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◯◯◯◯探偵  作者: てこ/ひかり
第一幕
8/28

専門家探偵

「よぉ、前田」


 昼下がり。前田は所用で警察署の待合室にいた。

前田が所在無く佇んでいると、向こうからふと声をかけられた。懐かしい声に、思わず耳がくすぐったくなる。振り返ってみると、林菖蒲(はやしあやめ)刑事だった。徹夜が続いているのか、少し眠たそうな表情で前田を見ている。警視庁捜査一課の女性刑事で、前田とは、度々現場で顔を合わせることも少なくなかった。


「あ、菖蒲(あやめ)先輩!」

 前田は途端に表情を強張らせた。


 彼女は大学の2年先輩で、同じ柔道部として、前田にとっては大変畏怖すべき存在であった。

今でこそどうなのか知らないが、当時柔道部の先輩後輩と言えば、上下関係が非常に厳しかった。後輩にとって先輩は絶対服従の唯一神、彼らが肩を揉めといえば手首が千切れるまで肩を揉み、喉が渇いたと言えば後輩は我先にと自販機へと駆け出す、親よりも敬うべき究極生命体であった。前田はきっと、ウチの部活だけは『世界人権宣言』を聞きそびれたのだと思っていた。


 菖蒲が笑った。


「何だよお前、こんなとこで。何か悪いことでもしたの?」

「いえ、この間解決した事件の、事情聴取で呼ばれまして」


 菖蒲が近づいて来て、面白そうに肘で前田の脇を突いた。前田は普段とは打って変わって、蛇に睨まれたカエルのように硬直していた。後10分もこれが続けば、死後硬直が始まるに違いない。彼はそう思った。


「事件だあ? お前、真面目に探偵やってんのか?」

「も、もちろんです」


 前田は敬礼せんばかりの勢いで答えた。何よりこの殺女(あやめ)……間違えた、菖蒲(あやめ)先輩、おっそろしく凶暴で、おっそろしく強かったのである。道場の中の彼女は、さながら羊の群れの中に解き放たれた狼のようであった。男女の違いはあったが、菖蒲はよく男子の道場にやって来ては根こそぎ泣かせていた。前田は何度、彼女の前にひれ伏し「生まれてきてごめんなさい」と謝ったか分からない。将来は柔道家か、プロの暗殺者になるだろうと誰もが思っていたが、何故か刑事になってしまった。


「あんまり阿漕な商売してんじゃねぇぞ、オイ」

「してませんよ、そんな」

 憧れと畏怖の対象を目の前にして、前田はしどろもどろになった。


「林刑事」

 すると、廊下の向こうから目つきの鋭い警察官がひとり、そっとこちらに近づいて来た。


「おう。どうした?」

「例の()()()()()()の件ですが」

 若い警察官が前田を気にしてか、声をひそめた。

「自宅から()()()()が見つかったので、そっちで()()()()にしました」

「そうか」

「実は、他にも()()()()まで見つかってるみたいで」

「マジかよ。こりゃただの()()じゃねえのかもな」

「上は、どうも()()()()()()じゃないかと睨んでるみたいで……」

「分かった。後で行く」

「先輩」


 警察官が離れて行ったところで、前田が不思議に思って菖蒲に尋ねた。


「さっきから何の話をしているんですか? お昼ご飯の相談ですか?」

「ん? あぁ……」

 菖蒲は何かに気がついたように白い歯を見せた。


「違う違う。さっきのは警察用語だよ」

「警察用語?」

「そ。業界用語みたいなもんだ。一般人を前に事件のことベラベラ喋っちゃマズいだろ? それで、分かる人には分かる言葉で伝え合ってるワケ」

「へぇ」

「『赤馬』ってのは、放火事件のことな」

 または『赤犬』とも言うらしい。燃えている炎が遠目には馬や犬の形に見えるから、だそうだ。


「じゃあ、『コロッケ』って言うのは……」

「女の殺人犯。か弱いフリして、人を殺してんだろ? コロッケみたいに、柔らかい中身とカリッとした衣でギャップがあるって、そう言うシャレ」

「なるほど。『赤馬のコロッケ』ねぇ」

「『あんぱん』はシンナー。袋に入れて吸ってんのがあんぱん食ってるみたいだからな。関西地方じゃ『チャンソリ』って言うらしいが、まぁ、地方によっても色々呼び方違うみたいよ」

『そうめん』は逮捕。麺が縄のように見えるから。『レンコン』はリボルバー銃。シリンダーの形がレンコンに似ているから、だとか。前田は感心して手を打った。


「色々あるんですねえ」

「都市伝説みたいに、調べりゃいくらでも出てくるよ。ま、あんまり一般人に広まりすぎた奴は、隠語の意味がなくなっちまうから、ちょくちょく使われなくなったりもするらしいけどな。被害者(ガイシャ)とか、犯人(ホシ)とか聞いたことあるだろ?」

「あぁ、確かに。でも何か専門家っぽくて、言い回しが格好いいですね。『赤馬のコロッケ』かぁ……」

「まぁ、そう言うわけでこっちも立て込んでるから。また今度な」

「はい、ありがとうございます!」


 菖蒲が軽く右手を上げ、前田が勢いよくお辞儀をした。大学を卒業しても、先輩・後輩というのは、やはり何処まで行っても先輩・後輩なのだ。


「たまには道場にも顔を見せろよ。一回私と試合しようぜ!」

「えぇ、あの、その……まぁ」

 前田はもごもご言って誤魔化した。まだ彼とて、命は惜しい。


「なるほどねえ。先輩も頑張ってるんだなぁ……『赤馬のコロッケ』かぁ」


 菖蒲が颯爽と去って行った。前田は彼女の小さな、だけど頼もしい背中を見送りながら、ひとり感心しきりだった。


「お帰りなさい、先生」

 夕方、探偵事務所に帰り着くと、学校帰りのレイラが前田を待っていた。


「どうでした? 事情聴取は?」

「あぁ。まぁまぁだよ。特に何もなく。私のは、『コロッケ』じゃないからねえ」

「はぁ?」


 前田が『探偵用コート』をかけながら、ちょっと意地悪そうに笑った。


「知らないのかい? 『コロッケ』」

「コロッケくらい知ってますよ。何言ってるんですか」

 レイラが少しムッとした。

「取調室で晩御飯でも食べてきたんですか?」

「違う違う。『コロッケ』っていうのはね……」


 前田は得意げに、さっき菖蒲に教わった隠語を、さも自分は最初から知ってましたという風に語り始めた。


「……分かったかい? それなりの用語を使うと、実に専門家っぽいだろう?」

「大体分かりましたけど。知識を振りかざしてくる感じがとてもムカムカします」

「ハーッハッハァ!」

「笑って誤魔化さないでください。それより先生、もう約束の依頼人が来てますよ」

 レイラは無表情で、奥の応接室を指差した。

「こりゃいけない。少し遅れたな」

 前田は壁掛けの時計を見上げ、慌ててネクタイを締め直した。


「お待たせしてすいません」

「おぉ先生! お待ちしておりましたぞ!」

 

 応接室に入ると、依頼人の50代のでっぷりとした男が腰を上げた。すっかり後退したおでこを、しきりにハンカチで拭いている。依頼人は前田を見て、ホッとしたような表情を見せた。


「良かった。是非、前田先生に解決してもらいたい事件が」

「なるほど。どう言った事件ですかな? 浮気調査、失くし物、ご近所トラブル……」


 前田が上げたのは、この事務所のメインのお仕事である。殺人事件とか誘拐とか強盗とか、ドラマや小説じゃないんだから、そんな大きな事件など実は滅多にないのである。依頼人が汗を拭った。


「実は、うちの家内がコロッケで……」

「コロッケ!」


 前田は仰天した。さっきの今で、一体何の虫の知らせか、いきなりの大事件だった。

「え、ええ。それで、大火傷を負いましてね」

「火傷どころじゃすまないでしょう!? コロッケって!」

「はぁ、そうですね。それで、みっともない物ですから、ご近所には何とか隠し通そうと頑張っておったんですが」

「隠し通せるようなもんじゃない!」

 前田も汗を拭った。コロッケって、そんな、単なる()()で済まされる話ではない。


「どんなコロッケだったんですか?」

「え?」

「色々あるでしょう? コロッケにしたって」

 前田は依頼人を問い詰めた。

「それは……レンコンコロッケです。ちょっと珍しいですが、レンコンでコロッケを……」


 レンコンコロッケ……。

 前田は青ざめた。もうダメだ。これはもう、推理とか、そういう範疇を超えている。


「ダメです! 今すぐご近所に……いえ、警察に真実を話してください!」

「は、はぁ」

「コロッケのことも……レンコンのことも! 今すぐ、警察に!」

「わ、分かりました」

「他には?」

 前田が頭を抱えた。何てことだ。前代未聞だ。依頼人の奥さんがコロッケだったなんて。


「他に隠していることは?」

「え?」

「この際、洗いざらい話してください。コロッケに関する、どんな些細なことでも。下手に隠そうとした方が、印象が悪くなりますよ」

「そ、そうですか。コロッケに関すること……。そうですね、今思えば、何であんな慣れないことを……その前の昼は、息子と娘がそうめんを」

「前の昼に、息子と娘がそうめん!!」

 思わぬ爆弾発言に、前田が目を引ん剝いた。


「大丈夫ですか!?」

「何がですか?」

「失礼ですが、一体どうなってるんですか貴方の家庭!?」

「いえ、本当にコロッケの件は、家内もそそっかしかったと大変反省しておりますが」

「そうめんも大概ですよ!」

 前田が唾を飛ばした。コロッケだって、そそっかしかったってレベルでもないが。


「この際、何でそうめんになってしまったかは聞きません」

「いえね、うちの母が、暑中見舞いで送ってくれたんですよ。それで……」

「いいです、いいです。話がややこしくなる。今はコロッケに集中しましょう」

「その家内のコロッケも、元を正せばうちの母が原因なんですけどね」

「ええ!?」

「私の母は沖縄出身で、赤馬とあんぱんが大好きなんですが」

「なんだって!?」

 とんだ犯罪一家だ。前田は目の前が真っ暗になった。


「ええ。海辺で民家を見据えながら、赤馬をちびちびとね。そして、合間にあんぱんを……」

「やめろ! そんな自慢聞きたくない!」

「先生。家内は火傷などの保険に入ってなくて……保険料が心配で心配で。家内はどうなるのでしょう?」

「どうなるって……」

 この期に及んで保険料なんて心配している場合ではない。前田は憂鬱になりながら唸った。

「レンコンコロッケでしょう? 最悪、死刑ですよ」

「死刑!?」

 今度は依頼人が仰天する番だった。


「死刑ですか!? レンコンコロッケで!?」

「そりゃそうでしょ。レンコンでコロッケって貴方……そんなの探偵なんかに相談してもどうにもなりませんよ。今すぐ警察に行ってください」

「そんな……先生! お願いします、報酬はいくらでも積みますから。どうか家内を……」

「ダメだ、ダメです。探偵は便利屋じゃあない。レンコンでコロッケって、そんなのお金の問題じゃありませんよ。悪いことは言いません。貴方に良心があるのなら、今すぐ奥さんと警察に行ってください」

「そうですか……分かりました」


 依頼人はがっくりと項垂れ、やがてヨロヨロと立ち上がった。


「先生、どうしてもダメですか? 簡単な依頼だと思うんですが。家内のために。解決してくれたら、それこそいくらでも……」


 出入り口まで立った時、依頼人が未練がましそうに、持っていた重そうなアタッシュケースを掲げて見せた。中にはびっしりと札束が入っているのだろう。だが前田は頑として首を縦に振らなかった。


「ダメです。どこが簡単な依頼ですか。何なら私から警察に連絡しましょうか?」

「わ、分かりました! 分かりましたよ……」

 こりゃ他の探偵に依頼するしかなさそうだ。

 依頼人が階段を降りる際、そんな声が聞こえてきた。前田は呆れた。未だにそんなことを言っているのか。これは私から、警察に通報しておいた方がいいかもしれない。


「先生、終わりました?」


 前田が思案していると、レイラが奥の部屋から顔を覗かせた。


「どんな依頼だったんですか?」

「いやぁ……とてもとても。軽々しく話せるような内容じゃないよ。それこそ、隠語じゃないと」

 前田は肩をすくめた。


「あんな依頼、いくらお金を積まれたってできやしないよ」

「そうなんですか? 何だか身なりのいい、お金持ちそうな人でしたが。依頼を受けたら、そこそこ潤ったんじゃないですか?」

「ダメダメ。確かに私も、この間300億の借金を背負ったからね。お金は喉から手が出るほど欲しいが……アレはダメだよ。私もね、探偵として、一線くらい弁えてるつもりさ」

「そう……そうかなあ?」

「そうとも」


 結局レンコンコロッケの人は別の探偵事務所に行き、保険云々の件を解決してもらった。その探偵事務所が、最近やけに羽振りがよくなったが、前田にはさっぱり理由が分からなかった。前田は、しばらく返済に追われ、まともにコロッケも食えない日々が続いていた。


〜Fin〜

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