったみたいだ。
思わず、笑みがこぼれる。
おじさんは、ふと視線を逸らし、独り言のように呟いた。
「……十年前から、商売上がったりだ。量産品が出回りやがって」
その声は、酔いよりも少しだけ寂しそうだった。
「ありがとう、おじさん」
「おう。ぐいっと飲め。足の怪我くらい、明日にはマシになる」
私は頷き、小瓶を大事に胸に抱え、部屋へ戻った。
知らなかった世界が、少しだけ近づいた気がした。




