8、第1階層、懐かしい草原
「随分と長い階段ね。それに、なぜ、真っ直ぐじゃないのかしら」
僕達は今、テントの奥に出現したダンジョン1階層への薄暗い階段を、ゆっくりと降りている。案内担当のカナさんが言うように、確かに長い。だが少しずつ暑さがマシになっていくから、苦ではない。
「僕に聞かれても、わかりませんよ。僕が異世界で潜った洞窟の階段に似ています」
「あぁ、なるほどね」
(僕に説明はしないのか)
長い階段を降りていると、異世界での光景が鮮明に蘇ってきた。
カルマ洞窟の最深部に繋がる長すぎる下り階段は、今思い出しても冷や汗が出てくるほど、過酷だった。
数十段を降りると壁に突き当たり、踊り場があった。その壁の中や折り返しの階段には、必ずと言っていいほど敵がいた。
あの厄災が洞窟内に放つオーラは、すべての魔法を封じたから、足で降りるしかなかったんだよな。僕達が通り過ぎた後から襲ってくる敵もいて、あの長い階段で何十人やられたかわからない。
「こんなに1階層への階段が長いと、避難に困るわね」
「避難って何ですか?」
「バスで説明がなかったの? 迷宮の1階層は、災害時の避難用に利用したいのよ。迷宮特区は、去年の夏も大勢の避難者が押し寄せたわ」
「台風ですか」
「ええ、大きな台風が直撃すると、旧湖岸沿いの企業迷宮は簡単に壊される。中にいる人は熱風で即死よ。だから迷宮特区に押し寄せてくるの」
「じゃあ、階段の幅がこれではマズイですね。ただ、踊り場はある方がいい。転落したときに大変なことになりますから」
僕が考えただけで、階段の幅はグーンと広がった。そして左右だけじゃなく、中央にも手すりが現れた。
(おっ、面白い!)
「へぇ、器用なことをするわね。上りと下りの人の流れを分けたのね。だけど踊り場は危険なのよ? 人が集まりすぎると……ん? 何、これ?」
「階段を上がるのは辛いだろうから、適当に横に空洞をくっつけて休憩場所を作りました。人が密集したときの逃げ場にもなるかと」
「石のベンチまで作ったの? ほんと器用ね。魔力切れで倒れるわよ? まだ、アンドロイドを接続してないんだから、倒れられたら困るのよ」
(身勝手だな)
彼女は無意識なのかもしれないけど、ダンジョンのことしか心配してない。まぁ、僕の心配をされても、煩わしいだけだが。
「そういえば、バスに乗り込んで来たとき、アンドロイドを決定すると言ってましたね。その後の説明はなかったですけど」
「ダンジョンコアにアンドロイドを接続するのは、私達の仕事なのよ。いわゆる保険ね」
「保険?」
「ええ。迷宮特区で、主人の死後にスタンピードが発生すると、大変でしょ。プロテクターもあるけど、念のためよ。主人が不在時に代理を務める機能もあるわ」
「留守番ロボみたいな感じですか」
「ロボットではなく、アンドロイドよ」
(あっ、明るい)
最後の折り返しの先は、カルマ洞窟へ繋がる名もなきダンジョンにそっくりだった。僕の異世界での記憶から作り出したのか。
「やっと着きましたね。なんだか懐かしいな」
青い空に白い雲。太陽はないのに、昼間と変わらない明るさ。そして、広がる草原には色とりどりの花畑もあり、小川が流れている。気温もちょうどいい。暖かい春のような感じだ。
(あれ? 反応がない)
「カナさん? あっ、カナちゃん、どうしました? 天井が高いから、階段が長かったんですよ」
「み、みず」
「ミミズ? どこですか?」
「違うわよ! 水よ、水! なぜ川があるの? それにこんな空、一体どういうこと?」
案内のカナさんは、呆然と立ち尽くしている。
(そうか、水は貴重だった)
「僕の記憶から、これが作り出されたようです。異世界で訪れた、名もなきダンジョンの最下層にそっくりですよ」
「なぜ、迷宮内に川があるの?」
「さぁ? 異世界では、精霊が作り出していたみたいですが、このダンジョンの仕組みはわかりません」
「飲めるのかしら?」
「名もなきダンジョンでは、普通に……」
僕の話は聞かずに、彼女は小川へと近寄っていき、何かの魔法を放った。サーチ魔法だろう。そして、水の中に手を入れ、ヒュッと引っ込めた。
(あー、冷たかったか)
確か、名もなきダンジョンの小川の水は、氷のように冷たくて、赤の魔王ラランも、びっくりして手を引っ込めていたっけ。耳や尻尾もピンと立っていて、皆で笑ったんだよな。
(元気にしてるかな)
呆然としているカナさんの横にしゃがみ、僕も川の中に手を入れた。そう、こんな感じだった。雪解け水のようだと、誰かが言っていたっけ。
僕は、手で水をすくって飲んでみた。
(うん、美味い!)
砂漠を移動してきたせいもあるけど、山の湧き水のような美味しさは、身体にしみ渡る。
カナさんも水を飲んでいた。そして恍惚とした表情で、また固まってる。
(気に入ったらしい)
僕は立ち上がり、1階層をぐるりと見回してみた。左奥の方に何かが光って見える。たぶん、ダンジョンコアの魔道具だ。1階層に移動したんだな。
(広すぎないか?)
僕の区画は、ここよりかなり狭かったと思う。それにあの台座は、テントの中央にあったはずだ。
「カナちゃん、隣りのダンジョンにぶつかってしまわないですか? テントの区画から考えると……」
「それはないわ。帰還者迷宮は、異空間に広がるから。企業迷宮は設計時に配慮するけど」
「それならよかったです。ダンジョンコアは、あっちみたいですよ」
「あ、あう、そうだったわね。仕事を忘れるところだったわ。ダンジョンコアは、最下層に移動するの。やはり、これだけ1階層が広いから、まだ2階層は出来てないわね」
魔道具に近づくと、何かの結界を通ったような感覚があった。ダンジョンコアが潰されると、大抵のダンジョンは崩壊する。だから結界で守られているようだ。
案内のカナさんは、ロボット掃除機のようなものを台座の上に置いた。あれがアンドロイドか?
そして軽く頷くと、僕の方を振り返った。
「キミの迷宮は特殊だから、学習に時間がかかるみたい。接続が完了するまでは、絶対にここから出ないでね」
「はぁ……」
「明日、また様子を見にくるわ。じゃ、よろしく」
そう言うと彼女は、小川をキラキラした目で見つめながら、長い階段へと戻って行った。