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静眼の令嬢~剣術学院で受けた無礼を静かに引き裂く~

作者: 森野

 クラリス・ヴェルディアは、午後の読書を中断させた来客に、ほんの少しだけ眉をひそめた。



 客室には、クラリス、使用人のソル、メイド。

 客は三人。中年の男と、一緒にやってきた、剣を携帯している男二人だ。


「いやはや、お噂はかねがね。美しさと強さを兼ね備えた令嬢とは、なかなかにお目にかかれませんな!」

 三十代中頃と見える男は、椅子に腰を下ろすなり調子のよい口調でそう言った。


 王国剣術学院の学院長である彼は、ドメル・グレイシャーと名乗った。カップの茶をひと口含むと、満足げにうなずく。笑顔を浮かべて話をすることにも慣れているようだ。

 それほど体格は大きくもなく、着心地の良さそうな服ではあるが、一緒に来ている二人のように、服の強度もない。

 弱点を隠すような身のこなしもない。


「おほめいただき、光栄です」

 クラリスは淡々と言った。笑顔もなく、冷淡な対応に見えてもおかしくない。

 だが事前情報を入れていたのか、学院長ドメルは動じなかった。


「ぜひ、我が学院に一度、お越しいただきたく」

「父からも聞いておりますが、私には難しいのではないでしょうか」

「なにをおっしゃいますか!」

 ドメルは大げさに手を広げた。


「わたしの願いは、このような美しさと、強さは同居するのだと、世の女性たちにも知らせたいのです!」

「しかし」

「そんなに難しいことではありません。ただ見学に来ていただくだけでよろしいのですよ」

「父には、学院で模擬戦をやるようにと言われておりますが」

「いやいや、それは、そうしていただけたら素敵だな、という話のひとつであって、絶対にというわけではありません! ケガなどさせられませんから! ……ひとつどうでしょう、お父様のお仕事にも関わるお話ですし……?」


 結局のところは、そういうことだ。


 父が出張に出かける前に、クラリスはこの件について聞いていた。

 こうした、設立から200年以上も経っている学校との取り引きは、非常に安定した収入になるのだという。

 これまで取り引きをしていたところは戦争関係の仕事に手を広げていった結果、王都との取引先にふさわしくないと手が切れ、新しい取引先をさがしていたらしいのだ。

 といっても、ヴェルディア家は武器防具を扱うわけではなく、日用品についての取引だ。


 クラリスとしても、父の手助けをできるのならばそうしたい。

 だから最初は難色を示し、相手が強く要求してくるようなら受ける、という計画を立てていた。


「本当に、見学だけでかまいませんか?」

「もちろん! はは、結局、戦いは男の仕事ですから!」

 ドメルの笑顔に、クラリスは作り笑顔で返した。


「そういえば、以前に、そちらの学校の卒業生という方がいらっしゃったような」

「ええ! トレントという者ですが、彼があなたを見て、立ち姿が美しい、実に様になっているとほめていましてね! わたしとしても、なるほどと、深く納得をしたのですよ!」

 クラリスは、使用人のソルが口を開いたのを感じた。

 しかし黙っていたので、安心した。


「では、一度見学にうかがいます。私も、どのような学校なのかすこし興味があります」

「そうですか! いや、すばらしい! ではさっそく、明後日でいかがでしょう」

「かまいません。それとひとつだけよろしいですか?」

「なんでしょう」

「父は、学院長とは昔からの仲だと言っておりました。失礼ですが、それにしてはお若いような」

「ああ、わたしは息子です。父から、ヴェルディア様はすばらしい人間だとよく言われていますよ!」

「そうですか」


 彼らが帰ってから、ソルがクラリスに近づいた。

「お嬢様、よろしいのですか」

「なにが?」

「彼らは、お嬢様を見世物としか考えていません」


 それは強く感じていた。

 彼らはクラリスの、剣術、のようなものをたしかめたいとも思っていなかったようだ。卒業生だという男も、ろくに見ていなかっただろう。


「それでもいいの。お父様のお仕事のお役に立てるのだから」

「しかし、お嬢様は本当に」

「力をひけらかしたいわけではないもの」

「それに、彼は旦那様との関係が深い方ではない。剣術の勉強もしていないようなあの学院長で、なにがわかりますか」

「私には、あちらのことはわからない。私は私のすべきことをするだけです」



 王立剣術学院。

 王都の敷地内でも小高い丘の上にあり、白い外壁は街の中でもひときわ目立つ建物だった。

 石造りで、門には剣が交差した紋章が刻まれている。

 振り返ると、王都の様子が一望できた。


「お嬢様」

 クラリスと一緒に来ていたソルが言った。

 建物から出てきたのは、ドメルだ。

「ようこそ、王立剣術学院へ! やあ練習着姿もお美しい!」

 剣術学院に来るということでドレスではなく、クラリス、ソル、ともに学院指定の練習着で来ていた。


「では、参りましょうか!」


 建物は三階建てで、寮や、座学を勉強する教室も含まれているという。

 近くを歩いていく生徒がドメルに頭を下げる。鍛えられた筋肉と、油断のない目つきが印象的だった。

 男性が多く、クラリスに対する視線は全身をたしかめるようなもので、気持ちの良いものではなかった。


「すみませんね、美しい女性は気になってしまうのですよ」

 ドメルは笑った。

「女性はいらっしゃらないのですか?」

「もちろんいます! ただ、やはり女性ですからね。限界はありますよ!」

「そうですか」

「なんのなんの! 女性はできることをやっていただければよろしい!」

 ドメルは大きな声で笑った。


「次は、練習場の様子を見ていただきたいのですが、ちょうど休み時間でして。すこしお待ちいただいても?」

「かまいません」

 控室に、と用意された部屋にクラリスとソルが入った。


 ポットにお茶が用意されていた。

 飲んでみると常温のお茶で、香りが豊かだ。甘みと、塩分も感じる。これが正しい温度のようだ。

 クッキーもあったが、これもすこし味わいが違う。

 どちらも先にソルが食べた。


「どちらも運動後によさそうですね」

 ソルは言った。

「そうなのね」

「練習を見て、それから応接間で話をして今日は帰ります」

「ええ」


 そのとき、部屋の外から声が聞こえてきた。

 廊下とは逆、裏庭側からだ。


 クラリスはそっと近づいた。

「おいさっきの女見たか?」

「見た見た。けっこうかわいかったよな」

「なんか、自己流剣術やってんだってさ」

 二人は笑った。


 生徒だろうか。授業をさぼっているのかもしれない、とクラリスは思った。


「あー、家庭教師のバイトで行ったことあるわ。金持ちってそういうのやりがちなんだな」

「本当に強いと思ってんだろうな」

「聞いてくれよ、そいつさ、おれが目の前で振ってやっても違いがわかんねえんだよ。お見事ですね、とか言いながら、自分と変わんねえと思ってんの」

「じゃあ今日の女も?」

「だろ?」

 笑う。


「そういやさっきの女、王太子に婚約解消されたんだってよ」

「あ! おれ、新しい相手見たことあるわ。平民だけど、すげえかわいくて性格良さそうだった」

「あー。さっきの、性格悪そうだったもんなー。やっぱ、金持ちってだめだな」


「ソル」

 クラリスは、外に聞こえないようささやくように言った。

「なにか?」

「気にしないで」

「していませんが」

 ソルは無表情で、冷静そのものに見えた。

 しかし右手がかたく握られている。

「もうすこし、お茶をいただきましょうよ」

 クラリスは言った。



 ドメルがもどるとクラリスたちは控室を出た。

 廊下を進んでいくと、声や、なにかがぶつかる音が聞こえてくるようになった。

 屋外に出ると、広場ではたくさんの生徒が声を出し、剣を振っていた。50人くらいはいるだろうか。


 指導役がなにか大声で言い、木剣で素早く動く。

 すると生徒たちは一糸乱れぬ動きで同じように動いた。

 向かい合った生徒は、一方に向かって力強く斬り込んで、受ける生徒の木剣が折れるのではないかという音がしていた。


「活気がありますね」

「ええ! この中から、王都の重要な職につく兵士も大勢生まれますよ」

 

 ドメルが指導役に声をかけると、号令がかかった。

 いっせいに生徒たちが剣をおろし、クラリスに対し二列で整列した。

 体から立ち上る熱が見えるような、鍛えられた肉体の男たちが、クラリスに鋭い眼光を向けていた。彼らの弱点が見えていなかったら、クラリスはすっかり気圧されていただろう。


 冷やかすような笑みを浮かべた者もちらほらいる。軽薄さも隙に見え、クラリスは安心した。


「本日は、お招きにあずかり感謝しております。これから、こちらの学院とヴェルディア家が、長く良好なお付き合いをさせていただければ幸いです」

 クラリスは一礼した。


「やあ、すばらしい」

 ドメルが手を叩くと、生徒たちも手を叩く。

 動作自体はそろっている。しかし、そういう手順になっているからと言わんばかりの、興味なさげな態度だった。


「では、私はこれで」

「剣を使うのではなかったのですか」

 生徒のひとりが言った。


「え?」

「クラリス様は剣が、お得意、だとうかがいましたが」

 表情こそ上品に笑みを浮かべているが、不必要に強調した言い方だった。

 やめろよ、ととなりの生徒が肘で小突く。半笑いだ。

 さっき聞いた声に似ている。


「どうして? ドメル学長、そうでしょう? ぼくらが彼女の剣に興味を持って、なにかおかしなことがありますか?」

 生徒は胸に手をあて、真面目くさって言う。


「フェン。今日はそういう場ではない」

 とたしなめているような口ぶりで、ドメルも笑いをこらえきれないと言った様子だ。


「彼女はわざわざ練習着を着ていらっしゃっている。こちらもそれなりの対応を見せなければ失礼だ。どうでしょう、練習試合など。もちろん、手加減はいたしますよ」

 フェンは、にい、っと笑った。


「貴様」

 ソルがこらえきれずに一歩出る。

「ああ! そちらの、使用人の方も挑戦されますか? 腕に覚えがありそうだ!」

「なにをするというんだ」

 ソルは近くのケースに差してあったにあった木剣を抜くと、フェンに近づいていった。


「剣の使い方を教えてあげますよ。どうぞ、好きなように打ち下ろしてください」

 フェンは自分の木剣の真ん中あたりを持つと、ふざけたようにくるくると回転させた。


「いいだろう」

 ソルがそのまま出ていく。

 と、急に剣を振る。あと一歩進みそうなタイミングで、一歩早い、と思ってしまうような。


 最後の一歩が速く、大きい。

 斜めに鋭く、フェンの肩を狙っていた。

 乾いた音がして、ソルの剣とフェンの剣が交差する。


 次の瞬間、ソルの剣は勢いを保ったまま流されていた。体勢を崩したソルが前のめりになり、こらえきれずに前転して地面を転がる。


「ああ、なかなかやりますね! 鋭い剣筋でした、おどろきましたよ! 使用人にしておくのはもったいない!」

 フェンは涼しい顔で見下ろしていた。

 しかし、褒めているフェンに同意する生徒も何人かいた。ソルの剣自体は使用人の粋を超えている、というのは間違いのない意見のようだった。

 それだけに、その剣を、苦もなくふざけ持ち方で止めてしまったフェンの力が、さらに際立つ。


「どうです? 学院に入学されますか?」

「やめろよ」

 生徒同士で笑いが起きる。


「おい、やめないか」

 と言うドメルもすでに笑みを隠そうとしていない。


 もどってきたソルは剣をケースにもどした。

 クラリスはその剣を抜いた。


「お嬢様?」

 ドメルが意外そうに言う。


「せっかくなので、私の剣も受け止めていただこうかと思いまして。女の剣ですから余裕がありますでしょう? よほど、見ているだけで楽しめる受け方をしてもらえるのではないかしら?」

 クラリスは微笑んだ。


「おやおや、こいつはハードルをあげられてしまったぞ!」

 フェンがおどけて言うと、生徒たちが笑う。


 クラリスは進み出る。

 決まった構えというものはとらない。ただ形を固定しないことが有効だと学んでいた。


 剣の先を上げたり下げたり、手の位置を上げたり下げたり、相手に対して右から、左から、そうやって形を変えると、相手の弱点の位置も変わる。キラキラと見る角度によって輝きを変える、朝露に濡れた植物のようだった。


 フェンの体には、濃く見える部分が極端に少ない。

 技量は確かなのだ。


 クラリスが剣の間合いに入ったが、フェンの体は弱点を隠そうともしていなかった。


 クラリスはまっすぐ、剣先をフェンの胸に向けて突いた。


 フェンは、なるほどと言わんばかりに、素早く剣を回転させて、クラリスの剣の先を自分の剣の先で受けようとする。

 それは助かる。


 あたる寸前、クラリスは手首を素早くひねった。

 剣が剣にまとわりつくような動きをし、それを追うようにフェンも動かした。しかし完全には追いきれない。

 剣の先の先、そのすこしだけずれたところに剣の弱点があった。さっきまではごく小さかったが、ソルの一撃を受けたことで、はっきりと濃くなっていた。


 ピンポイントでクラリスが突く。


 クラリスの剣の先が、フェンの剣に食い込み、えぐるように突き進む。

 そのまま木剣は耐えきれず、細長いつぼみが花弁を開くように、中ほどまで三つに裂けた。


「あら、素敵ね」

 クラリスは言って、剣をケースに返すと、あっけにとられた生徒たちを放置し、ソルを連れて帰った。



「お嬢様」

 翌日の昼食後、クラリスがお茶を飲んでいると、ソルがやってきた。


「なに?」

「あの、剣術学院の方がいらっしゃっているのですが」

「え?」

 苦情だろうか。

 まだ父は帰宅していない。父への報告だけでも頭が痛かったのに。

 クラリスはため息をついて、席を立った。


「もうしわけない!」

 玄関ホールに到着すると、急に白髪の男性が床にはいつくばるようにした、クラリスは仰天した。


「バカ息子が、お嬢様に失礼を!」

「お、おやめください」

 クラリスはやっと正気にもどって、彼を立たせた。


 彼が剣術学院の前学長であり、ドメルの父、レイン・グライシャーだった。

 レインは60代であろうが、筋肉が服を破りそうなほど盛り上がっており、興奮していて顔は真っ赤だった。

「本当に申し訳ない! 大っ、変な失礼を!」

「いえ、私もつい、必要のないことを」

 クラリスは、ちらりと、レインと一緒に来ている男を見た。


 フェンだ。

 なぜ彼がここに。

 恨みに思っているのだろうか。


「彼は?」

 ソルが冷たく言った。


「謝罪と、お願いに参りました」

 フェンは無表情にも見える、冷静な様子だった。


「謝罪は必要ないことですが、お願いとは?」

「わたしに、剣を教えていただきたい」

「は?」

 クラリスの頭に、言葉の意味が入ってこなかった。


「わたしはこれまで、自己流の剣など学ぶ価値のないものだと思っていました。しかしあなたの剣は、見たこともない、類を見ない剣だ」

「いえ、困ります……」

 クラリスはレインをちらりと見た。


 レインはまた床に手をついた。

「こいつは大変失礼な男だが、剣に関して嘘はなく! 誠実である! うちの学校の最高傑作と言われる存在になるかもしれんのです! どうか、クラリス殿!」

「や、やめてください!」

「どうか!」

「あの、では、父がもどってから、お話をするということで……」


 二人が帰っていくと、クラリスは深くため息をついた。

「はあ……。どこか遠くへ行きたい……」

「! お、お供しましょうか!」

 ソルが言う。


「悪いわよ……」

「いえ、お嬢様のお力になれるのでしたら、苦はありません!」

「はあ……」


 クラリスは、本気で、湖畔の小さな家でひとり、静かに暮らせないだろうか、と考えていた。

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