108、井上さんの迷宮21階層へ
『こちらは、井上 夏生の帰還者迷宮、第20階層です。上の階層へ向かわれる方は右の階段へ、下の階層へ向かわれる方は左の階段へお進みください』
(20階層!?)
僕達は、10階層から転移魔法陣を乗り継ぎ、20階層に到着したようだ。
カナさんは左へ進んだから、さらに深い階層へ行くらしい。そこに井上さんがいるのだろう。
僕は、彼女の後ろをついて行きながら、周りを見回していた。この20階層は、台風時の避難のために用意されているようだ。
(かなり広いな)
二階建の建物がぎっしりと並んでいるから、全体を見渡すことはできない。だが、天井は低いが、端が見えない。
階段を降り始めると、ユウジさんが口を開く。
「みんな、反対の方へ行ったで」
(あっ、確かに)
後ろを振り返って見ても、到着した人は皆、僕達とは逆に進んでいく。上の階層に行くんだな。
「井上 夏生の迷宮は、21階層も避難所だからね。20階層とは違って、テントを使って人数調整ができるようになっているわ。冒険者達は、19階層の金鉱石狙いじゃないかしら?」
それで、井上さんの迷宮が避難に使えないと、騒ぎになったんだな。何十万人の避難が可能だろう。いや、もっとかもしれない。
「何階層まであるのかしら。階層を減らしたという噂を聞いたわ」
ユキナさんがそう尋ねると、カナさんは手をぶらぶらと振った。話せないということか。
「迷宮の階層数は、10階層以降は担当者にも報告義務はないわ。ダンジョンコアを守るためにも、極秘情報の一つよ」
「でも、さっきの認証室では私達の……あぁ、10階層以下だから明かされたのね」
ユキナさんは自己解決している。
「カナちゃん、井上さんは今、21階層に居るんですか?」
「22階層にいるわ。あれ?」
まだ距離はあるが、21階層が見えてきたとき、カナさんは突然、立ち止まった。そして、先に進もうとしたユウジさんの腕を掴んでいる。
(何かあるのか?)
階段の先には、それなりの数の人の気配はあるが、交戦中のような大きな音は聞こえない。
「なぜ、21階層に、たくさんの人がいるのかしら」
ユキナさんが小声で囁いた。
「おかしいわ。さっきは誰もいなかったし、何もないただの更地なんだけど……」
カナさんの顔色が悪い。疲労がピークな上に、さらに強いストレスがかかっているのか。
「ユキナは、広く顔を知られとるやろ? 二人で、そっちの端っこで、他人のフリをしといてくれ。ケント、ちょっと見に行こか」
ユウジさんはそう言うと、剣を装備した。トラブルが起こっているのは確実のようだ。しかし、この下の階層は、ただの更地だ。僕までが装備すると、相手が警戒する。
「ユキナさん、僕のポケットに入るくらいの小さな棒を2本、錬金して欲しいんですが……」
「あぁ、説明会のときのアレね」
ユキナさんは勘がいい。すぐにペンのような形の金属棒を錬金してくれた。胸ポケットに挟むクリップまで付いている。
「ありがとうございます! すごいな、これ。たくさん欲しいくらいです」
「ふふっ、ケントさんは、こんなものを剣として使うのよね。私の創造金属だけど、あらゆる属性に耐えるわ」
褒めたからか、ユキナさんはもう2本つくってくれた。こちらは魔力を帯びた不思議な金属棒だ。
「はい、助かります。よかったら、これをどうぞ。人が通ったときに階段で何もせずにいるのは不自然だから、座っている理由になると思います」
ユキナさんに、4階層のボスの討伐報酬を渡した。
すると、カナさんが怪訝そうな顔をして覗き込んでいる。彼女は、3階層までしか知らないもんな。
「以前、ユウジさんが自慢していた物ね? 何種類あるの?」
「種類は不明です。微妙に変わるんですよ。カナちゃんと分けて食べてください」
「わかったわ。ここで休憩しているように、振る舞っておくわね」
階段に座り、ユキナさんが持つうま○棒詰め合わせを真剣な表情で見つめていたカナさんは、パッと僕の方を見上げた。
「キミの迷宮のドロップ品ね? 食べ物なのね!?」
カナさんの表情が少し明るくなったようだ。
だが、それはほんの一瞬のことだった。彼女は、すぐに、階段の先の21階層の気配の変化を、不安そうな目で見ている。
「スナック菓子です。喉がかわくかもしれないけど、フルーツ氷は簡易魔法袋に入ってて……」
(今、開けない方がいいよな)
閉じられなくなるから、氷が溶けてしまう。1階の交換所で使っている簡易魔法袋は、居住区の企業さんが作っている、使い捨てタイプだ。
「水なら、私が水魔法で出せるから問題ないわ」
ユキナさんはそう言うと、カナさんの横に座った。そして、金属製のマグカップを作り、水を注ぐと、カナさんに渡した。
「あ、ありがとう」
(一気飲みした)
カナさんは、水も飲めてなかったのか。魔法で出した水はあまり美味しくはないが、彼女は、ほうっと息を吐いた。
「ほな、俺らは降りるで。ユキナは声も拾えるやんな?」
「ええ、この距離なら問題ないわ」
(声なんて聞こえないけど)
「ケント、行くで。俺らは、新しいパーティの作り方の相談に来たんや。話は適当に合わせてくれ」
「えっ? あぁ、はい」
僕達は、ユキナさんとカナさんを階段に残し、21階層へと降りていった。
◇◇◇
「デカすぎる運動場やな」
ユウジさんは、この階層の奥にいる人達に気づかないフリをしているようだ。僕も合わせないとな。
この21階層は、奥行きはそれほどでもないが、左右は端が見えないほど広い。避難者用テントの設営管理の都合だろうか。
「そうですね。左右に広すぎる空間ですね。天井は高くないけど、圧迫感は無いですね」
僕は、誰も聞いてないと思わせるために、ちょっと失礼なことも口にする。
「おまえんとこの天井が、無駄に高いんちゃうけ? せやけど、天井が低いから21階層もたくさんできるんかもしれんな」
ユウジさんは、僕の名前を出さないようにしているようだ。だが、迷宮の主人だということは、隠さないんだな。
「天井の高さと階層数の多さって、関係あります? 異空間に広がるんですよね? 迷宮って」
「異空間を使う魔法袋に容量があるんやから、ダンジョンも天井の高さは関係あるんちゃうか? 知らんけど」
(えーっと……)
ユウジさんは、さらに何か言えという合図をしてくる。でも、知らんけど、って言われたら、どう返せばいいかわからない。
「ははは……」
苦し紛れに笑いながら歩く。すると、やっと、この階層にいる人達が気づく距離にまで近づいた。
「なんや? アイツら、何しとんねん?」
彼らが気づくと同時に、ユウジさんが集まっている人達を指差した。その彼らの中には、井上さんの姿もあった。