落語家探偵
「先生! 大変です、先生……あれ?」
レイラが部屋に駆け込むと、何の変哲もないただの探偵・前田”負”家は、何故か和服を着流していた。和室には前田ひとりだった。紺色の、ゆったりとした着物に身を包んだ前田が、座布団の上に胡座をかいていた。レイラは少し目を丸くした。
「何ですかその格好?」
「見ての通りさ。この旅館にぴったりだろう? 実はねレイラ君。私、今夜ひとつ、落語を演ろうと思っているんだ」
窓から差し込む夕陽に目を細め、前田がのんびりと云った。ふたりは今、仕事の依頼で、とある山奥の旅館に来ているのだった。
「落語?」
レイラが制服のまま尋ねた。
「嗚呼。落語家兼探偵なんてどうだい? 風情があるだろう?」
ただの探偵・前田は現在、『探偵一本』で勝負することに限界を感じ、探偵プラスアルファとして何か兼業を探しているのだった。レイラが少し案ずるように小首をかしげた。
「Grim Reaper……『死神』ですか?」
「違うよ。探偵だからって『死神』を演ると決めつけるのは止めてくれ。『粗忽長屋』だよ」
そう云って前田は持っていた淡青の扇子をばっと開いた。扇子の中央には、筆で大きく『粗忽』と文字が書かれている。
「どうだい? 格好良いだろう。意味はよく分からないが、画数が気に入ったから、お店の人に書いてもらったんだ」
「先生って、本当に愉快な人ですね」
レイラはほほ笑んだ。
「先生にぴったりな文字だと思います」
「だろう? ハーッハッハッハ!」
前田は『硝煙反応拡散用扇子』をパチリと膝で叩き、高笑いした。
『硝煙反応拡散用扇子』とは、探偵の必須アイテム(と前田は云い張っている)、『殺害現場に硝煙反応が残っていた時に、拡散する用の扇子』である。この扇子で扇ぐことで、現場が煙たくなくなるのである。
「それで、大変なことって?」
「あ。そうだ」
レイラがハッとしたように顔を上げた。
「そう、大変なんです前田先生。向こうの部屋で、前田先生が、死んでるんです!」
「何だって!? 私が死んでる!?」
思いがけない報告に、前田は死ぬほど吃驚した。
現場は血の海だった。前田が借りている部屋と、同じような作りの和室で、ひとりの男が事切れていた。部屋の中で激しく争った痕があり、畳の上に投げ出された身体は奇妙にねじ曲がり、その顔は傷だらけになっている。カッと見開かれた両目には、生気がなく、じっと天井付近を睨みつけていた。
部屋の入り口には、すでに野次馬たちが大勢集まっていた。人混みを掻き分け、前田は部屋の中へと急いだ。
「通してくれ、ちょっと空けて……」
「アンタ何です?」
「私は探偵だよ。私が死んでいると聞いて、飛んで来たんだ」
「先生! 嗚呼……そんな!」
レイラが死体に縋り付き、その肩を激しく揺さぶった。
「どうして……」
レイラが目に涙を浮かべた。
「先生と私は、生まれた時別々だったから、死ぬ時も別々だって誓い合ったのに!」
「落ち着け、レイラ君。生まれた時別々で、死ぬ時も別々って……普通のことじゃないか! そんなの誓った覚えはないよ」
前田はまだ、半信半疑だった。自分が死んだと云うことが、理解できなかった。すると野次馬たちが、早速やって来たふたりを取り囲んだ。
「何でえお嬢さん、この死体、アンタの知り合いかえ?」
「ええ。この人は前田先生、探偵なんです」
「ひぇ〜!」
「探偵だってよ」
「オイ、本当にその死体、探偵さん本人なのかい?」
たちまち野次馬たちが騒ぎ出した。レイラは頷いた。
「間違いありません。この間抜けな顔、死んだ魚のような目、アホみたいな髪型……こんな人、先生以外いません」
「そこまで云わなくても……」
レイラが断言し、前田は少ししょんぼりした。客のひとりが死体に手を合わせた。
「そいつぁ災難だったな。お嬢さん、その先生とやらに、身寄りはいたのかい? 亡くなっちまったこと知らせねえと……」
「いえ、先生に家族はいません。それどころか、人間の知り合いも……先生はお父さんが競走馬で、お母さんはヘラジカなんです」
「それじゃバケモノじゃないか!」
前田が叫んだ。
「私にだって人間の親くらいいるよ! おい、人が死んだからって、勝手なこと云わないでくれ」
「バケモノっていうか、馬鹿者でしたね」
「はっきり云うな! 私は人間だよ」
「まぁまぁ。それより先生、早く自分の死体の確認を……」
「むぅ……」
レイラに先を促され、前田はかがんで死体を覗き込んだ。
「……うーむ」
「どうですか?」
「……似てると云われれば、確かに似ているが」
前田は首をひねった。
「これ、本当に私かなぁ?」
「案外、自分のことは、自分ではよく分からないものですよ」
レイラが死体の顔を覗き込んだ。
「ええ。やっぱり、この『死神』に取り憑かれてそうな顔……先生に違いありません」
「そう? そんなに?」
「先生のことは、助手である私が良ぉく知っています。先生の顔の形、誕生日、ホクロの位置、それに、エッチな画像の隠し場所まで」
「ちょっ……な、何でそんなこと知っているんだい!?」
前田は思わず吹き出した。レイラが真顔で答えた。
「だって、Wikipediaに全部載ってますよ」
「誰が載せたんだそんなの!」
「別に良いじゃないですか」
「良くないよ! 気分が良くない。そんな個人情報……いくら私が有名で、有能な探偵だからと云って……」
「え?」
「えっ?」
ふたりは顔を見合わせた。
「だって、恥ずかしいじゃないか! Wikipediaって、そんなものネット上で全世界に公開されていたら、こっちは生きた心地がしないよ」
「そりゃあ、先生はもう死んだんですから。生きた心地がしなくて当然ですよ」
「そ、そうか……それもそうかな?」
前田はそれもそうかと思い直し、『粗忽』の扇子を扇いだ。
「先生……」
「ん?」
「あ、間違えた。故・先生」
「まだ『故』は付けなくて良い! まだこの死体、私と確定した訳じゃないんだから!」
「どうですか? 自分で確認してみて、やっぱり自分の死体ですか?」
「うーむ。毎日鏡で自分の顔は見ているつもりだが……でもなぁ。私の顔、こんなに長かったか?」
「死んでから伸びたんじゃないですか?」
「そうかな……私も妙なところに伸び代があったもんだ」
「死んでみるもんですね」
「嗚呼……死ぬのも悪くないのかもしれない。しかし、似てる、かなぁ? どうも一寸違うような……」
前田にはまだ確信が持てなかった。長らく探偵を営んでいるが、自分の死体を発見したのは、これが初めてだったのだ。顔を険しくして死体を覗き込んだ。
「私って、鼻の穴、3つあった?」
「ありました」
「あったのか。全然気づかなかった……。死体は、口元が耳の辺りまで裂けてるが……」
「元々そんな感じでしたよ」
「やっぱりバケモノじゃないか!」
前田が嘆いた。レイラが死体の顔を鷲掴みにして前田の目と鼻の先に突きつけた。
「ほら、よく見てください! この間抜け面!」
「うむ……」
「それにこのだらしなさ! なんて格好で死んでるんですか。死んでから余計に締まりがない。まさに普段の先生そのもの!」
「そんなにかい?」
懇意にしている助手にそう云われ、流石に前田も自信がなくなってきた。
「……私、かもしれないなぁ」
「でしょう? しっかり抱きかかえて上げてください。他ならぬ自分の死体なんですよ?」
「うーむ。だが……」
前田は確と死体を抱きしめ、しかしふと首をひねった。
「抱かれているのは確かに私だが、そうすると、抱いている私は一体誰なんだ?」
レイラも首をひねった。
「そうですね。それが問題です。仮に死んでいる方の先生をA、そして生きている方をA’としましょう」
「死んでる方がAなんだ……」
「おいおいおふたりさん。本当にその死体、探偵さんなのかよ?」
一向に進展しない推理に、野次馬が痺れを切らして声を荒げた。
「もしかしたらそっくりさんなんじゃねーの?」
「そんなはずはない。この顔を見てくれ。この顔は確かに私だ」
「ほら。本人もそう云ってるんですから」
「どれどれ……うおぉ。本当に間抜けだぁ!」
「ひっでぇツラしてんなぁ。死んでるから、余計に間抜けだよ」
「見せろ! 間抜け面見せろ!」
「……そんなに間抜け間抜け連呼しないでもらえますか?」
部屋が間抜けで包まれた時、突如襖が開けられた。
「てぇへんだ!」
「なんだ」
「どうした?」
「今しがた警察が飛んで来たんさ。それで、その死体は、国際テロ対策組織の、幹部のものらしいぞ!」
「なんだって?」
飛び込んで来た客のひとりが、手に持っていた新聞を掲げて見せた。その新聞には、確かに死んだ男の顔が写っている。
「もんげえ有名人らしいぞ! 今に大勢、取り巻きが迎えに来るらしいぞ!」
「ひぇ〜」
新たな事実に、部屋は騒然となった。
「新聞に載るような有名人だったのかぁ」
「こんなところで、大方お忍び中に、おっ死んじまったんかね?」
「可哀想に……南無阿弥陀ァ」
「そう云われると、高尚な顔つきをしておられる」
「ほんに立派な顔だぁ」
「立派、立派」
「……なんか、皆さん急に手のひら返してませんか?」
前田が釈然としない顔で呻いた。
「良かったですね、先生!」
その隣でレイラが白い歯を見せた。
犯人探しはまだこれからだが、とりあえず死体は、前田のものではなかったのだった。
「自分の死体じゃなくて」
「良かった、のかな? 何だかすごく……心にトゲトゲしたものが突き刺さったんだが……」
「生きてこそ、ですよ!」
「そうか……そうかな?」
前田はそれもそうかと思い直し、とりあえず死体が自分ではなかったこと、そして生きていることを喜んだ。
「私は信じていました」
「本当かい? やりとりを振り返ってみて、本当にそんな言動だったかい?」
「だって、最近の先生は『死神』じゃないですもんね。どっちかって云うと、『貧乏神』の方ですもんね」
「God……そうだろう、そうだろう。私が死んでるはずないじゃないか! ハーッハッハッハ!」
Godの発音に反応した前田は、気を良くしてニンマリと顔を綻ばせた。そして『粗忽』と書かれた扇子を広げると、星空を見上げ、大いに高笑いを決め込むのだった。
〜Fin〜