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第一話:大怨を和すれば必ず余怨あり

拙作をお楽しみ頂き、ありがとうございます。


申し訳ありません。。。。次話から不定期となります。





              ※※ 01 ※※




 久寿二年<1155>三月(やよい)廿二日。昨夜の激しい雨は上がったが、空は依然として鉛色の重たい曇天が広がっている。昼を過ぎると屋敷内はすでに明かりが必要とする暗さになりつつあり、女房達が大殿油(おおとなぶら)に火を(とも)し始めた。柑子(こうじ)色の炎が柔らかな光となって室内を照らし出す。


成憲(なりのり)よ、(わし)は今すこぶる機嫌が良いぞ。あの『悪左府(あくさふ)』のしかめっ面が(おが)めたのじゃからな」


 鈍色袍(どんじきのほう)僧綱襟(そうごうえり)に無紋(ひとえ)法衣(ほうい)を重ね、雲牡丹(くもぼたん)紋の五条袈裟(けさ)(かぶ)った初老の僧は愉快な声を上げて(さかずき)()していた。


「それは()うございましたな、父上。して、その頼長(よりなが)卿のしかめっ面とは」


 わざとらしいほどに愛想よく返した成憲(なりのり)信西(しんぜい)入道は喜色を浮かべる。高麗(べり)厚畳(あつじょう)蝙蝠(かわほり)(たた)いて盃を差し出した。隣に控える女房が盃に白濁の酒を注ぐ。

 いつの間にか(ひさし)に立っていた女房四人が懸盤(かけばん)を持って母屋(おもや)に入って来た。信西(しんぜい)入道の前に置き、続いて成憲(なりのり)の前にも置いた。二の膳を抱えた女房もそれぞれの前に置く。ふと襖障子(ふすましょうじ)の奥を見れば(から)菓子が盛られた高坏を持つ女房の姿があった。

 懸盤(かけばん)に盛り付けられた料理は、朱塗りの見事な平椀(おひら)(あわび)()し物、(きじ)(あぶ)り肉、(わらび)(かぶ)香物(こうのもの)を中心に(あつもの)が入った(ふた)付きの汁椀。両つぎ付に湯桶(ゆおけ)柑子(こうじ)菓子、飯櫃(めしびつ)が並んだ。

 凡そ出家した身が食す献立ではないが、成憲(なりのり)自身も、父である信西(しんぜい)入道が本気で僧籍に身を置いているとは思っていない。今現在もどっぷりと俗世間に(ひた)っており、鳥羽に御座(おわ)す法皇の寵臣(ちょうしん)として(まつりごと)に関与している。『ぬぎかふる衣の色は名のみして心をそめぬことをしぞ思ふ』と()んだ歌は(いつわ)りなき本心であろう。

 高階(たかしな)家のもとでいくら学問を積んでも院の政務は藤原家が独占しており、実務官僚としてその才智を()かしきれないと失意に(なげ)いて出家したのだと世間で(うわさ)されているが、その噂も息子の成憲(なりのり)は信じていなかった。目の前で我が世の春とばかりに大酒を()している父親を見るにつけ、益々(ますます)そう思うのだった。


「何じゃ、隆季(たかすえ)殿あたりからも聞いてはおらぬのか」


 心底驚いている信西入道に、成憲(なりのり)(かぶり)()る。


「……はて、身どもにはさっぱりと」

「なんとッ!?」


 成憲(なりのり)の答えに信西入道は大袈裟(おおげさ)に声を上げた。しかしすぐに平静を取り戻し、


「皇后・多子(まさるこ)様が今や病が(あつ)い帝の身を案じて、石清水臨時祭の還立(かえりだち)を進言し復活なされたところ、事もあろうに養父の左府がこれを(いさ)めたと言う」


 なるほど、と心中で(うなず)く。明日の石清水臨時祭について、急遽(きゅうきょ)予定が変わったのである。帝の使者として重要な役を(つと)める三条実長(さねなが)が青い顔をして弘徽(こき)殿へお(わた)りになったのはそういう意味があったのだと合点がいった。舞人の従者として成憲(なりのり)も一緒に(おもむ)くのである。他人事ではなかった。


還立かえりだちの復活には関白・忠通(ただみち)卿、大納言・伊通(これみち)卿が賛同なされたと聞きましたが、確かにお二人と仲が悪い左府・頼長(よりなが)卿が素直に(だく)とは申しますまい」


 受けて、信西入道は得意げな顔で(さかずき)(あお)いだ。


「それよ。皇后の御父上である右衛門督(うえもんのかみ)殿でさえ、孟子を()いて(だま)らせてしもうた。しかし菅原の(すえ)が言いおったのよ。

 『女は毛詩(もうし)を見ざるや。糾糾(きゅうきゅう)たる葛屨(かっく)以て霜を()()し』――あの左府に向かって吝嗇(ケチ)と返した、というのを聞いた時は痛快じゃった。しかも、女も『詩経』を知ってますが何か? と嫌味を()かせるところが良い」


 ちびちびと酒を飲みながら成憲(なりのり)(あや)ういと思った。

 信西入道が出家する前、通憲(みちのり)と名乗っていた頃、(ぼく)法が先か、(ぜい)法が先かで争い、頼長に信西入道が学問で論破されたという事件が起きた。その時、信西入道は「左府の見識には恐れ入った。その学問は唐土(もろこし)の学者も並ぶ者なく、我が国でも先達(せんだつ)の叡知、(いにしえ)の学識を超える」と手放しで評価したということなのだが、自尊心の高い自分を制して精一杯の()せ我慢だったことは実の息子であれば想像に(かた)くない。この事件の後、法皇が思い(とど)まらせようとするが強引に出家してしまうのだ。

 その信西入道がこの機に意趣返しも含めて頼長と再び(あらそ)うと考えるのではないか、成憲(なりのり)の胸中に疑念が頭を(もた)げた。


「悪評も色々あるようですが『姥童(うばわらわ)の女軍師』と名高い、皇后の(いちの)女房である小侍従の事ですね。しかし養父の頼長卿を怒らせて後ろ(だて)を失う危険もあるのでは? やはり女の浅知恵でしょう」


 取るに足らない話題のように成憲(なりのり)は言った。しばしの黙考の後、信西入道がおもむろに口を開く。


「そうじゃ、朝子(ともこ)。そなたが待賢門院様にお仕えしてた時分、御衣(おんぞ)が紛失した事件があったのう」

「そういえば……。鳥羽の法皇がまだ上皇でいらした時だったかしら。高陽院(かやのいん)泰子(やすこ)様の女房だった小大進殿が待賢門院様の御衣(おんぞ)一重(ひとえ)を盗んだという嫌疑を()けられて、北野天満宮に幽閉される事件ですわね」


 信西入道の隣で酒を(そそ)ぐ女房――紀伊局(きいのつぼね)朝子(ともこ)は思い出すように話を続ける。


「あの事件は色々と不可解な事件でしたわ。ろくに審議もなされずに検非違使(けびいし)が幽閉して、どのような罪を受けるのでしょうと私たち女房もお話しておりましたの。ところが上皇の夢枕に天神様が立たれたそうで、北面の武士を北野天満宮に向かわせたのですわ。

 小大進殿が()んだ歌『思ひいづやなき名立つ身は()かりきと現人神(あらひとがみ)になりし昔を』を見た武士は上皇へお渡ししようと馬を走らせて院に帰る前に、待賢門院様の御衣(おんぞ)(かぶ)った雑仕女(ぞうしめ)が出て来た、ということでしたわね。

 さすがは天神様の流れを()む歌()み、歌で天下(あまつち)も動かすものかと驚いてましたよ。でも、せっかく無罪が()れたのに内裏に戻らず仁和寺に(こも)ってしまわれましたわ」


 相も変わらず笑みを(たた)えて信西入道に酒を注ぐ。それをぐっと(あお)って成憲(なりのり)を見た。


「と、いうのが世間での話じゃ。しかし儂の見立ては違う。そちは小大進を幽閉した検非違使(けびいし)、天満宮まで馬を走らせた北面の武士は誰じゃったと思う」

「どのような御仁でごさいまするか?」


 信西入道の問いに、成憲(なりのり)は父親の真意が分からぬまま、何とも言えぬ顔で答えた。警戒の色を隠すように成憲(なりのり)は盃を一気に(あお)る。信西入道の口調が、がらりと変わった。


「検非違使は左衛門尉(さえもんじょう)・源光信(みつのぶ)で、北面の武士が刑部(かみ)・平忠盛(ただもり)じゃ。この二人には因縁があって――。

 康和の御世に忠盛(ただもり)の父・讃岐守(さぬきのかみ)正盛が討ったはずの『源義親(よしちか)』を名乗る者が二人も現れた。そのうちの一人が(さきの)関白・忠実(ただざね)卿の(もと)(かくま)われておったのじゃが、遂に『源義親』を名乗る者同士で騒動が起きて、忠実卿が(かくま)っておった方の義親が討たれてしもうた。残った方も詮議によって偽物であることが判明し、首を()ねられて(さら)された。

 しかしこの騒動はここでは終わらぬ。この首謀者が忠盛(ただもり)じゃと疑われたが、正盛の軍師でもあった式部大輔(しきぶたいふ)・菅原在良(ありよし)殿の弁護によって事実無根が明かされた。結局、光信(みつのぶ)が土佐へ流され、弟の光保(みつやす)も連座して解官(げかん)された。

 そもそも奥州にて康平・永保の役で朝廷軍として戦った源氏を取り込もうとした摂関家に鳥羽の上皇が圧力を()けたとも言われておる。

 そして今も坂東の不穏にかこつけて忠実卿も息子の左府も源氏を取り込んで私兵化しておる。

 左府が引いた『孟子』の(しょく)()くは()しに対して、小侍従は単に嫌がらせで『詩経』から吝嗇(ケチ)野次(やじ)ったわけでなく、この時期に軍勢を整えることよりも徳を以て坂東に当たるべしと()いたと聞いた。ここが悪評高い『姥童(うばわらわ)の女軍師』たる所以(ゆえん)じゃろうが……成憲(なりのり)よ、しかと覚えて置け」


 信西入道が目を見開いた。それまで浮かべていた薄笑いを完全に消して、


「菅原が危機に(おちい)った時は必ず平氏が動く。菅原が動く時は平氏に注意せよ」


 (さかずき)を口へ運ぶ信西入道に釣られて成憲(なりのり)(すす)る。白濁の酒が(わず)かに苦かった。                 

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