革命家探偵
「メリークリスマス、レイラ君」
「時間の感覚おかしくないですか?」
真っ赤な帽子に白い口ひげを付けた前田を、制服姿のレイラがジロリと睨んだ。季節は冬だった。事務所内はいつの間にか、キラキラとした飾り付けが施されてある。一番星、赤と白のステッキ、緑の靴下に松ぼっくり……中央にある巨大なもみの木は、天井にまで届いていた。今夜はクリスマス・イブ……レイラは首をかしげた。
「ついこないだ『明けましておめでとうございます』って言ってた気がするんですが」
「そこが一話完結型の不思議と言うかなんと言うか。いやあ、月日が経つのは早いねえ」
「何言ってるんだかさっぱり分かりません」
派手な衣装に身を包んだ前田に比べ、レイラはいつもの冬服にマフラーといった、質素な格好だった。冷たい視線を送ってくるレイラを、前田がマジマジと見つめ返した。
「そう言うレイラ君は、今から出かけるの?」
「えぇ。これから友達と、※※駅前のケーキ屋に……」
「『弟子神社』に行くんじゃないのかい?」
「そんなヘンテコな神社は存在しませんし、そもそも私は先生の弟子になった覚えはありません!」
レイラは、トナカイの帽子を被せようとする前田を一喝し、その鼻先で勢いよく扉を閉めた。あんな探偵に構っている暇などない。
狭い階段を降り外に出る。普段見知った景色が、今日は真っ白に染め上げられていた。耳を澄ますと、街の至る所から陽気な『ジングルベル』が響いている。何だか違う世界に迷い込んだみたいで、レイラは一瞬、その華やかな装飾に心を奪われた。道行く人も、今日は何やら少し浮かれているような……こんな日は、何か特別なことが起きそうな。
何か。
特別な、良いことか。
……それとも特別な、悪いことか。
レイラは黙って曇天を見上げた。今朝から彼女は、妙な胸騒ぎがしていた。年末年始は物騒な事件が多いのだ。それで少しだけ、ほんの少しだけ心配になって、事務所を覗いてみたらあの探偵のおちゃらけた態度……。わざわざ終業式帰りに寄って、すごく損した気分だった。
彼女は気を取り直し、頭を振った。やはり杞憂に過ぎないのかもしれない。彼女の心配をよそに、街は底抜けに明るく華やいでいた。何処かの商店街から大きな鐘の音が聞こえ、午後3時を告げる。彼女は待ち合わせの場所まで、転ばないよう歩き出した。
そんな彼女を、物陰からじっと睨んでいる人物がいるとも知らず……。
◇◆◇
「なんだこりゃ?」
警視庁捜査一課・林菖蒲がポストを覗くと、差し出し人不明の一通の手紙が入っていた。宛名もない。紙には定規で線を引いたような文字で、何やらおどろおどろしい、脅迫文とも取れる文面が並んでいる。
「『死神へ。そんなに頭が良いんだったら、彼女を救ってみせろ。※※駅へ来い』……なんだぁ?」
「ちょっと菖蒲先輩! 勝手に人の事務所の手紙読まないでくださいよ!」
菖蒲が扉の前で首をかしげていると、人影に気付いた前田が慌てて事務所内から飛び出してきた。事務所内の温められた温度が外界の冷気と衝突し、一瞬ののち溶けて混ざり合う。前田は上下真っ赤な服に、白い口ひげを生やしたままだ。菖蒲はうっかり現行犯逮捕しそうになった。
「何やってんだ、お前」
「そ、それはこっちのセリフですよ! 勝手に人の手紙……」
「何だかお前、脅迫されてるみたいだぞ」
「え??」
サンタ姿の前田は、菖蒲から差し出された手紙を覗き込んだ。読み上げながら、探偵の顔がみるみるうちに青ざめて行く。
「これは……」
「彼女って、ここにいたお嬢ちゃんだろ?」
菖蒲の目が鋭くなって行く。
「あの子は?」
「出かけました……※※駅に!」
次の瞬間、菖蒲は仲間に応援要請を出していた。
それとほぼ同時に、前田は弾かれたように走り出し、階段を駆け下りて行く。
「大変だ……!」
「オイ、待て!」
動転する前田の背中に、菖蒲が怒鳴った。
「パトカー乗ってけ!」
すぐに真っ赤なランプとけたたましい警告音が、クリスマスに浮かれる街を切り裂いて走った。時刻は間も無く午後5時になろうとしていた。
◆◇◆
「麗矢レイラ。本名不詳。第三世界の小国出身で、父親は革命家の国家反逆者……」
「子供に罪はないじゃないですか」
「あっちの国じゃ莫大な懸賞金がかかってて、常に政府にもテロリストにも命を狙われてる。それが数年前から忽然と姿を消し、数々の国で目撃された後、最近日本に姿を現した」
ハンドルを思いっきり切りながら、菖蒲は助手席にいる前田をチラリと見た。前田は小刻みに体を震わせていた。寒いのか、いやきっと、そうではないだろう。
「行く先々でテロや凶悪事件が発生。世界中の諜報機関や公安からもマークされていた危険人物。本物の死神は……」
「違いますよ」
前田が菖蒲の言葉を遮った。その顔には冷や汗が滲んでいる。彼は前をじっと睨んだまま、しかし力を込めて言った。
「死神って言うのは、私のことでしょう。私が探偵だから。物騒な事件が周りに多く見えるだけですよ。レイラ君は何も悪くない」
「……そんな子供じみた言い訳意味ないって、あの子自身が一番分かってるだろ」
菖蒲は片手でハンドルを握ったまま、煙草に火を付けた。車内にたちまち独特の匂いが充満する。パトカーは当然のように信号無視しながら、国道を東へと突っ走っていた。
「……お前にもいつか忠告したよな。何かあってからじゃ遅いんだ。日本を『テロの現場』にするわけには行かねえ。多少荒っぽい手を使っても……」
「レイラ君は」
前田が喉の奥から声を振り絞るように言った。
「だって彼女には、関係ないじゃないですか! 親が『革命家』だとか『犯罪者』だとか……彼女の人生には全く関係ない! 自分が犯した罪でも何でもないのに、それなのに」
「居場所がバレちまったら……」
菖蒲は前田の言葉を無視し、ゆっくりと白い煙を吐き出した。
「……匿いきれねえ。導火線に火が点いちまった爆弾は、爆発するか、解体するかだ」
「…………」
それからは二人とも無言だった。パトカーはさらに速度を増して、雪の降り積もる街を駆け抜けて行った。
◇◆◇
突然の凶行に、店内は静まり返っていた。
事件はSNSなどを通じて瞬く間に拡散され、
・【速報】駅前で刃物男
・※※駅前騒がしい、何か事件かな?
・男が刃物振り回してる、ヤバイ
・警察!
・※※駅前の洋菓子店に立てこもり男、刃物所持か
警察が第一報を受ける頃には、すでに大勢の人々がその概要を目にしていた。
詳細はこうである。
曰く、駅前の洋菓子店に刃物を持った男が突然押し入った。
男は金銭などは要求せず、店員などに店の外に出るよう指示。
その後客だった一人の女子高生の首元に刃物を突きつけ、人質として立てこもった。
犯人は30代くらいの男とみられるが、人質となった女学生を含め、詳しいことはまだ分かっていない。
見知らぬ男の荒い息と、場違いなほど明るい店内放送を耳にしながら、レイラは黙って佇んでいた。昼下がりの都内で起きた立てこもり事件。人質となったのはレイラだった。
彼女は、意外と冷静だった。むしろ興奮しているのは犯人の方で、首元にあてがわれたひんやりとした包丁が、小刻みに震えているのが感じられた。レイラはそっと、無精髭の男の横顔を窺った。
「お前が……お前らが悪いんだ……!」
隣からではよく顔が見えない。真正面にあるガラスには、帽子とサングラスを被ったマスク姿の男が写っている。
「お前らのせいで……お前らが……」
レイラは諦めて俯いた。人相は判別できそうもない。男は先ほどからひとりブツブツと何かを呟いていたが、何か意味のあるような感じではない。とにかく自分は全く悪くない、悪いのは自分以外の全てであると、そんな感じの内容だった。
自分のせいじゃない。
悪いのは自分じゃない。
レイラは、そんな彼の気持ちがよく分かった。なぜなら、それは彼女が、物心ついた時から思っていたことでもあったのだ。
どうして私だけ。
悪いのは私じゃない。
悪いのは世界の方で、私は何にもしてない。
子供の頃から、レイラもずっと、そう思っていた。
……だけど、本当にそうだっただろうか?
ぼんやりとショーウィンドウを眺めながら、レイラは幼き日のことを思い出していた。
母国は冬のない、雪の降らない南国だった。
レイラが生まれる前から、彼女の父親は『正義』を掲げ、大勢の人を殺した。
やがて道半ばにして革命に失敗、国外へ逃亡。今では何処にいるのか、生死さえ定かではない。
もっともそれは、残された家族も同じことだった。
母はレイラの妹を産んでからすぐに体調を崩し死んだ。
その妹は、生まれて約一ヶ月で栄養失調で死んだ。
後にはレイラだけが残された。レイラの出身国は、ろくに医療も整っていない貧困国(だからこそ革命が起きたとも言えるが)だった。レイラは居場所を変え、かろうじて生きながらえて来た。国に残るつもりはさらさらなかった。
私は悪くない。
悪いのは私じゃない。
幼き頃の、自分の声が頭の中で谺する。
……確かに私は何も悪くなかったかもしれない。
だが私のせいで……大勢の人々が殺されてしまった。それは確かだ。彼女の国には、革命家の娘が生きていては困る人が大勢いた。もちろんそれに反対する人もいた。自然と内紛に転じた。今日もまた何処かで、誰かが殺し合っている。その現実に、とても耐えられなかった。私が生きているせいで……人々は武器を取るのをやめない。
自分が死神のようだと、本気で思った。私のせいだ。あの国の人々にとって革命家の娘が、私が存在すること自体が争いの火種だったのだ。私が死ねば……少なくともこれ以上、無駄な争いは無くなるのだろうか? だがどうしてだろう。逃げ込んだ先々で、彼女は手厚い(時には手荒い)保護を受け、今もまだこうして生き長らえている。
「お前のせいだ……お前が」
先ほどから耳元で男が囁き続けている。レイラは黙ってその呪詛を聞いていた。目の前のショーウィンドウに、自分の顔が写っている。ガラスに写った無表情の私が、突如私に語りかけて来た。ガラスの向こうにいる私は、みるみるうちに小さくなって行き、やがて子供の姿になって、私を見上げて嗤った。
アハハ、まだ気づかないの? アンタが死ねば、世界は『平和』になるんだよ。




