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ルパと人族

 ラースは再び国王から『片割れ探し』続行を命じられ、休む間もなく城を出て行った。


 ルパは自室に戻り、泥だらけの服を着替えた。

 少し肌寒くなってきたので、長袖の黒いシャツを選び、その上からベージュの長いチュニックを被った。汚れた服は、浴室にある脱衣籠に入れておく。

 どことなく煙くさいと思ったら、自分の毛についたコムル村の臭いだった。ルイーザが起こした火が、家や畑を焼いた臭いである。

 改めて、村の住人には申し訳ない事をしてしまったと反省した。父王はさっそく物資と人材を村に送るよう指示を出していたが、畑は元に戻せない。今年のコムル村の収穫量は減るだろう。

 自分も何か償わなければと思うのだが、いかんせん、慣れない事が続いて疲れたのか頭が回らない。


 本来なら沐浴をして少し休みたいところだが、さっきからルイーザがぴったりとくっついて喚き散らしているので、仮眠は諦めて二人分のカップにお茶を注いだ。先刻、女官が柿茶だと告げて置いていったものだ。まだ十分に温かく、湯気がたっている。

 多少は疲労回復に役立つかもしれない。


「ちゃんと聞いてるよ、ルイーザ。――ここに置くぞ」


 受け取らないだろうと分かっているので、ルパはテーブルにルイーザの分のカップを置いてやった。自分は近くの椅子に座って、茶を飲んだ。柿茶は、香ばしく苦味も少なく飲みやすかった。


「聞いていたのなら呑気に茶なんか飲んる場合でないことくらい分るだろうが!」


 ほかほかと湯気を立てるビロード色の柿茶の前で、ルイーザが頭を抱えて叫んだ。


「今ならまだ間に会う!取り消して来い!」


 びしっと扉を指差して叫ぶルイーザを見上げながら、ルパは続けて二口目を飲む。喉の渇きを覚えていたので、残りは一気に飲み干した。

 間をおかず、二杯目をカップに注ぐ。

 カップが茶で満たされる間にルパは兄弟に答える。


「取り消すくらいなら初めから言っていない」


 そしてまた、二敗目をあおった。


「カッコつけんなバカッタレ!人族ってのはなあ、『片割れ』も知れねえ超愚鈍な下等種族なんだぞ。そんな奴とどうやって縁を結ぶつもりだ!縁が結べなければ、『片割れ』の意味ねえじゃねえか!」


 人族のティーを『片割れ』に選んだ事もそうだが、ルイーザはルパが皇太子の座の獲得権を自ら危うくした事について、相当腹を立てていた。

 ルパは眉を下げ、喚き散らし続けている兄弟に哀れみの眼差しを向けた。


「お前、ティーをコケ下ろしているようで卑下してるぞ。分かってるか?」


 ルイーザが「あーあー」と苛立った返事で肯定する。


「確かに俺は“下等”な女に負けましたとも!けどそれはあいつが変な力を持ってるからでだなぁ――そうじゃなくて!早く謁見の間に戻れっつってんだよ!」


「お前も早く着替えろよ。泥だらけのままで歩き回ってると、女官に文句を言われるぞ」


 すかした態度で話を逸らすルパ。これぞまさしく糠に釘。豆腐に鎹。どんなに熱心に説得を試みようと、まったく響かない犬ころは、外面だけが柔和な頑固者である。

 堪りかねたルイーザは「うぎゃー!」と絶叫した。


 とうとう癇癪を起した兄弟の様子に、ルパは困り顔で首筋をかくと、カップを置いて窓際に移動した。日干しレンガで造られた窓枠に両手をついて、城下を眺める。

 ルパの部屋の窓からは、山脈に続く城下町が一望できた。静かな部屋ならば中庭沿いにいくらでもある。だが、ルパは、街の賑わいが傍にあるこの一室が気に入っていた。


 午後の柔らかい日差しを受けた城下街は、程よい活気に満ちていた。

 店の前で呼び込みをしているパン屋の店員。飯屋のテラスで遅い昼食をとる職人。買い物のついでに、織物を選ぶ女たち。建物の修理に勤しむ大工達。うとうとと舟をこぐ露店の店主。昼を過ぎた城下町は、騒がしいほどに人々がごったがえす午前の密な時間に終止符をつけたかのように、穏やかさを帯びている。

 町から漂ってくる様々な臭いに、ルパの鼻は無意識に上下に動き、それぞれの臭いを嗅ぎ分けようとした。


 太陽の臭い、食物の匂い、獣の臭い、汗と埃の臭い・・・。


 これが夕方から夜になると、街はまた違った顔を見せる。日中、客寄せをしていた露店などが次々と閉まる代わりに、飲み屋や屋台がその扉を開き、そこから発せられる灯りや喧騒が月夜の街を彩るのだ。ふくよかな飯の匂いと酒の甘い芳香をたたえた飲み屋の灯りは、一日の仕事を終えた人々を労うかのように優しく包み込み、家路につく人々を誘い入れる。 


 ルパは夜の街も嫌いではなかったが、まるで街全体が居眠りをしているような、昼間のこの雰囲気と眺めを、ことのほか気に入っていた。

 そして、いつも想像する。ここに、勤勉でアイデアに富んだあの人達が混じれば、この眺めはどのように変化するのだろう、と。


「・・・・俺はさ、ルイーザ」


 客寄せをしているパン屋の若者を眺めながら、ルパは持ち前の穏やかな声で、異母兄弟の名を呼んだ。

 名を呼ばれた異母兄弟は、叫びすぎで喉の渇きを覚えており、先ほどルパが淹れて置いた柿茶を腰に片手を当てて、豪快に一気飲みしていた。最後の一滴まで飲みほしてから、「なんだよ?」とルパに顔を向ける。彼の面差しは、眉を吊り上げていなくても威嚇しているような印象を相手に与えるほどに、元々が鋭い。

 ルパはくるりと向きを変えて異母兄弟に向き合うと、もう一度、「ルイーザ。俺はさ」と、同じ言葉から続けた。


「人族をこの国にもっと招き入れたいんだ」


「はぁん?」


 犬の属性を持つ側室から生まれた異母兄弟が告白した内容に、狼の属性を持つ側室から生まれた王子は、素っ頓狂な声を上げた。


「それが、俺がお前達と玉座を奪い合う目的だ。彼女はその先駆けみたいなものだな。叶わなければ、俺が王位を継ぐ理由はない」


 ルパが告白した内容は、ルイーザにとって『俺、実は雌なんだ』とカミングアウトされるのと同じくらい信じがたい内容だった。だが、この犬属性の兄弟の性格をよく知っているルイーザは、彼の告白を真摯に受け止め、その理由を訊ねる。何よりルイーザには、自分はルパの一番の理解者だという自負があった。


「何でまた人族なんかを国に入れたいんだよ?」


「そりゃ、人族と混じり合って生活することで、互いの生活がより良くなると思っているからさ」


「・・・・・・・そうか?」


 自負は持っているものの、ルイーザ合の手は非常に微妙だった。

 ルパが一時の気まぐれや冗談で言っているのではない事は十分承知しているが、ルイーザとしては、聞かされた見解に賛同できないものを感じずにはいられなかった。


 ルパは首を捻る兄弟に、ティーの住むコムル村や、その周辺の環境を思い出すよう促す。


「効率的に設置された発電装置。繊細で美しい織物。機能的な義肢。田畑には立派な作物が実り、森も豊かだ。しかも、同じ材料を使っているにも関わらず、彼らはずっと耐久性に優れた建物を建てる」


「はあ・・・。そういや、そうだったかな」


 そうだったかもしれない。と、ルイーザ。


「あの村は昔から人族に好意的で、受け入れも寛容だった。だから村人達は人族特有の技術を学び、生活に活かすことができているんだ」


 ルパの講釈は人族を下等と蔑んでいるルイーザにも、ごもっとも、と頷かせる隙のなさだった。

だがしかし、である。ルイーザにはルイーザなりの、人族を好まない理由があった。


「そりゃあ、この都はしょっちゅう川の氾濫で作物が駄目になったり、建物の補修作業に追われてるけどよ。だからって、不幸せとは限らないんじゃないか?ミノ村の奴等なんか見てると思うぜ。秘密主義で排他的で、まるで死刑囚みてえなシケた面で暮らしてやがる。俺らのほうが、絶対幸福だって自信あるぜ」


 ルイーザは空になったカップを弄びながら、兄弟と並んで同じように城下を見下ろした。


 丁度、手をのせた窓枠の一部にヒビを見つけた彼は、ひび割れている部分を指先で軽く押してみた。すると、漆喰が塗られた日干しレンガはあっけなく欠けてしまった。

 相変わらずもろいな、と思いながら、ルイーザは欠けてしまった破片を下の植え込みに投げ捨てる。そして続けた。


「あんな顔で生きるくらいなら、補修作業に追われるほうがずっといいぜ」


「ミノ村は、また特別だろ」


 静かに反論して返すルパに、ルイーザはため息をついた。


―― お前が何かにつけ人族を擁護するのは、あいつらの知識や技術が欲しいだけじゃなく、子供んときの体験がモノを言っているんだよな。そうだろ?


 これまでに幾度も口にしかけたこの言葉を、ルイーザは今回も飲み込んだ。


 ルパは物心ついた頃にはすでに、人族の器用な指先に魅せられていた。だが、これほどに人族に熱を入れ始めたのは、あの事件が起こってからだ。

 ルパにとっては辛い記憶でもあるそれは、おいそれとは話題に出せないが、あの事件が、ルパの人族への認識を、世論から逸脱したものに変えたとみて間違いはないだろう。


―― まぁ別に、悪かねーんだけどもよ。


 ルパの言い分は、筋が通っている。情にほだされているのだとしても、この兄弟は上手く公私を分けることができるし、公的な判断を下す場合は、それが遠い先に功を奏るものであっても、必ず実益を上げられる安全で確実な方法を念頭に置いて選ぶことができる。

 ルパは一見、穏やかで能天気なだけの青二才に見られがちだが、実は冷静に物事を判断し、安全な道を間違えず先を見通す目を持った、逸材だった。

 そういった点で、ルイーザはルパが兄弟の中で王座に最も近いと考えている。


「とにかく、だ。俺と違ってお前は理性的だし頭も切れる。6人いる兄弟の仲で、お前は十分に皇太子の座を狙えるし、親父殿もお前には期待しているはずだ。俺は王位継承権を取られちまったし、ラースは見るから玉座にゃ興味なさそうだし、レイジーンは怖がりだから戦になったら使えねえ。残るはお前を含めて3人。俺は、お前の頭に冠が乗っかって欲しいと思っている」


「お前は昔からあの二人と仲が悪いからな」


 ルイーザの熱意を少々暑苦しく感じかけていたルパは、勘づかれない程度にやんわりと話を逸らした。ころりと引っかかったルイーザは、「嫌っているわけじゃねえんだが」と言いつつ、表情を曇らせる。


「お袋が死ぬ前、俺に忠告したんだ。『親父殿が年老いた時、あいつら二人は親父殿を傷つけて王座を奪おうとする恐れがあるから、きっちり監視しとけ』ってな」


「確かに、属性を考えると否定はできない。だが、二人とも手強いぞ」


「だから、『片割れ』の存在がどれほど重要か分かるだろって言ってるんだよ!あの女は下手すりゃお前の足を引っ張りかねないんだぞ!」


 藪蛇になってしまった。

 だがすぐに救いの手が訪れ、絶妙のタイミングで扉がノックされる。

 ルパが入室を促すと、ティーを連れていったナフティラ女官長が現れてお辞儀した。


「ティー殿のお仕度が整いました」


 ルパは心の中でナフティラに礼を言いつつ、その内心を読まれないよう気をつけながら、すぐに向かうと応じた。


 ルイーザは、「一緒に行こう」とルパが誘ってきたので、しぶしぶ従う。だがやはりまだ尻尾を踏まれて檻に放り込まれた恨みをそう簡単に水に流せない彼は、減らず口だけは忘れなかった。


「あのボサボサ髪の暴力女、どう飾ったって良くなりゃしねえよ」


「そういうルイーザ様にも、湯殿で獣臭を落としていただかなくてはなりませんね」


 一瞥したナフティラの一言が、ルイーザの心臓に鋭い一撃を与える。

 熊捕獲用の檻に長く放り込まれていたルイーザは、すっかり獣臭くなっていた。

 横からかすかに笑う気配を感じたルイーザは、銀色の瞳を光らせて兄弟を睨む。睨まれた犬属性の兄弟は、そしらぬ顔で横を向いた。


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