格闘家探偵
「なんだ。お前か」
夕刻。前田が道場に顔を出すと、師範代が嫌そうな顔をした。
「『歩く殺人事件』・前田”負”家じゃないか」
「人を変なキャッチフレーズで呼ばないで下さい。もっとカッコイイのあるでしょう。ナントカのシャーロック・ホームズとか、ナントカの孫とか……」
前田は心外そうな顔をしたが、筋骨隆々の師範代は相手にしなかった。
「そう言うのは既に特許が取られていて、一般人には手が出せないようになってる。迂闊に触ってみろ、それこそ殺人事件どころの騒ぎじゃないぞ」
「うーむ……相変わらず競争が激しい業界だな」
前田が考え込むように唸った。名だたる探偵と差別化を図るため、前田は目下副業を模索中なのであった。まだ20代くらいだろうか、若き師範代は腕を組んだまま、前田をジロリと睨んだ。前田も背は高い方だったが、二人が並ぶと、まるで大人と子供くらいの身長差がある。
「それより何しに来たんだ。わざわざ探偵学校の道場にまで……」
前田が訪れているのは、彼が数年前卒業した探偵学校、その敷地内にある『探偵道場』であった。
探偵学校とは、探偵を目指す少年少女が通う専門学校で、全国で活躍する優秀な探偵たちを輩出する名門校である。学校では探偵授業の他に
『探偵部活動』
『密室文化祭』
『時刻表同人誌サークル』
『完全犯罪倶楽部』
など、生徒たちの手によって様々な催し物やクラブ活動が営まれているのだった。ちなみに学生時代の前田を鍛え上げたのも、今は引退されたこの道場の元・師範、そしてその後を継いだ、息子の師範代である。長らく『探偵道場』を営む親子と、前田は長年の付き合いであった。
「いえ、ね。先日殺人事件に巻き込まれ、危うく殺されかけたものですから……もう一度鍛え直そうかなぁ〜って……」
「そうか、それは残念だな」
「ええ……え?」
「集合ッ!!」
すると突然、道場に野太い声が轟く。
いつの間にやら畳の上には生徒たちがぞろぞろと集まって来ていた。これから『探偵稽古』が始まるのだ。
「すごい賑わいですね」
前田は目を丸くした。ひい、ふう、みい……ざっと数えるだけでも数十名の生徒たちで、畳の上はぎゅうぎゅう詰めになっている。師範代が太い声で笑った。
「最近は世の中も物騒だからな。いざという時に体を鍛えて置かないと、逆上した犯人に襲われかねん。これからの探偵は腕っ節も重要と言う訳さ」
生徒たちの中でも一際体の大きな、恐らく部長と思われる青年が全員の前で胸を張った。
「整列ッ……礼ッッ!!」
「オネやシャーっすッ!!」
「シャーっす!!」
「な、何だかすごい気合いですね」
部長の掛け声を合図に、数十名の生徒が一斉に頭を下げ、声を荒らげる。その勢いに、前田は思わず気圧されそうになった。師範代が二の腕をさすり、満足げに頷いた。
「うむ。探偵たるもの、殺人事件は礼に始まり、礼に終わるものだからな」
「そうでしたっけ?」
言葉の意味はよく分からないが、とにかく凄まじいエネルギーが道場から発せられていることだけは確かだ。
「どうだ、前田。お前も生徒たちに混じって稽古してみるか? 体が鈍っているんだろう? 今のお前についていけるかな……」
「いやこれはありがたい、実は私もそのつもりで来たんですよ。卒業して数年経ってるとはいえ、私もまだ現役ですからね。あまり見くびっちゃ困りますよ……」
師範代がキラリとした目を前田に送り、前田もまた不敵に笑い返した。早速前田も『探偵道着』に着替え、一緒に稽古に参加することにした。前田が道場に戻ると、生徒たちは二人一組で柔軟体操をしているところだった。前田はその中の一組に混ぜてもらうことになった。
「ちゃんと首を絞めてッ!」
生徒たちの間を部長が練り歩き、激しい檄が飛ぶ。
「機会があったら”気絶”狙っていけ!」
「ウーッス!」
「ウーッス!」
「ちょ、ちょっと待って!」
突然後ろから羽交い締めにされ、落とされそうになった前田が慌てて畳をタップした。
「ゲホ、ゴホッ……な、何なんですかこれ!?」
「何って、柔軟じゃないか」
畳の外から前田の様子を見ていた師範代が、こともなげに言った。
「柔軟って……死ぬ、死ぬヤツでしょこれ! 本気で殺しにきてるじゃないですか!?」
「柔軟でできないことが、本番でできるのか? 実際の現場ってのはそんなに甘くないぞ」
「ボサッとするな! 隙を見せたら”あばら”逝っとけ!」
「ウーッス!」
「ウーッス!」
「ちょ……!」
部長が声を張り上げ、部員たちがそれに呼応するように機敏に動いて行く。容赦なく繰り広げられる掌底足蹴に、前田は恥も外聞もなく畳の上を走って逃げ回った。
「柔軟が終わったヤツから、キャッチボール始め!」
「キャッチボール?」
あばらの代わりに武人としての誇りを失った前田が、ゼエゼエと息をついていると、生徒たちは二手に分かれ始めた。師範代が肩をすくめた。
「知らないのか? 『凶器のキャッチボール』だよ」
「知りませんよそんなの! 何でそんな危ないこと……」
「だったらお前、推理中にナイフが飛んできたらどうするんだ? 銃で撃たれそうになったら?」
「マイ凶器! マイ凶器!」
前田が絶句している間にも、生徒たちは声を出し合い、ナイフや包丁、毒矢、バールのようなものを投げあってキャッチボールを始めた。道場の上を飛び交うその光景は、まさに狂気の沙汰であった。
「だからってこんなの……一歩間違えば即死じゃないですか!」
「実際の現場はそうじゃない、とでも言うつもりか?」
「いえ……でもうわっ!?」
まだ何か言いたげな前田だったが、死角からモーニングスターが飛んできたので、中断せざるを得なかった。ヌンチャクの先にトゲトゲしたボールが付いているようなヤツである。軌道を逸れた凶器は、派手な音を立て道場の壁に突き刺さった。
「しっかり集中しろォッ! そんなんじゃ全国で戦えないぞ!」
「ウーッス!」
「ウーッス!」
「もはや何の戦いなんだか……」
九死に一生を得た前田が首を振った。
「昨年は地区大会ベスト4止まりだったからな。今年は気合が入っているよ」
師範代が頷き、スコアブックを開いて見せた。
「この『犯罪スコアブック』によると……」
「なんちゅうスコアブック付けてるんですか」
「我が校の長年の弱点だったアウトローを、今年は徹底的に対策した。予選では我々が刺殺も、併殺・挟殺もダントツで一位だ。本大会でも常に次を盗む姿勢を見せ続け、相手のエースを燃やして燃やして、大炎上させるつもりだ」
「対策っていうか、自らがアウトローと化してるじゃないですか」
一体何の大会に出ているのだろう? 前田は呆れた。これじゃ犯罪者教室だ。
自分が在籍していた頃は、少なくとも凶器を投げ合うような稽古はしていなかったのに。一体どうしてこんな風に変わってしまったのか……卒業後に何があったんだ。前田が疑問に思っていると、ふと道場の入り口から物音がした。見ると、人影が見える。すでに稽古が始まって数十分経っているが、遅れて誰かが入ってきたようだ。
「師範だ!」
「師範の到着だ!」
それを聞きつけて、生徒たちが慌てて畳の上に正座し出す。そうだ。前田はハッとなった。思わず顔を上げ、逆光となった入り口に目を凝らす。これほどの惨状を、何故あの師範が許すのか。引退されたとはいえ、師範は鋼の肉体と心を併せ持つ、全国でも指折りの実力者であった。穏やかで物腰は柔らかくも、犯罪を憎む心は人一倍篤いあの師範が、よもや自分の作った育てた神聖なる道場が犯罪者養成施設へと様変わりしているなど許すはずが「ウーッス」
「ウーッス!」
「ウーッス!!」
人影が姿を現し、道場が割れんばかりの大声で揺れる。
入ってきたのは、前田のよく知る師範……ではなかった。だがよく知る顔……殺女……否、前田の先輩の女刑事・林菖蒲だった。
「菖蒲先輩……!? 何故……?」
前田は面食らった。彼女とはいつぞや警察署で偶然出会って以来である。
「なんだ。お前か」
道着姿の菖蒲は前田に気づき、師範代と同じリアクションをした。生徒たちは菖蒲を仰ぎ見ると、腰から体を折り、一糸乱れぬ動きで深々とお辞儀し始めた。
「師範ッ! 本日もよろしくお願いしますッ!!」
「おぅ」
見ると、何故か菖蒲が師範と呼ばれ、生徒たちに軽く手を挙げて挨拶を返していた。
「こ、これは一体どういう……?」
前田が慌てて師範代を振り返った。
「どうもこうも……」
師範代は肩をすくめた。
「この間彼女がふらっと道場破りに来てね。10日間の籠城戦のすえ、我々は拳銃を持った彼女に制圧され、道場を明け渡した」
「そんなバカな……!?」
「それ以来、彼女がこの道場の新たな師範となった。次世代にふさわしい指導者の元で、我々は全国大会を目指す事になったんだ」
実際彼女が就任して以来、我々はメキメキと強くなったんだよ。そう言って師範代は笑った。
「アンタの仕業だったのか!」
前田が菖蒲に食ってかかった。菖蒲は眠たそうに目を擦り、小さく欠伸した。
「なんだお前、こんなところまで。私に殺されに来たのか」
「そんな訳ないでしょう!」
菖蒲がニヤリと笑い、前田は悲鳴を上げた。
「か、勘弁してください! せっかく可愛い後輩が道場まで来てるのに……」
「可愛い……? 冗談は顔だけにしろ」
「ぎゃあああああっ!?」
出口を生徒たちの”人間壁”でしっかりガードされ、逃げ場を失った前田は菖蒲にたっぷりと可愛がられた。
〜Fin〜




