空に舞い上がる
小川の傍に、釣り人用に建てられた掘っ立て小屋が見えた。三人は後ろから追手が来ていない事を確認すると、そこに逃げ込んだ。
ミムラを下ろした三つ編の王子は、流石に疲れたのか壁に背中を預けて座り込み、肩で息をした。
扉を閉めたティーも、同じようにぺたりと床に腰を下ろす。
ミムラはティーに駆け寄り、震える体で寄り添った。
しばらく三人の荒い呼吸音だけが小屋に響いていたが、やがて三つ編の王子が立ち上がり、窓から外を確認した。
やはり、誰も追ってきてはいないようだ。
「ここまで来ればとりあえず・・・」
「安全だな」
突然ミムラのすぐ隣から四人目がぬっと現れ、三つ編の王子の言葉を引き継いだ。
小屋に入った時には誰も居なかったはずだ。途中で誰かが入ってきた気配もしなかった。湧き出るように出現した青年に、ミムラが驚いて悲鳴を上げ、ティーは殆ど反射的にその青年の横顔を殴っていた。
左頬に不意打ちパンチをくらった青年は、ぐしゃりと倒れる。
ティーは痛む右拳を左手で覆いながら、足元に倒れた四人目を見下ろした。
深い緑色の髪に、ほんの少し青味がかった肌。耳は驚くほど小さい。額や襟足からのぞいている黄色く光るものは、鱗のように見える。そして彼の腰帯にも、ひと振りの剣が挿してあった。
「大丈夫か!?ラース」
三つ編の王子が倒れた青年を慌てて助け起こして、気遣わしげに顔を覗き込んだ。
ラースと呼ばれた青年は殴られた左頬を押さえ、「いたい」と低く呻く。
この青年も、三つ編の王子や村で暴れている王子と同じく、『片割れ探し』にやってきたグウィドー王の息子のようである。
「この人も、王子様ですか?」
「ご名答。属性はカメレオン」
ミムラの質問に、三つ編の王子が端的に答えた。
なるほど、とミムラは頷く。突然湧いたように姿を現したのは、“擬態”を解いたからだった。
カメレオンの属性を持つ者は、自由に自分の体の色や、素材は選ぶが身に付けている衣服の色を変える事ができる。
彼は先んじてここに居たのか、もしくは三人と一緒に入ってきたのかもしれない。
「ルパ。ひでえよこの女。思い切り殴りやがった」
ラースは左頬を擦りながら、忌々しげにティーを指差した。
どこか妙だと思ったら、眼球が左右別々の方角を向いている。左目はティーを。右目はルパと呼んだ三つ編みの王子を見ていた。
「ひどいのはあんた達よ!これじゃあまるで、村が攻め込まれているみたいじゃないの!」
ティーはカメレオンの属性を持つ王子ラースと、ルパと呼ばれている三つ編みの王子に抗議した。いくら王族だからと、あんな乱暴狼藉が許されると思っているのか、と責め立てる。
ルパがため息をつきながら、額に落ちかけていた前髪を後ろに流した。
「『みたい』ではなく、実際に攻め込んでいるんだ。ルイーザが」
「ルイーザって、さっきの狂った王子?」
黒とグレーのメッシュの髪に、銀色の瞳の男。狼を操っていた彼の所業は、凶悪の一言に尽きた。
「確かに今のあいつはトチ狂っとりますなぁ」
ティーが言った悪口に対し呑気に笑って、ラースが説明する。
「狼の気質バリバリな奴だからさー、狩りの感覚でやっちゃってんだよなぁ多分。あの時俺がテーブルの上に乗っかって止めてなかったら、絶対追いつかれてたぜ。あいつ足速ぇからさぁ」
王子を名乗る割には、随分と砕けた喋り方をする男だった。いや。口調だけでなく態度からして砕けている。
ティーは、張り詰めていた空気が彼の能天気な態度と言動で一気に崩れたのを感じた。
彼の話から察するに、ラースは、ルパと一緒にミムラ救出に一役買ってくれたらしい。テーブルの下敷きになったルイーザがなかなか起き上がれなかったのは、擬態で姿を消した彼が上に乗って時間を稼いでいたからだった。
「村に来ている王子たちの数は?」
礼を言うより先に、ティーは質問を続けた。
巷の噂では、王子は全員で六人のはずである。
ルパ王子に、ラース王子。そしてルイーザ王子。少なくとも、王子の半数がこの村に集まっている事になる。
村はここだけではなく他にも存在し、人口なら王宮がある都が一番だ。それなのに、何故この小さな村が集中攻撃されなければならないのか。
「この村に来ているのは、私とラースとルイーザの三人だ」
「ちなみにこの騒ぎの元凶は、全部あいつね」
ルパが指を三本立てて答え、ついでのようにラースが付け加えた。
ラースの補足説明に偽りはなさそうだった。事実、ミムラとティーはこの二人の王子に助けられたのだし、狼だけが村中走り回っていたところをみると、惨状の根源はあの狼属性の王子だけとみて間違いないだろう。
「それなら、あの迷惑な王子を何とかしましょう!」
このままでは、村が荒らされる一方である。狼を放ち、村を混乱に陥れただけでなく、家や家畜小屋に火を放つという横暴極まりない振る舞いは、一刻も早くやめさせなければならない。
だが、ラースはあまり乗り気ではなさそうだった。
「あいつ、一回暴走したら親父殿か王妃しか大人しくできないんだよなぁ」
「なら早く王様か王妃様を連れてきて頂戴!」
ティーの要求を無言で受け流したラースは、三百六十度見渡せる便利な両目をミムラに向けて言い放つ。
「その娘を渡すのがいっちばん手っ取り早いんだけど」
「駄目よ!」「駄目だ」
ミムラが息を呑み、ティーとルパが即座に却下した。
ティーは純粋に親友を守るための拒否だったが、ルパが拒否した理由はまた違う。
「きっとその娘を渡したら、次は他の王子へ妨害として、村の娘を殺しにかかる」
うっかり惨状を想像してしまったミムラとティーは総毛立つ。
ラースは困り顔で、
「普段はいい奴なんだけどなぁ・・・」
と弁解にもならないフォローをした。
ルパは、やれやれとため息をついて腰に挿してある剣の位置を直した。
「これは、あいつと同じ方角に『片割れ』を見つけた兄弟の宿命だな」
諦めたように独りごちたルパは、扉を開けると、ラースに振り返って指示を出す。
「お前は念のため、二人とここに居てくれ。特にそっちの黒髪を見張っておいてほしい」
「黒髪?」
鹿の娘ではなく?
ラースがティーを見て首を傾げた。
次に、ルパはミムラとティーに身体を向け、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ない事をした。しかしこれだけは分かって頂きたい。王は、私達に『片割れ探し』で民に被害を与えないよう、再三忠告はしたんだ」
国王は、断じて民を軽んじている訳でも無く、王族の特権を利用して横暴を許しているわけではない。
真摯に謝り国王の名誉を傷つけまいとする王子の姿勢に、ティーとミムラは無意識に頷いていた。
「じゃあラース。頼んだぞ」
三人に見送られながら、ルパは村に走っていった。
小屋に残された村娘二人は、そわそわと落ち着かない様子でしばらく小屋の中を歩き回った。
ルパはルイーザを止めるつもりらしいが、ティーは内心不安だった。
一方、ラースは落ちつたものだった。藁の上に腰を下ろし、手を頭の後ろに組んで壁にもたれている。
「お前、ルパと何かあったのか?」
先程から何度も窓から外を覗くティーに、ラースが話しかけた。
ティーは心ここにあらず、といった様子で「さあね」と答えにもならない返事をした。
「それよりも、あの王子の属性は?」
ルパの属性をまだ知らないティーは、兄弟のラースに訊ねた。
ふさふさとした尻尾と、黒目が大きい瞳と、どことなく親しみやすい目鼻立ちから、イヌ科の動物が進化した人種である事は想像できた。だがイヌ科と言っても種類は多く、オオカミ、狐、犬、更には人に進化した数は少ないと聞くが、リカオンという動物もいる。
ティーの態度は無礼だったが、ラースは特に気分を害した様子も無く、回答する。
「ルパは犬さ。ルイーザは知っての通り狼」
「勝算は?」
「頭はルパのほうがいいぜ。スピードは五分五分かな」
「犬と狼・・・」
ティーは黙り込み、そして呟く。
「・・・・・・相手が狼じゃ、野性を欠く犬には分が悪いわ」
特別筋肉質ではなかったが、ルパのしっかりした骨格や尻尾から見て、彼は比較的大型の、狩猟犬に部類する属性の持ち主なのだろうと推測できた。しかし、厳しい自然の中で己の身を守って生きてきた狼とは違い、犬は人に飼われ、守られてきた歴史がある。その差がティーの不安を大きくした。
「ミムラをお願い」
ティーはラースにそう言い残し、小屋を飛び出すと同時に地面を蹴って、一気に空へと舞い上がった。