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プロローグ

 その村では、殆どの家が半分土に埋まっている。

 というのも、北の海を越えた対岸から強風に乗って飛んでくる砂塵を少しでも避けるために、わざとそういう構造にしてあるからだ。しかしこれがまた、冬は暖かく夏は涼しく快適で、屋根の掃除も楽だった。

 難点は、窓が地面に近いのでムカデなどの毒虫が家の中に侵入しやすいことと、ちょっと降雪量が多い日には窓が開かなくなる事だ。だが、虫避けの薬を窓枠に塗ることで虫の侵入は随分と防げるし、雪の日も、いざとなれば天窓から出入りするという方法があった。


 そもそもこの土地は昔から気候と地形には恵まれていて、土地が高いため家が浸水してしまうような大水にも津波にも見舞われた事がなく、比較的温暖で暮らしやすい。少々の大雨が続いても、家が浸水しないよう、家の周りに土を小高く盛り、近くの水路まで雨水を誘導する仕掛けが施されてある。


 その村の名はコムル村。太古からこの地に居住する人族と、多種多様な生物の一部が人へと進化を遂げた新人類が最も密に入り混じって生活を供にしている村である。


 人族の娘、ティーの家もその形式にのっとっていた。

 レンガの上に漆喰を塗った壁でできた家が、彼女の住まいだった。

 屋根には天窓が取り付けられており、家の傍には風力を利用した発電装置と、雨水を溜めておくタンクがあった。外観は薄汚れた巨大なキノコのような家に風車とどでかいタンクをくっつけた妙ちくりんな小家だが、内部は外観の四倍の広さがあり、機能性にも優れ快適である。


 その家の戸を小太りの中年女性が叩く。彼女の尻には、丸く円を描いた尻尾が在った。

家主は在宅だと踏んで訊ねてきたが、いつまでたっても扉は開かない。短く太い首を傾げた彼女は、蹄の名残が残るずんぐりとした手でノブを回した。

 繋ぎ目が軋む音と共に、扉はあっさりと開く。


「ティー。いるのかい?」


 ブタの耳を持った丸い頭を中に滑り込ませ、彼女は家主の名を呼んだ。

 室内は明るかった。天窓から差し込む午前の太陽光が、石階段の下に続く家主の生活空間を照らしている。

 彼女は、窓辺の作業机に座っている赤いチュニックを着た少女の姿を見つけると、スカートから突き出ている豚の尻尾を一振りして、石段を下りていった。


 少女は何やら作業に没頭している。

 彼女は少女に近づくと、少し声を大きめに、再度声をかけた。


「ティー!おはようさん!」


 ティーと呼ばれた少女がはっと顔を上げ、伸び放題の黒髪を振って彼女に振り向いた。続いて茶色の目をこすり、窓の外をちらりと見てから、弱弱しく微笑んだ。


「ウィルマおばさん。・・・おはよう」


 ウィルマと呼ばれたブタ属性の彼女は、ティーの荒んだ様子を見るなり、腰に手を当てて鼻を鳴らした。


「また徹夜したのかい?」


 適切な睡眠と食事の大切さを毎日のように説いてくる隣人に、ティーは苦笑いで仕事が立て込んでいるのだと話し、机の横の棚を指差した。そこには、溜まっている仕事の依頼書がピンで押しつけられてある。

 

 ベン。 義足の修理。

 ギルティ。 孫の揺り篭。竹細工でお願いね。

 ガス。 水車の修理。早めに頼む。


 今、ティーの目の前には、ベンの義足が修理中の状態にある。

 シリンダー部分の調整をしているとのことだが、説明されたところで、ウィルマにはどこが壊れているのか分らなかった。上に向いた鼻を、苛立ったように一回鳴らす。

 それよりもウィルマの注意を引いたのは、溜まっている依頼書の内容だった。


「なんだい、ガスのやつ。水車の修理くらい、自分でできるだろうに。ギルティも竹細工なんて、難しい注文つけるんじゃないよ」


 ウィルマの上向きの鼻から、今度は荒い鼻息が蒸気のように吹き出した。ウィルマは鼻と尻尾で感情を表すのが上手い。


「でも、ガスさんにはしょっちゅう畑の面倒をみてもらっているし、ギルティさんも、お代ははずむって言ってくれたのよ」


 ティーはウィルマをなだめた。


「ウィルマおばさんも、何か修理か物作りを頼みに来てくれたんでしょう?」


 気遣うように促すと、ウィルマは申し訳なさそうにエプロンのポケットからアナログ式の腕時計を出した。数年前に、ティーがウィルマの誕生日プレゼントとして作って贈った品である。光をエネルギー源に動くので、巷に出回っている時計のように、ネジを回す必要が無い。


「昨日、孫がふざけて派手に落としちまったのさ。針が止まったまま動かなくなっちゃったんだよ。チクタク音もしないし」


 ウィルマは動かなくなった時計を短い指が並んだ両手で包み込むように持って、しょんぼりと肩を落とした。


「歯車がずれたのかもしれないね。ちょっと見せてくれる?」


 ティーは道具箱から細いドライバーを取り出し、ウィルマに手を出した。

 ウィルマは大きなお尻を揺すって、修理をしぶる。


「駄目だよ。忙しいんだろ?」


「いいよ。多分、すぐ治せるから」


 寝不足の赤い目でにこりと微笑んだティーに、ウィルマは申し訳なさそうに腕時計を手渡した。ティーはさっそく時計を裏返し、ドライバーを使って蓋を外すと、顔を時計に近づけてじっと中を覗き込む。 数秒後、


「やっぱり歯車が外れてる」


 そう言って、ドライバーを先の細いピンセットに持ち替えて歯車の位置を調整した。再びドライバーに持ち替え、蓋をしてネジを止める。表に返して秒針が動いている事を確認してから、ベッド脇に置かれた卓上時計の時間と腕時計の時間を合わせた。


「はい。これでいいわ」


 再び正確に時を刻み出した腕時計を、持ち主に返す。

 ウィルマは時計を耳に当て、規則正しく刻んでいる音を聞いて丸い顔をほころばせた。


「ありがとう。ティー!お代はこれでいいかい?」


 時計を出した反対側のポケットから銀貨を取り出したウィルマに、ティーは首を横にふって礼金を辞退した。


「今回はいらないわ。簡単だったし、私が贈ったものだから」


 アフターサービスだと言うティーに、ウィルマは「駄目駄目!」と半ば強引に銀貨を掴ませた。


「優先して治してくれたんだから。ちゃんと受け取ってもらわなきゃ」


 けじめを通そうとするウィルマに、ティーは礼を言って銀貨を受け取った。ウィルマは満足げに頷く。

「都に行って、新しい着物でも買いなよ。その服、そろそろ雑巾に回してもいいくらいじゃないか」


 続けてウィルマは、ティーの衣服の酷さを指摘した。

 ティーの着ている服はつぎはぎだらけで、裾はほつれてぼろぼろ。生地自体も繰り返してきた洗濯で、かなり薄くなっている。しかもこの若い娘のワードローブときたら、腿の真ん中まである靴下の上に膝当てを付け、ブーツをはくという、機能性は高いが妙ちくりんなスタイルだった。それに加え、せっかくの艶ややかな黒髪は、櫛も入れられず伸び放題に散らかっている。

 不潔ではないが、年頃の娘がする格好とは思えなかった。


「いい娘がそんな格好じゃあ、男が逃げちまうよ。布を買ってきたら、あたしが可愛く仕立ててやろうか?」


 ウィルマの申し出に、ティーが一瞬、顔をひきつらせた。

 ウィルマは自称“お洒落さん” である。女たるもの、農婦だろうがお洒落には気を配るべきだと娘達にも常日頃から言い聞かせている。だが、彼女の服装のセンスは、周囲になかなか理解されない奇抜なものだった。

 ティーはウィルマの申し出を丁重に断った。

 ウィルマは「そうかい?」とあっさり引きさがったが、色とりどりのフリルがふんだんについたお手製のブラウスをつまみ、「わたしみたいに、こういう女らしいやつ、ちゃんと着るんだよ」と念を押した。


 ティーは五年前に父親を亡くしてから、一人暮らしである。器用な指先は父親譲りで、物作りに関しては、この村の中でも一・二を争うほどの腕前を誇る。だが、仕事に没頭するあまり寝食や身だしなみを疎かにする癖があった。


「あんまり無理するんじゃないよ。ただでさえ人族の体は繊細なんだから」


 ティーが独りになってからというもの、村人の中でも特に気遣って色々世話をやいてくれるウィルマに、ティーは「すみません」と素直に謝った。


「そういえば、ミムラが人参のケーキを焼いてたよ。もうすぐ持って来るんじゃないかい?」

「本当に?」


 ミムラは鹿の属性を持つ、ティーと同じ歳の村娘である。

 親友の名前と好物の人参ケーキという単語を聞いて、ティーの顔がぱっと明るくなった。

 蜂蜜とスパイスがたっぷりと使われているミムラの作る人参ケーキはティーの大好物である。


 歳相応の女の子らしい表情になったティーに、ウィルマは笑った。


「食欲があるなら結構。私もスープか何か持ってこようかね」


 そう言って、石段を登っていく。

 ティーは礼を言って、石段の下までウィルマを見送った。

 ブタの尻尾がついた丸い尻を最後に扉が閉められ、ティーは再び独りになる。


 ティーは部屋の真ん中で伸びをしてから、「よし」と言って、倉庫に向かった。ベンの義足は、シリンダーの不具合の他にも、重要なバネの一つが千切れていた。バネを付け替えれば修理は終わる。

 ベンはスペアの義足をつけてはいるものの、フィット感が良くないらしく、皮膚がすれて傷を作ってしまう。だから少しでも早く修理して届けなければならなかった。


 倉庫の扉を開け、バネに使えそうなものは無いかとガラクタを引っ掻き回す。だが、使えそうな代物は見つからなかった。


「もうこんなに材料がなくなってたのか・・・・」


 いつの間にか、使える資材が底をつきかけている。ティーは曲げていた腰を伸ばすと、面倒くさそうにため息をついた。


「仕方ない。ゴミ山に行くしかないか」


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