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紫紺の山

作者: 星賀勇一郎





姥が茶の葉を摘み取れば


山の神様


白湯すする


翁蔓で縄編めば


山の神様


帰られぬ


童柿の実頬張れば


山の神様


腹空かす


季冬比布の日夜明けには


ネエや背負いて


礼参り






小さな子供たちはそんな歌を歌いながら毬をつく。

そのトントンと跳ねる毬の音がテツには耳障りだった。

甘露様と村の者が呼ぶ神社の境内にある大岩に寝そべり、テツは今年の比布女が選ばれるのを待っていた。


今年、十五になる男はテツしかおらず、比布女を背負い山に入る事になっていた。


この山間の村では毎年十二月十二日に、村の北にそびえる山の神に感謝して、その年十五になる娘を一年の山の恵みへの恩返しとして差し出す事になっていた。

その娘の事を比布女と呼んでいた。

比布とは山に入る日が季冬、一二月の一二日であるため、一二女がいつしか比布女となったとテツは聞かされていた。

その比布女が村で今年十五になる娘、三人の中から一人選ばれる。







「多分私が今年の比布女たいね……」


佐奈はテツに呟く様に言った。


「まだわからんたいね……。菊枝も琴乃もおるっちゃけん……」


テツは柿の実を噛じりながら木の枝で萱を薙いだ。


佐奈は足を止めて、朱に染まる夕陽をじっと見つめた。

それに気付きテツは佐奈の傍まで引き返した。


「どげんしたとや……」


佐奈は目を閉じ、大きく息を吸い込む。


「テツ……」


「何や」


佐奈はテツに微笑む。


「もし、私が比布女に選ばれたら……」


テツは甘い柿の実をまた噛じる。


「選ばれたら……」


「私と逃げてくれる」


佐奈の言葉にテツの手から食べかけの柿の実が転がり落ちた。


「ほら、二人で山に入って、そのままどっか遠くに行くったい。そして二人で暮らすったい。誰も知っとる人んおらんところで……」


テツは佐奈をじっと見つめる。


「ね、よかろう。そげんしよ……。私も働くけん、二人でどっか行こう」


佐奈はテツの着物の袖を掴んで揺さぶる。


「佐奈……」


佐奈は涙を我慢するように呼吸をしていた。

そしてその涙は溢れ、佐奈の頬を伝う。

テツはそれに気付いていない振りをして、佐奈を抱きしめた。


「馬鹿じゃなかとか……」


佐奈は指で涙を拭いながら、テツの肩に頬を寄せた。







「テツ……」


テツの父親の三造は囲炉裏端で山女魚の塩焼きを食べながら酒を呷る。


テツは壁に寄りかかり膝を抱えていた。


「仕方なかったい……。菊枝は追方の達吉との祝言が決まっちょるらしかし、琴乃は既に不貞の体やって言うちょる。今年は佐奈しかおらんったい……」


テツは大きな目をギョロギョロと動かした。

しかし三造に返す言葉は無かった。


三造は空になった湯呑にまた酒を注ぎ、一気に飲み干す。


「こん村も人の減っちょる。誰かが比布女を務めるしかなかとよ……」


三造はまた酒を注ぎながら言う。


テツは膝を抱えた腕で口元まで隠して、じっと三造を見つめていた。


「こげな生贄みたいな事……。いつまで続けるとや……。父ちゃんたちの力で終わらせる事は出来んとね……」


三造は湯呑を囲炉裏端に置いて、テツに微笑んだ。


「生贄やなかとよ……。これは神様へのお返したいね。別に神様に言われて比布女ば差し出しとる訳やなか……」


「だったら尚更……」


テツは声を荒げると立ち上がった。

そのテツを見て三造は歯を見せて笑った。


「昔の人が一旦始めた事ば、終わらせるっちゅうのは難しかったいね……。相当勇気のいる事たい」


三造は山女魚を食べ終えて箸を置いた。


「もし、オイが今年でこの比布女を終わらせたとしよう。ばってん、それでオイだけやなか……。母ちゃんも、お前も、妹の翠も村八分にされるかもしれんったい。こん村じゃ生きて行けん様になる」


三造は酒を飲み干すと力強く叩きつける様にその湯呑を囲炉裏端に置く。

そして横になった。


「比布女なんて止めたいって思っちょる人はもっともっとおるかもしれん……」


テツは拳を握りしめて震えながら吐き出す様に言う。


「かもしれんな……。佐奈の父親の清滝なんかもそう思っちょるやろうな……」


三造はテツに背中を向けた。


「とにかく、今年の比布女は佐奈で決まりたい。お前は佐奈を背負って山に入る。決まった事はそれだけたい……」


テツは握りしめた拳を解き、力なく俯いた。






比布女を背負い山に入る男を比布男と言い、比布女が決まった日から比布女と比布男は会う事も許されない。

それどころか、比布女は家から出る事も許されず、三十七日の間、甘露様に奉納された食べ物だけで過ごす。

そうやって身体を清め、山に入る十二月十二日に備える。

元々十二の付く日は禁忌とされ、山には誰も入る事が出来ない。

特に、十二月十二日はその中でも特別な日で、山のモノを口にする事も禁じられていた。

しかし、この村ではその禁忌の日に比布女を背負い比布男が山入り、山頂近くにある祠に比布女を置いて来る事になっている。


テツの父親である三造も、十五の時に比布男を務めたと言う。

桜という女を背負って山の祠まで行ったとテツに話した事があった。


「オイは桜ば好いちょったけん……」


三造は暮れた紫紺の山を眺めながら、テツにそう言っていた。







「テツ……」


翌日、畑の野菜を取っていると後ろから声が聞こえた。

振り返るとそこには菊枝と琴乃が立っていた。


「おお、お前ら……。どげんしたとや……」


テツは一瞬躊躇ったが、無理に明るく微笑んだ。


「比布男は何でも食えるっちゃろ……」


琴乃は手に持った竹の皮を開いて、真っ赤なぼた餅をテツに見せた。


三人は陽の当たる暖かい場所を探して草の上に座った。


「佐奈は私らん事ば恨んどるやろうか……」


菊枝が畑の向こうの林を眺めながら言う。

テツはその言葉に何も返さずに黙ったまま、ぼた餅を頬張る。


「三人の誰に決まっても恨みっこなしって佐奈が言うとったっちゃけん……」


琴乃は膝を抱えて俯いた。


「菊枝……。追方に嫁に行くらしいな……」


テツは手に持ったぼた餅を口の中に放り込んだ。


「うん……。追方の達吉のところ」


菊枝はゆっくりと立ち上がって空を見上げる。


「本当の事ば言うと、そげん達吉の事は好きじゃなかとよ……。ばってん比布女になるくらいなら、祝言挙げた方が幸せやろうって父ちゃんが決めたとよ……」


テツは菊枝の背中に頷く。

テツの横で膝を抱えたまま俯く琴乃は更に顔を伏せた。

そしてくぐもった声で話し始めた。


「私は母ちゃんに言われて新田の竹道に抱かれた……。男ば知っちょる女は比布女にはなれんけんって……」


琴乃が涙声になって行くのがテツにはわかった。


「佐奈もテツとそげな仲になっちょるっちゃなかかって思っちょったとよ……。ほら、そうなれば村に比布女になれる女はおらんけん、こげな馬鹿げた風習は無くなるっちゃなかろうかって……」


琴乃は顔を上げてテツを見た。


「生贄欲しがる神様なんて、神様じゃなか……」


琴乃はそう呟くとまた顔を伏せた。


自分が同じ立場だったらテツも菊枝や琴乃と同じような事をしたかもしれない。

そう思うと何も言えなかった。


「お前らもそげん思っちょるとか……。こげな馬鹿げた風習なんて無くなれば良かって……」


テツは傍らに置いたぼた餅をもう一つ手に取った。


菊枝はテツを振り返る。

そして琴乃も顔を上げた。


「ウチは達吉んところに行くばってん。三年後には妹のハナが十五になるけん……。ハナもまた同じ目に遭うかと思うと……」


菊枝は目頭を袖で押さえながら言う。


「好きでんなか男に抱かれないかんような子、これ以上出しとうなかけん……」


琴乃は口を真一文字に閉じた。


「そうか……」


テツは手に持ったぼた餅を口に無理矢理放り込み、手に持った竹筒の水で流し込んだ。

そしてテツは立ち上がった。


「ばってん、俺は比布男たい……。佐奈を……比布女を山に連れて行く事しか出来んったい……。それに……」


菊枝と琴乃の視線がテツに刺さる。


「それに、比布女は生贄やなかとよ。山の恵みで生かされている人間から神様へのお返したい……」


テツは尻についた枯草を手で払った。


「そうやって村に残った人間たちは生き延びる事が出来るったい。俺も、お前たちも……」


テツは木の傍に立てかけた野菜の入った籠を背負う。


「お前たちのした事は生きるための事たいね。佐奈も恨んどらんやろうけん……」


テツはゆっくりと歩き出した。






十二月に入るとテツにも甘露様に奉納されたモノだけで作られた食事をとる。

そうやって禁忌の日に山に入る者は身体を清める。

比布女は甘露様の裏にある湧水で、毎日身体を清める。

冷たい湧水は佐奈の身体に掛けられると直ぐに湯気を立ち上らせた。

その湯気を村人は身体から邪気が抜けて行くと考えているようで、村の女たちに囲まれて裸の佐奈は何度もその冷たい水を肩から掛けていた。

その水垢離は山に入る前日まで続く。






やけに冷える朝、テツはその寒さで目を覚ました。


手拭を持って家の外に出ると、辺りは銀世界で、真新しい雪に草鞋が音を立てる。


「綺麗かね……。佐奈も見ちょるやろうか……」


テツは北の山を見た。

山も真っ白に化粧をしていた。


「雪たいね……。今年は厳しか比布男になるな……」


テツの後ろから声がした。

三造が同じように手拭を下げて立っていた。

そしてテツに微笑むと、井戸から水を汲み上げて顔を洗った。


テツも三造の横に来て顔を洗う。

その冷たさに顔が痛い。

しかし、こんな冷たい水で水垢離をしている佐奈の事を考えると感慨深いモノがあった。

手拭で顔を拭いていると、三造がテツに声を掛けた。


「後でお前に渡したいモノがあるとよ……。山に入る時に必要やけんが……」


三造はそう言うと家に入って行った。






三造はしっかりと刃の砥がれた鉈をテツに渡した。

その鉈は腰に下げる事が出来る様に猪の皮で作られた鞘に挿してあった。


「重たかったい……。こげな大きな鉈、何に使うとね……」


テツの腰に鞘を結びつける三造に文句を言う。


三造はニヤリと笑ってテツを見上げた。


「必要になる時が来るったい……。文句ば言わんと持っとけ……」


「ただでさえ佐奈ば背負って山に入るとに……。身軽な方が良かろうもん……」


テツは三造が結わえた鞘を外して囲炉裏の傍に座った。


「刃の砥ぎ方は鎌と同じたい。しっかり覚えとけよ……」


三造はそう言うと囲炉裏に下げた鍋に野菜を放り込んだ。






十二月十一日。

明日比布女を連れて山に入る。

テツからしてみれば比布女ではない。

幼い頃から一緒の佐奈を連れて山に入るのだ。

そしてその佐奈を山に残し、自分は村に戻り、今まで通りの生活をする。

そんな事が自分に出来るのだろうかと何日も考え込んでいた。


「オイも前の晩は一睡も出来んかったったい」


ふと、三造の声にテツは振り返った。


暮れた山間の村には山からの冷たい風が吹き下ろしていた。


「父ちゃん……」


テツの座る丸太の横に、三造は無理矢理座った。


「テツ……。佐奈ば好いとうとね……」


三造はテツと同じように村の風景を見ながら訊いた。


「うん……」


テツも普段なら照れて否定するのだろうが、今日ばかりはそんな気分ではなく、素直に答えた。


三造はニッコリと微笑むと頷いた。


「俺も、比布女になった桜ば好いとったけん、胸ん痛かった……。ほんなごつ、桜ば山に置いてこないかんっちゃろうか……って最後まで考えとった……」


「うん……」


テツはその三造の語る苦しみが良くわかった。

テツ自身も今、同じ事を考えているからだった。


三造はテツの肩を力強く叩いた。

その音は暮れた村に響くかの様だった。


「明日は早かけん……。今日は早く寝るとぞ……」


そう言うと立ち上がる。


「明日の事は明日考えろ……。それが今、オイがお前に言ってやれる唯一の言葉たい……」


三造はゆっくりと歩いて家に入って行った。


「うん……」


テツは家に入って行った三造に小さな声でそう返事をした。






翌朝、いよいよ山に入る日だった。

約四十日ぶりに佐奈に会う。

夜が明ける前にテツは甘露様の境内に向かった。

腰に三造にもらった鉈を下げ、白装束姿で立っていた。

寒さで吐く息が白く、集まった村人たちも神妙な表情で白い息だけを吐いていた。


そこに輿に乗せられた佐奈が、テツと同じ様な白装束で現れた。


「佐奈……」


久しぶりに見た佐奈の横顔に思わず声が漏れた。

佐奈もテツに気付き、力なく微笑んだ。


白木で作られた佐奈を乗せる背負子を三造に手渡され、テツはそれを背負う。

そしてゆっくりと村人が囲む佐奈へと近付いた。


「テツ……」


佐奈はテツの名を呼ぶ。

そして化粧された頬を涙が伝う。


テツは涙を流す佐奈に掛ける言葉が無かった。


「テツ」


三造が背後からテツを呼び、テツは振り返り、三造の傍に歩み寄る。

三造は解けたテツのズンベの紐を結び直した。

そしてテツの耳元に口を近づけた。


テツは三造に微笑んで力強く頷くと、小走りに佐奈の前に立った。


「佐奈……。行くぞ……」


そう言うと佐奈の前に背を向けて座る。

佐奈は両側を支えられるとその背負子にゆっくりと座った。






山の入り口にある鳥居までは村の者たちも明かりを持って着いて来るが、その鳥居から奥には入る事は出来ない。


テツはゆっくりと村の者を見渡して頭を下げた。


「じゃあ、行ってくるけん……」


そう言うと鳥居を潜り、まだ暗い山の中へと入って行った。


山にはよく足を踏み入れ、慣れた場所でもある。

しかし神を祀る山頂へはテツも行った事は無かった。


少し山を上ると、村の者たちが引き返していく明かりが見えた。


「寒くなかか」


「重くなか」


テツと佐奈は相手を思いやり、同時にそう訊いた。

そして二人で笑った。


「私は大丈夫ばってん……」


佐奈は白い息を吐きながら言う。


「俺は重たくて仕方なか……」


テツはそう言うと笑った。


「甘露様の食べ物は美味かったけんね……。ちょっと太ったかもしれんね……」


佐奈は囁く様に言うと笑った。


「お前、自分で歩け」


テツはそう言うと背負子をゆっくりと下ろした。


「ちょっと……。良かとね……。比布女を途中で降ろすなんて」


突然降ろされた佐奈は慌ててテツに言う。


「太った比布女は神様もいらんって言わすたい」


テツは背負子を大きな木の傍に隠す様に置いた。


「神様がいらんって言わすような女になったら比布女なんてせんでよかっちゃろうか……」


背負子を木の枝で隠すテツは、その言葉に手を止めた。

佐奈のその言葉がテツの胸をえぐる。

しかしテツはその言葉に答えず、佐奈に手を差し伸べた。


「さあ、行くぞ……。もうすぐ夜が明けるけん……歩きやすくなる」


佐奈は小さく頷くとテツの手を握った。


雪の上を歩く二人の白装束の裾は濡れて汚れていた。


夜が明け、山の木々の間にも光が差し込んで来た。


「もう少し行ったら、休もう。確か小屋のあるけん……」


「うん」


二人は一時も手を離さずに薄らと雪の残る山道を歩いた。


テツの言う通りに木こりの使う小屋があった。

その小屋にも前もってお神酒が供えられ、比布女たちの休憩場所として準備されていた。


二人はその小屋に入り、火種を囲炉裏にくべた。

炭壺から炭を取り出すとテツは手際よく囲炉裏に放り込んだ。


テツは濡れた白装束を脱ぎ、小屋の片隅に放り投げる。

そして薪の上に置いてあった着物を取ると、佐奈の前に投げた。


「佐奈……。着替えろ……」


佐奈はその着物を拾うとじっと見つめた。


「どげんした……。風邪ひくぞ……」


佐奈はじっとテツを見つめる。


「あ……俺が見とうけん、着替えられんとか……」


テツは佐奈に背を向けて座り直す。


「これで良かか……」


佐奈は「うん」と答えると濡れた白装束を脱ぎ、裸になった。

狭い小屋は囲炉裏の火で暖まって来た。


「この後、どげんすると……」


佐奈は脱ぎながらテツに訊く。


「どげんって……。決まっとろうもん。頂上まで行く」


佐奈は全裸のまま手を止めた。


「逃げるっちゃなかと……」


その小さな落胆したような声を背中越しに訊きながらテツは囲炉裏に小枝を放り込む。


「俺は逃げん……。逃げたっちゃ何も変わらんけんね……」


「そう……」


佐奈は蚊の鳴くような声でそう言った。


「もう良かよ……、こっち向いても……」


佐奈の声にテツは振り返った。

そこには一糸纏わぬ裸の佐奈の姿があった。


テツは動揺して目を伏せる。


「何ばしよっとか……。早よう着物ば着んか……」


裸の佐奈はゆっくりとテツの傍に歩み寄る。

そしてテツの前に座り込んだ。


「テツ……。私ば汚して……。そしたら比布女にならんで済むっちゃろ……」


テツは佐奈から顔を背けた。


「馬鹿なこつば言うな……。そげんこつ出来る訳なかろうが……」


テツは目を強く閉じたまま言う。


「だったら……だったら、私ば見て……。私の姿ば忘れん様にしっかり見て……」


佐奈はゆっくりと立ち上がり、両手を開く。


テツは躊躇いながらも顔を上げて、ゆっくりと目を開けて行った。

佐奈の白い身体がテツの視界に入ってくる。


「私の身体、綺麗……」


テツは目を逸らして頷く。


「目ば逸らさんどって……。しっかり見て……」


強い口調で佐奈はテツに言った。

テツは再び佐奈の身体を見る。


「綺麗かよ……。佐奈……」


その言葉に佐奈はテツの頬を胸に抱いた。


「私、テツが好き……。テツと生きたか。神様なんて……村なんてどうなってん良か……」


佐奈の涙が腕に落ちる。

テツはその佐奈の身体をゆっくりと離した。

そして床に落ちる着物を拾うと裸の佐奈の肩に掛けた。

テツは涙を流す佐奈の顔をじっと見つめて首を横に振った。


「神様に会いに行く……。俺はそう決めたけん」


テツは力強く佐奈を抱きしめた。

そして佐奈の白い胸に唇を着けた。






山は途中から岩になり、極端に足場が悪くなった。


「佐奈……。手ば離すなよ」


テツは強い風の中で、佐奈の手をしっかりと握りしめていた。


「うん」


流れる髪を掻き上げながら佐奈は必死にテツの手を握っていた。

雪で滑る足場のせいで、二人とも疲れ切っている様だった。


やっとの思いで登り切った岩場の上に腰掛け、二人で息を吐く。


「ほら、飲め……」


テツは竹筒を佐奈に渡した。

佐奈はそれを受け取ると口を着けた。


それを見てテツはゆっくりと立ち上がった。


「神様なんて、本当に居るっちゃろうかって考えたとよ……。人間は困った時にだけ神様、神様って神様に頼って、そのお返しばせんといかんって比布女を捧げるなんて事ばする。ばってん、そげんこつば神様は望んどるんやろうか……。神様ってのは、人間が幸せに暮らせるように見守ってくれているモンじゃなかとやろうか……」


テツは佐奈の手を引いて平らな岩場を歩いて行く。

佐奈は黙ってテツの言葉を聞いている。


「神様が人間に何かを求めるって事があった時、それはその人間に対して不満がある時じゃなかろうか……」


山の斜面を這う様に流れる濃い霧の向こうに、小さな祠が見えて来た。


「ほら、あれが神様の正体たい……」


二人はゆっくりとその祠に近付いた。

祠の周りには無数の人骨が散らばっていた。


「この骨たちは皆、佐奈の様にここに連れて来られた十五の比布女たちたいね……」


テツはその祠の前に膝を突いて手を合わせた。

佐奈も同じ様に手を合わせる。







「お前ん手で、終わらせて来い」


三造はテツの耳元でそう囁き、腰に下げた鉈の鞘をポンポンと叩いた。


「うん」


テツは力強く答えると三造の顔を見た。

 





テツは腰に下げた鉈を鞘から抜いた。


「テツ……」


佐奈はテツが何をしようとしているのか察しがついた。


「下がってろ……佐奈……。一人でも不幸な人間ば生む神ならおらん方が良かとよ……」


テツはそう言うと祠にその鉈を振り下ろした。

風化した祠は簡単に砕け、中に祀られる小さな鏡と盃が露わになった。


「村がどげんなったっちゃ、山がどげんなったっちゃ、俺は佐奈ば守るけん。それが人間のあるべき姿たい」


何度も何度も祠に鉈を振りおろしながらテツはそう言った。


「これが、俺のお返したい」


最後に粉々に砕け散った祠を足で蹴り、跡形もなく破壊した。


「テツ……」


佐奈は涙を流しながらその光景を見ていた。


テツは鉈を鞘に戻し、佐奈の傍に歩み寄った。


「これでこげんな悪しき風習は終わる……」


テツは足元に転がった真っ白な盃に足を踏み下ろし、粉々に砕いた。


「どげんするね……。村に戻るね……それともどこか遠かところで二人で暮らすね……」


テツは佐奈に微笑んだ。


佐奈は涙を拭いながら、顔を上げた。


「テツと一緒ならどっちでん良か」


佐奈はテツに飛び付く様に抱き着いた。






ニイやネエやの手を引いて


海の向こうに


行ったとさ


山の神様


微笑んだ








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