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◯◯◯◯探偵  作者: てこ/ひかり
第三幕
27/28

厭世家探偵

 前田は洋菓子店に着くなり、先に現場を固めていた警察官に手招きされた。


 周辺はパトカーで埋め尽くされていた。白一色に染まったアスファルトに、赤い回転灯(ランプ)が反射して、周囲に異様な光のグラデーションが出来上がっている。肌を刺すような寒さに、前田は目を細めた。


「犯人はアンタをご所望らしい」


 先に来ていた猪本警部が前田の元に近づいて来た。前田は硬い表情のまま無言で頷いた。やはり、人質になったのは彼女だった……ポストに投函してあった手紙を警部に見せる。猪本は一通り文面を読んだ後、フンと鼻を鳴らした。


「八つ当たりも甚だしいな。犯人とは面識がないんだろう?」

「ええ」

「とにかく出来るだけ話を長引かせてくれ」


 再び頷き返す。神妙な面持ちの猪本に連れられ、前田は犯人の立てこもる洋菓子店へと案内された。午後5時を半刻ほど過ぎた頃である。赤みがかった彩雲は、次第に光彩を暗くして行き、街のあちこちにイルミネーションの光が踊った。四方から降り注ぐ七色のスポットライトを浴びながら、前田が一歩、また一歩と白い絨毯を踏みしめて行く。


◆◇◆


「その男だけだ!」

 

 店内に入ると、正面に帽子にサングラス、そしてマスク姿の男が佇んでいた。すぐ隣にはレイラがいて、首筋に刃物を当てがわれている。前田は男をじっと見つめた。中肉中背、無地のジーンズにカーキ色のジャンパー。一見してこれといった特徴はない。やはり、一度も会ったことのない人物だった。ネットや雑誌のインタビュー記事を読んで、妄想を膨らまし勝手に逆恨みしたか。


 中は男とレイラ二人だけで、閑散としている。興奮しているのは、むしろ人質よりも犯人の方だった。先ほどから挙動不審に踵を鳴らしたり、時折ぐるんと首を回す動作が見られる。これはマズイ状況だった。逆上した犯人が、突発的にどんな行動を起こすのか分からない。


 前田は素早く店内を見回した。客が逃げる時に倒れてしまったのか、壁の隅には椅子やテーブルが転がっている。いざという時は武器になるが、無闇に男を刺激しない方が良さそうだ。客も店員もいなくなった店内は閑散としている。スピーカーからリピートされる『ジングルベル』だけが、何処か空回りしているように浮いて響いていた。


「警察は出て行け。その男だけ残せ!」

「分かった、落ち着け……言う通りにする」


 猪本は両手を上げ、チラリと前田を見た。前田は犯人の方を向いたまま、小さく頷いた。


「よぉし……よし。それでいい。それで……さて」


 男が息を吐き出した。先ほどから興奮したようにレイラを引き連れ、狭い店内を不規則に歩き回っている。当のレイラに怯えた様子はない。ただ、氷のように冷たい無表情を決め込んでいるのが前田には少し気がかりだった。


「なんでお前がここに呼ばれたか分かるか!?」

 男が唐突に叫んだ。前田は黙って首を横に振った。


「俺はな! 俺は……探偵を恨んでるんだよ!」

 男がサングラスを取った。

「俺の妻は、数年前、探偵に殺されたんだ! ある閉ざされた山荘で……殺人事件が起きた。その時……!!」

 血走った目をぎょろりと輝かせ、男が前田を睨みつけた。


「殺されたんだ! 山荘で……連続殺人事件が起きて。妻は第二の犠牲者だった。犯人は……巫山戯た詭計(トリック)を使ったミステリかぶれの馬鹿な男さ。結局救助が来るまでに、三人が殺されて。結局犯人は、探偵を名乗り出た男によってアリバイが崩されて、救助後に逮捕された……」


 まるで読経のように、男がブツブツとひとりで喋り続けている。その事件なら前田も記憶にあった。雪山で遭難した男女に降りかかった連続殺人事件。確か解決した探偵は、前田と同じくらいの歳だった。なるほど、それで……。


「世間もマスコミも、その探偵を褒めちぎった。みんな探偵を英雄扱いさ。だがちょっと待ってくれ。おかしくないか?」

 なおも男の独演会は続く。

「だって彼奴は、三人も犠牲者が出るまで殺人鬼を野放しにした、ただのクソ野郎だぜ! 死神だ! そうだろう? 少なくとも最初の犠牲者が出た時に、もっと真剣に事件に取り組んでたら、第二の殺人なんて起こるはずはなかった! 怠慢じゃねえかよ! なんで、なんで……」 

 男はそこで言葉を途切らせた。ボロボロと、大粒の涙が頬を伝って流れ落ちる。やがて深呼吸して、再び喋り始めるまで、それなりの時間を要した。


「……最初の殺人が起きた時、その探偵役、なんて言ったと思う?」

「…………」

「『まだこれが事故なのか殺人なのか、なんとも言えない』。忘れらんねえよ。『証拠がなければどうしようもない』ってさ。何が探偵だよ! 何が証拠だ。カッコつけてんだか知らねーけど、その時本気になってりゃ、敏子は死なずに済んだんじゃねえのか!? なあ!?」

「私を恨むんなら……」


 前田はまだ入り口に突っ立ったままだった。ゆっくりと、慎重に口を開いた。


「……私を殺せば、良い。その子は関係ない。頼む、離してやってくれ」

「勘違いすんじゃねえよ」


 未だ頬を濡らしながらも、男は前田を見据え、ニヤリと唇の端を釣り上げた。マスク越しにも、その顔が邪悪に歪んでいるのが見て取れる。


「俺は何も、お前を交渉相手に選んだワケじゃねえ! ただお前に、俺と同じ気分を味合わせたいだけなんだ。身近な人が目の前で殺される、その理不尽さを……」


 小刻みに手を震わせながら、男はレイラを乱暴に抱き寄せた。小さく上がる悲鳴。その首筋に刃を当てがい、つう、と一筋の赤い血が流れ落ちた。


「このガキ殺して、俺も死ぬ。お前は、ひとり残されて、これからずっと生き地獄を味わうのさ。大切な助手ひとり守れない、無能な探偵として……」

「やめろ!」


 刃物を持つ手が小刻みに痙攣している。前田は両手を床に付き、頭を下げた。


「やめてくれ! お願いだ、頼む……それだけは! 私が身代わりになるから……それだけは」

「今更取り繕ってんじゃねえよ! コラ!!」


 激昂した犯人が、前田の側頭部を思い切り蹴り上げた。頭が破裂するような激痛に襲われ、前田は床を転げ回った。男が低い声で唸り声を上げる。


「なあオイ!? テメー頭良いんだろ? だったら助けてみろよ、探偵なんだろ!? なあ!?」

「……ッ」

「偉そうにしやがって、この! テメーのせいだ! このガキが死ぬのは、テメーのせいなんだッ! それをしっかり頭に焼き付けやがれ!!」


 なおも執拗に蹴り続けられ、前田は苦悶の表情を浮かべた。呼吸ができない。意識が朦朧としてきた。床に這いつくばった前田の元に、男の咆哮が降り注ぐ。


「しっかり顔上げろ! この包丁が首掻っ切るのを、その目に焼き付けろ! この……ッ」

 その時だった。

右足を振り上げ、片足立ちになった犯人に、レイラが大外刈りの要領で思い切り男の軸足を蹴り上げた。踵を蹴られ、バランスを失った男は一瞬宙に浮いた。派手な音を立て、そのまま背中から床に倒れ込んだ。


「ぐあ……ッ!?」

「レイラ君!」

 レイラは、意外と冷静だった。父親仕込みの暗殺術……倒れた犯人に馬乗りになると、男の手首を逆方向に捻じ曲げ、持っていた包丁をはたき落した。素早く得物を奪い、男の首元にその先端を突きつける。今度はさっきとは逆に、レイラが犯人を取り押さえる格好となった。その間、ものの数秒もかかっていない。男がハッと息を飲んだ頃には、すでに形勢は逆転していた。


「レイラ君! ダメだ!」

「てめ、この……ッ!」

「…………」

 前田が慌てて叫ぶ。レイラは一言も喋らなかった。相変わらず氷のような無表情で、じっと男を見下ろしていた。その瞳は、青く燃え上がり、獲物を狙う猛禽類のような、有無を言わせぬ鋭さに満ちていた。


「レイラ君、ダメだ……殺すのは」

「…………」

「レイラ君……」

「…………」

「…………」

「殺せ……」

 短い沈黙の後、やがて男が観念したように呻いた。

「…………」

「殺せよ。どうせ死ぬつもりだったんだ。俺が死ねば、それで満足だろ? どうせ俺の居場所なんて、もうこの世にゃありゃしないんだ……」

「ええ、私も、今までずっとそう思っていたんですけど」

「あ?」

 レイラはじっと男を見下ろしたまま、静かに口を開いた。

「……失礼します。貴方を殺すことなんかより、大切な人が待っていますので」


 刃物を引っ込め、すっと立ち上がる。悄然とする犯人を置いて、レイラはそばにいた探偵の元へと駆け寄って行った。


◇◆◇


 クリスマス・イブも今や終盤、午後8時に差しかかろうとしていた。


 レイラと前田の二人は、警察官に周囲を警護されたまま、街角にあるテーブルに腰掛けていた。まだ現場となった洋菓子店は騒がしく、警察関係者や、テレビカメラなどがしきりに周囲を歩き回っている。それでも街の端々から、時折、道行く人の弾けた笑い声も聞こえていた。一介の殺人未遂事件をいつまでも記憶しておくには、あまりにも聖なる夜だった。その様子を遠目で見ながら、レイラは小さくため息をついた。


 犯人については、即時大々的に報道されたものの、レイラの顔と名前は、猪本や菖蒲が気を配ってくれたのか(「前田に感謝しなよ」と一言笑って、菖蒲は人混みの中に姿を消してしまった)、幸い、何処からも報じられることはなかった。

 もし、今回の立てこもり犯が国際テロリストだった場合……その場合はもう、レイラはこの国から出なくてはならなかっただろう。また潜伏して、追っ手から逃げ回る日々が始まっていたかもしれない。それを思うと、彼女は安堵せずにはいられなかった。


「レイラ君、大丈夫かい?」


 猪本が持ってきた温かいココアを口にしながら、前田はそっとレイラの横顔を窺った。事件直後ではあったが、レイラは相変わらず普段と変わりない、落ち着いた表情をしていた。赤いマグカップを片手に、じっと前田を見つめた。


「先生」

「ん?」

「先生、どうして止めたんですか?」

「ん?」

「あのまま殺しても……きっと正当防衛ですよ。自分を殺そうとしてくる相手を、どうして見逃してしまったんですか? 私なら……」

「そうだねえ……」


 前田は彼女の問いに、少し考え込むように首をかしげた。


「それが美徳だから……と綺麗事を言ってのけるのは簡単なんだけど。実は私も、探偵になる前、今日の彼と同じようなことをずっと考えてて、ね」

「はい?」


 レイラも首をかしげた。前田は苦笑した。


「……婚約していた彼女が死んだんだよ」

「…………」

「交通事故だった。この世にゃ神も仏もない、と思ったね。彼女は事故で死んだんじゃない、殺されたんだ……そう思っていた時期もある。とにかく目に映るもの全てが憎くて……」

「…………」

「その時だった。駅前の巨大液晶(スクリーン)に、とある探偵の番組が写っててね。あまりに彼の周りで事件が多いものだから、『死神』とあだ名される探偵だった」

「死神……」

「それで私は、一度その探偵の元に乗り込んだんだよ。文句の一つでも言ってやるつもりだった。場合によっては、そう……筋違いな殺意を、私は彼に抱いていたんだろうな。ポケットに武器を忍ばせて……それで事務所に押し入った。で、事情をぶち撒けた後、彼私になんと言ったと思う?」

「……『殺さないでくれ』?」

「『だったら君も探偵にならないか?』。あれは唖然としたね。自分を殺しにきた相手をだぜ? 警察に突き出すどころか、その日のうちに雇っちゃうんだもの」

「それで、先生は探偵に?」


 レイラが目を丸くして前田を見つめた。今まで聞いたことのない話だった。前田は頷いた。


「ああ。それで、まぁ、なんと言うかだね。なんてことはない、私自身が、そうやって救われた経緯があったものだから。今日会ったあの男に、過去の自分を重ねて見ていただけかもしれないね。とにかくあの頃は自分も、他人も、世の中も憎くてしょうがなくて……何かに怒りをぶつけなきゃ気が済まなくて。それで……甘いと言われればそれまでなんだけど……」

「…………」

 レイラは黙ってマグカップを口に運んだ。甘かった。白い湯気が顔に当たり、頬が熱を帯びてくる。


 そうだったのだ。レイラは、前田に惹かれた訳が、少しだけ分かった気がした。なんてことはない、彼女自身が胸のうちに抱え込んでいた孤独な感情を、前田もまた、同じように持っていたのだった。


「先生」

「ん?」

「ありがとうございます」

「ああ……どうも……」

 レイラに感謝されるなんて滅多になかったので、前田は目を瞬かせて狼狽えた。


「それで、副業は見つかりそうなんですか?」

「え?」

 前田はレイラを見つめ返した。まだ赤い服を着たままだった。

「いや、まだかな……ハハ」

「だったら早いとこ探さないとマズイんじゃないですか?」

 レイラはいつもの調子で冷たくあしらった。


「先生には明らかに探偵の才能が、皆無ですから」

「え? うん……そ、そうかなあ? 今さっきだって、事件を解決したばっかりなんだけど……」

「向いてないですよ。本当に。血生臭いのはやめて、もっと牧歌的な職業が良いと思います。次は画家とかどうですか? 詩人とか、コピーライターとか」

「それは、そのぉ、そこまで書く気力がないと言うか、もうネタ切れって言うか」

「でも最終的には」

 レイラは前田を見てほほ笑んだ。

「最後には、()()()()()よりも、()()()()()……肩書きよりも行動の方が大事なんだと、私は思いますよ」

「え? ああ……うん」

「さ、行きましょう、先生」

「ああ……そうだね」


 レイラが立ち上がったのを見て、前田も慌てて席を立った。

 もう大丈夫のようだ。前田も笑みを返した。


「行こう。事務所に戻って、仕事の続きをやらなくちゃ。まだまだ抱えてる事件が多いんだ……」

「仕事って、先生、仮装(コスプレ)してただけじゃないですか……」


 二人は寄り添って、雪の降る夜の街道を歩き始めた。


〜To be continued〜

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