12、灼熱低気圧の発生
「年間パスポートは、帰還者迷宮の住人と冒険者のための物よ。1階層しかない現状では、まだモンスターは出現しないわ」
(ん? 何か変だな)
それなら、普通に説明すればいい。なぜ彼女は、あんなに不機嫌そうな顔をしたんだ?
「じゃあ、年パス限定にはできないんですか」
「できないとは言ってないわ。だけど……」
カナさんは、やはり不機嫌そうだな。発行しても売れないと思っているのか。
「では、数日は宣伝を兼ねて普通の入場料で入ってもらって、その後は年パスのみという感じでは?」
「はぁ? だーかーらー、年間パスポート限定にしたら、私が入れないじゃない」
(はい?)
「どういうことですか?」
僕が尋ねた瞬間、彼女は思いっきり嫌そうな顔をした。すると、部下っぽい若い男性が口を開く。
「五十嵐さん、迷宮管理者には偵察用に、担当する迷宮の入場券が配布されます。年間パスポート限定にすると、それが使えないので……」
(案内だけじゃなく、今後も担当なのか)
「担当者の偵察なら、何もなくても入れるんじゃ?」
「偵察というのは、プライベートなのです。基本的に俺達は、呼ばれないと迷宮に入れません。ただ、たまに酷い運営状態になっていることがあるので、担当する迷宮の入場券が配布されるのです」
(なるほど)
彼女はプライベートで、小川の水を飲みに来たいということか。それなら年パスを買ってくれても良さそうだけど。
「年パスって、高いんですか」
僕が若い男性にそう尋ねると、彼女は僕が何を言いたいかわかったらしい。だけど、素知らぬフリをしている。
「迷宮の住人からは家賃が入るので、別途取ることはありません。それ以外の人は120万円が相場です。1日の入場料なら3万円前後です」
(あの弁当よりは安いか)
「僕は、この時代の物価がわからないんですが、それは高いのでしょうか」
「平均的な月収が100万円くらいですので、高いと感じますね。ほとんどの人は、副業で冒険者をするために年間パスポートを買うので」
「なるほど」
「ついでに説明しておきますと、入場料等は迷宮特区事務局が集めます。入り口の人員整理も、お任せください。迷宮のオーナーさんには、入場料等の半分をお渡しします。残りは管理費として納めていただく形です」
(半分が手数料か)
きっと勇者ユウジさんなら、全く聞いてないだろうな。女王ユキナさんは、めちゃくちゃ質問しそうだけど。
「えっと、じゃあ……」
「ちょっと待って。キミにも聞かせるわ。緊急気象情報よ」
カナさんは、通信機のような何かを操作している。
『繰り返します! 昨夜、和歌山沖で発生した灼熱低気圧は、北上を続けています。今夜遅くに滋賀県を横断するでしょう。規模は小さいですが、企業迷宮は危険です。避難を検討してください』
(灼熱低気圧?)
「これは、強制オープンになるわね」
ブーブーブー
警報のような音が、三人が持つ何かから聞こえた。
『迷宮管理者に緊急連絡! 大勢の避難者が予想される。本日到着予定の帰還者には転移魔法の利用を許可した。到着次第、ただちに迷宮をオープンさせること。未オープンの迷宮は12時オープンを要請。午後の予定はすべて変更。危機対応を優先せよ』
(内部連絡かな)
「はぁ、この程度の灼熱低気圧で、大げさね。キミも聞いたよね? 12時にオープンだって。いま11時半だから、もう何もする暇はないわ」
「避難用にダンジョンを開放するんですか?」
「ええ、そうよ。未オープンだった迷宮をオープンしても、ロクな人は来ないけどね。冒険者をする能力のない、企業迷宮の工場労働者とその家族かしら」
(弱い人ってことか)
「避難用なら、それでいいんじゃないですか」
「まぁね。だけど危険だわ。こういうときって変な奴も来るもの」
(新人潰しか)
確かに、弱い人しかいない場所を帰還者が襲撃してきたら、大きな犠牲が出る。
ダンジョン内は不死だと言っていたけど、死なないんじゃない。殺されたら復活するだけだ。戦う力のない人達に、苦しい思いをさせることになる。
「カナ先輩、奴らは、昨日オープンした方を狙うんじゃないですか。ダンジョンコアとアンドロイドの接続ができてない迷宮は奪えません。ここの接続完了はまだ公表してませんから」
(あの二人のダンジョン?)
まぁ、あの二人なら大丈夫か。戦い慣れている感じだったし、昨夜に説明を受けてるなら、迎撃準備も出来てるだろう。
「そうね。だけど、この迷宮に護衛は必要だわ。余ってる人員をすべて入り口に……」
(いやいや……)
「カナちゃん、そんなことをしたら、ここに貴重な何かがあると言っているようなものですよ?」
「えっ? あー、そういう考え方もあるかしら。だけど、すぐに知られるわ。出入り自由だから、川があることはすぐに漏れるわよ」
「ここに来た避難者が、自分達が危険になるような情報を外に漏らしますか? そんなことより灼熱低気圧って何ですか」
僕がそう尋ねると、若い男性がタブレットを見せてくれた。確かに和歌山沖に台風みたいなのができてる。
「えっ? 930hPa? 超強力な台風じゃないですか」
僕が高1の時、酷い台風が大阪を襲った。確か、950hPaで、関西空港は大惨事だった。外をいろいろな物が飛んでいて、恐怖で震えたっけ。
「台風になる前の状態です。まとまりがないので、台風より厄介です。こんな近くで発生したものは、魔導士も対処できませんからね」
(魔法で散らすのか)
確かに近すぎる。魔導士が下手なことをすると、逆に被害が広がりそうだ。地上にはマナがないから、優れた魔導士でも術の制御は難しいだろう。
「僕は、何を準備すれば良いですか。避難者の寝る場所は……」
「必要な物は、我々が用意します。12時に強制オープンになりますが、急には人は来ません。五十嵐さんは、休んでいてください」
(休めと言われても……)
「とりあえず入場料の話は、灼熱低気圧が去ってからにしましょう」
「僕にはよくわからないので、カナちゃんに任せますよ」
「そう? わかったわ。じゃ、私達は入り口に移動するわね」
僕は、彼女がわずかに口角を上げたのを見逃さなかった。
(年パス限定案は、消えたみたいだな)