192、生まれ変わりの実がなる荒野の話
「そんな、無理しなくていいんだよ?」
僕がそう言うと、アントさんの眷属の彼は、ふわっとした笑みを見せた。
(初めて笑ったな)
「無理はしていません。正直に申し上げると、魔王の命令だから仕方ないと思っていました。転移者のダンジョンの階層ボスになれと言われたときは、私が、ただのビィだからだと感じました」
「そっか、やはり嫌だったよね」
「こちらの世界に来るまでは、なぜ私にそのような役目を命じられたのか疑問でした。ただのビィの中では最強の改良種であると、自負しています。だから、その……」
「転移者に仕える立場になることが、キミのプライドを傷つけたかな」
僕がそう尋ねると、彼は、静かに深々と頭を下げた。蟲は真面目で正直な個体が多いよな。
「ですが、長距離転移の光が収まった後、私の疑問は吹き飛びました。ケント様は、私がイメージしていた転移者ではなかった。私より強いと感じました。しかも、魔王アント様が、とても楽しそうに微笑まれていた。私は、魔王が大切にしている弟子に預けられるのですね」
「えっ? あー、確かに、僕は剣術をアントさんから教わったよ。弟子入りしたわけではないけど、親しくしてくれている」
「師弟関係というより、親子関係、いや兄弟でしょうか。魔王が、氷湖を楽しそうに滑る姿を見て、私は衝撃を受けました。私より強きモノは多い。ですが魔王が心を開く相手は、非常に少ないのです」
(これが、眷属の感覚か)
アントさんが創るすべての眷属には、血の繋がりやマナの繋がりがある。そして絶対に裏切らない。彼らの視点から見れば、魔王という存在は、尊い絶対君主なのだろう。それにアントさんは、クールでカッコいいもんな。
そんな魔王が、僕の頭をわしゃわしゃ撫でたり、競争しようと言ったり、勝ってドヤ顔をしたりすることが、彼に引き継がれた一族の記憶にも無い行動だったのか。
「そっか。だからアントさんは、今日はやたらと、僕を子供扱いしてたのかもね。キミに、キチンと認めてもらいたかったのかな」
「そんな、私は、ただのビィですから……」
「でも、アントさんが僕に眷属を託すのは、キミが初めてなんだよ? しかも一緒に外出できるようにするなんて、かなり大変だったと思う」
「そうですね。私の一族が驚いていました。ただのビィが、ここまで強くなるのかと。あっ、魔剣を極めたケント様の魔力を利用したためですね! 私の戦闘力は、ケント様の10分の1。すなわち、私の10倍の戦闘力があるなら、ケント様は魔王レベルです!」
アントさんが、僕の10分の1の戦闘力に設定したと、わざわざ言っていたのは、このためか。眷属の彼が納得していないことを知ってたんだな。
「キミはまだ聞いてないかな? 僕には死後の転生予約があるんだ」
「転生予約、ですか?」
「そう。白の魔王フロウがね、アントさんとラランと僕に、回路を繋いだんだ。僕の死後、魂が迷わないようにね」
ここまで話すと、眷属の彼は、また目玉が落っこちそうなほど目を見開いた。
「ケント様は、生まれ変わりの実がなる荒野で、生まれ変わるのですね! 魔王が生まれる地です! 私が生まれた草原の近くです! ただのビィが守る地です!!」
(生まれ変わりの実?)
そんな話は聞いたことがない。だが、彼が嘘をつく意味もないよな。
「僕は、厄災の封印まで生き残ったことで、魔王となる資格を得たみたいなんだよ。そっか、キミが知らないということは、秘密だったのかな」
「ただのビィは、生まれ変わりの実がなる荒野を守っています。だから、その日が近づけば、私達に知らせが届きます。私達は、すべての種族の中で最も数が多いので、新たな魔王の誕生を、すべての領地に知らせる役割を担っています」
眷属の彼は、めちゃくちゃ興奮しているようだ。真っ赤な顔で飛び跳ねている。
「そっか。あー、それでアントさんは、ビィを僕に預けようと選んだのかもね。それに僕の死後は、キミは階層ボスではなくなるから、帰還できるよ」
「そしてケント様は、生まれ変わりの実がなる荒野で、魔王として生まれるのですね! はぁ〜、楽しみです」
彼は、夢見心地な表情で、ウロウロと歩き回っている。僕が死ぬのが楽しみだと言われるのは、少し複雑だけど。
『あの、マスター、早く新たな階層を……』
白い猫が、しびれを切らしたな。
「キミ、本当に階層ボスになってもらっていいのかな」
「はい! 新たな魔王の前世のお手伝いをできるなんて、一族としても、最高の誉れです!」
「わかった。じゃあ、お願いするね。新たな階層は、僕のイメージから迷宮が作り出すんだ。ビィの棲家はたくさんあるけど、特別な敵って何かな? 階層にはモンスターも出現させるからね」
「私が最近まで居たのは、ダロ渓谷です。私達の巣の周りに作る蜜塚を狙ってくるのが、土のビィです。そして、卵を喰うのは、手長ビィです」
(ビィの敵は、ビィなのか)
「ダロ渓谷って、どんな所だっけ?」
異世界の地名は、全く覚えてないんだよな。渓谷は、あちこちに大量にあったから、見当もつかない。
「私達の蜜塚は、花畑にあります。砂地の道に、土のビィの巣に繋がる穴がたくさんあって、ダロ渓谷の横穴には、手長ビィの巣があります。どの魔王の領地でもないので、ビィの魔王が誕生するのではと噂されていて……」
「あーっ! わかった! ひぇ、あの渓谷で死にかけたよ。あのときは転移者しかいなくてさ。下から吹上げる風が、すべての魔法効果を打ち消して、谷底に落下している途中で、巨大なビィの大群に襲われたよ」
「その卑怯者は、手長ビィです。あの高さを落下すると、ほとんどの魔物は潰れて死にます」
「崖の上によじ登るのも大変だった。結局は、横穴から入って、洞窟の中を必死に進んだんだよ。向こう側の草原にたどり着いたときは、花の蜜を集める普通のビィが、かわいく見えたな」
「私達は、基本的に、他のビィとしか争いません。花の蜜を集めるのに忙しいので、他の種族は無視します」
(なるほど)
「じゃあ、普通のビィに、店を手伝ってもらうことは可能かな? 冒険者の休憩所も作りたい。あっ、もちろん、迷宮が作り出す架空のビィなんだけど、考え方は似てしまうんだ」
5階層のドワーフも、完全に異世界人の感覚を持っているからな。
「蜜や糖を与えれば、働くと思います」
「そっか。じゃあ、それでいこう。キミも、社に入ってくれるかな。これから、8階層を造るよ」
僕がダンジョンコアの台座にいる白い猫の頭に、そっと手を置くと、すぐにダンジョンコアの台座が淡い光を放ち始め、足元には迷宮のエネルギーが集まってきた。
超反抗期の白い猫は何も言わずに、台座と共にスーッと床に吸い込まれるように消えていった。
(いつもの説明はしないのか……)