144、ドワーフのブランデー
「本物の魔王? 何を言うてんねん! 比叡山の魔王の顔は、全部知ってるで。こんなガキはおらんわ」
カウンター内にいる眼鏡をかけた人が、即座に反応した。この人は、見え方が変だ。認識阻害系の術を使っているのか。
「おまえ、何もわかってへんな。比叡山迷宮の十二大魔王のことを言うとるんか?」
ユウジさんが反論すると、カウンター内にいた人は、僕達に何かのサーチ魔法を使ったようだ。ゾワリとする不快な感覚のサーチだ。
「十二大魔王様だけではない。他の魔王もすべて、比叡山にいる魔王全員の顔は、俺達ならすべてわかっていると言っているのだ」
僕の喉元に剣を突きつけている標準語の人は、十二大魔王様と、様呼びしている。
ユウジさんが挑発的な笑みを浮かべながら、カウンター席の端に座る白髪の男性の方に近寄っていった。
「アンタがこの店で一番偉いみたいやな。十二大魔王のひとりなんか?」
(えっ? 白い髪の魔王?)
白髪の男性は、ユウジさんに鋭い視線を向けた後、ふーっと息を吐いて、口を開く。
「おい、剣をおろせ。床が血で汚れるのは見たくない」
「ですが、その無神経な男が……」
「ワシが、剣をおろせと言っている」
白髪の男性が低い声でそう言うと、僕に剣を向けていた標準語の人は、剣を鞘に戻した。
ユウジさんが指摘したとおり、カウンター席の常連客風の白髪の男性が、一番の権力者なのか。
「このブランデーの中身がどうのと言っていたな?」
「あぁ、偽物や。中身がすり替えられとるで」
白髪の男性は、さっきユウジさんが指摘したボトルを開けた。すると、カウンター内にいた眼鏡の男性がすぐに、グラスを渡している。
コポコポとグラスに注がれた琥珀色の液体。だが、香りはしない。5階層で作っているブランデーは、魔法で熟成させるから、蓋を開けた瞬間、ぶわっと強い香りが漂うはずだ。
グラスを傾けた白髪の男性。いつも飲んでいるブランデーの味なのだろう。ユウジさんに鋭い視線を向け、口を開く。
「別に、何もおかしな味はしないが?」
「ふぅん、ほんなら、ここに納品されとる酒は、どこかで細工されとるんやな。本物を知らんから、気づかへんねん」
ユウジさんはそう言うと、魔法袋から、ブランデーを取り出した。2階層の居住区で売っているから、いつの間にか手に入れていたようだ。
「これが本物や。色がちゃうやろ。サーチしたけど、アンタが飲んでるんは、麦から作ったウイスキーやで。それは、ブランデーのボトルやから、匂いが混ざっとるんかもしれんけどな。ブランデーはブドウから作るんやで」
「何だと? 開けてみても?」
「あぁ、ええで。それは、迷宮特区にある天然水の川があるダンジョン、いや迷宮で作られたもんや。2階層の居住区で、めっちゃ並んで買うたんや。麦は企業迷宮で量産されてるらしいけど、ブドウは貴重品やろ」
(並んだのか……)
白髪の男性がブランデーの蓋を開けると、店内全体にブランデーの香りが広がった。
カウンター内にいた眼鏡の男性が驚いた顔をして固まっている。白髪の男性に促されて、新しいグラスを出した。
コポコポと注がれると、華やかな香りが広がる。間違いなく、ドワーフ達が作っているブランデーだな。
グラスを傾け、ブランデーを口に含んだ白髪の男性は、大きく目を見開いた。
「こ、これは、何とも芳醇な香り! 異世界で飲んだ高級ブランデーに似ている。こんなに素晴らしい逸品だったのか! 物の値段が、いやそもそもの食料事情がおかしくなっているから、ブランデーの瓶にウイスキーを詰めて販売されても、こんなものかと納得していた。この逸品は、ワシが買い取らせてもらっても、構わないか?」
「買い取りでもええけど、高いで? 1本100万円もしたからな。それプラス、俺が小一時間並んだ手間賃も上乗せや」
「えっ? 100万円!?」
すると、カウンター内にいた眼鏡の人が、大きな声を出し、タブレットの操作を始めた。
(高すぎるよな)
貨幣価値が、僕の時代の10倍になっているから、あのブランデーは10万円というわけだ。
魔法で熟成させた量産品だから、本来なら1本数千円でいいと思うんだけど、居住区への納品価格は、ウチの賢いアンドロイドが決めている。安すぎると、他との兼ね合いがどうとか言っていたっけ。確か、納品価格の2倍で売っているから、100万円という高値になったのだろう。
「店で仕入れている値段は、1本で850万円や! 何てこった」
(高っ!)
普通の人の月収が100万円だから、ほぼ年収じゃないか。凄まじいボッタクリ世界だな。
すると、ユウジさんが、また何かを魔法袋から取り出した。見覚えのあるボトルだが、どういうことだ? 異世界で売っているブランデーだ。
(あー、アリか)
ブランデーの味を覚えさせるため、アントさんの眷属が持っていた異世界のブランデーを、5階層の蒸溜所に持ち込んでいたよな。
それを、なぜユウジさんが持っているかは謎だが、蒸留所にも出入りしていたなら、もらったのかもしれない。
「これは開封済みやけど、そのブランデーの見本になったもんや。その迷宮でも、数年の熟成期間が過ぎれば、このレベルの物ができるらしいで。味がわかるんやったら、飲んでみるか? あっ、これは俺のやから、味見だけやで?」
「是非、味見させてもらえるか?」
ユウジさんは、新しいグラスに、ほんの2センチくらいだけ、ブランデーを注いだ。
(ケチくさくないか?)
それほど貴重な物だと、伝わるのかもしれない。
「な、なんと、まろやかで深い味わいなのだ! ここまでの逸品は、異世界でも飲んだことがない! それはどこで入手したのだ?」
「そのブランデーを作る蒸留所や。いろいろと手伝いをして、やっと譲ってもろたんや。これは渡さんからな」
「あぁ、あと数年で、このレベルのブランデーが飲めることがわかっただけでも、ありがたい。ワシが開けたブランデーは、いくら払えばいいかな? また、持ってきてもらえたら、手間賃も上乗せしてキチンと支払うと約束する」
(すごい変化だ)
店内の雰囲気が、ガラリと友好的なものに変わった。テーブル席で青白い顔をしている人達は変わらないが。
「今回の分は、暇つぶしになったから別にええわ。ブランデーは、欲しいなら自分で買いに行けや。金よりも、並ぶんが大変やからな」
「暇つぶしに? あぁ、そうだったな。アイツらが失礼した。検問所の閉鎖時間に引っかかったのか」
白髪の男性は、僕達を連れて来た人達に鋭い視線を向けた。彼に睨まれ、バタッと倒れた人もいる。やはり、この男性は、魔王なのか?
「あぁ、間に合わんかったわ。ミッションで薬草を摘みに来たら、監視塔に絡まれて、めちゃくちゃウザかったしな」
「それは災難だったな。今度来るときは、ワシらに言ってくれたら、監視塔に手出しはさせないよ」
「オッサン、やっぱり、魔王なんか?」
「いや、ワシは魔王ではない。裏を、取り仕切っている。表の世界では、いろいろな勢力が対立しているようだが、裏の世界はシンプルだ。そういえば、そっちの兄さんが魔王だと言っていたな? どういう意味だ?」
僕をジッと凝視する白髪の男性。彼は、裏社会のドン、なのか?