浪費家探偵
「どうしたんですか? 先生、やけにご機嫌ですね」
事務所に立ち寄ると、前田が鼻歌交じりに体を揺らしていた。これから仕事に向かうらしい。レイラは首を傾げた。この探偵、借金は数百億に膨らみ、頼みの綱の副業もまだ見つかっていない。彼の人生、現状、浮かれている場合では一切無いというのに……。
「ああ。実は先日の依頼主が、名だたる財閥のご子息でね。いつも以上にまとまった報酬をいただいたんだよ」
「へぇ……良かったですね。これで少しは生活の足しに……」
「だから今回の事件は、たっぷり予算をかけて豪勢なものにしようと思ってね!」
満面の笑みの前田と対照的に、レイラは目を瞬かせた。
「ちょっと意味が分かりませんが……」
「分からないかい? この報酬のおかげで、普段より大掛かりなトリックや豪華な容疑者を呼べるんだよ」
「わざわざそんなことする意味も分かりませんし……貯金すれば良いじゃないですか」
「何を言う。これを軍資金に、さらにどデカイ事件を解決すれば、自ずと報酬も名声も上がって行くじゃないか。機会はそうそう回ってこない。ピンチの時こそ、引くべきじゃないんだよ」
レイラはギャンブルに一切興味がなかったので、前田の思考回路がさっぱり理解できなかった。そもそも事件を豪華にするとは何なのか? 急に不安になって来たレイラを他所に、前田は颯爽と扉を出て行き、車へと乗り込んだ。車はあっという間に道の向こうへと消えて行った。レイラは陽光に目を細めた。空には羊の群れのようなまだら雲が、何処までも広がっていた。
◇◆◇
「……教えてください奥さん。何故貴方はあれほど愛していた夫を殺したのですか?」
やがて事件の概要が暴かれ、真実が白日の元に晒された。海の見える小さな旅館で起きた殺人事件。レイラの目の前には、関係者全員の前で犯人を名指しする前田と、中央でがっくりと項垂れる女将の姿が映っていた。小刻みに体を震わせ、女将がゆっくりと喋り出す。
「あの人……」
「…………」
「あの人、不倫してたのよ……!」
思いがけない言葉に、見守っていた関係者たちは驚いた。特に同じく旅館に勤めていた者の動揺は人一倍であった。女将の旦那は、愛妻家で知られていたのだ。
「そ、そんな……」
「ヒドイわ!」
「それだけじゃない、あの人は数週間前に私に生命保険をかけて……私を殺して、その女のところに逃げ込むつもりだったんだわ!」
女将は今や完全に取り乱していた。悲痛な叫びが狭い畳部屋に谺する。誰もが絶句する中、探偵がポツリと口を開いた。
「少し、弱いな……」
「え?」
その一言に、今度は探偵に視線が集中する。前田は顎を手で撫でながら、何やら思案顔で唸っていた。
「何ですか? 弱い?」
「あの探偵さん……一体どう言う意味ですか? 弱いって」
ざわつく観衆の一人が、狐につままれたような顔で前田に尋ねた。前田はぽりぽりと頭を掻いた。
「言っちゃ何だが、少し”ありがちだな”って意味で……」
「は?」
「これじゃ全国で戦えないって意味ですよ」
「全国? 戦うって何ですか?」
戸惑う宿泊客を尻目に、前田は目を輝かせた。
「やはりここは、予算を追加して事件を豪華に粉飾しよう!」
それから前田はポケットから『探偵専用7Gトランシーバー』を取り出し、何処かへ連絡を取り始めた。女将と親しかった、旅館の関係者がそれを見咎めた。
「ちょっと! 犯人が動機告白中ですよ! 通話はご遠慮願いたい」
「すぐ済みますから。あーもしもし? ”レンタル動機ショップ”ですか? 久しぶりィ〜! そうそう、前田ですけど」
だが探偵は御構い無しに、場にそぐわない明るい声で会話し始めた。感傷に浸っていた観衆たちは、突然の出来事に呆気にとられた。
「そう。また事件なの。そ、また不倫。これじゃワイドショーと変わんねえからさ。もっと訳わかんねえ、センセーショナルな奴無えかなって」
「何なの?」
探偵の通話から漏れ聞こえる話に、客の一人が眉を顰めた。
「そりゃ推理小説にも引けを取らないくらい、とんでもねえ奴よ。大丈夫、今回予算が結構出てるから。あ……一週間以内? オッケ」
「?」
どうやら電話の向こうは気のおけない関係らしい。前田は早口で捲し立てると、推理中にも見せなかった笑顔で女将を振り返った。
「安心してください、奥さん。貴方方夫婦の個人的な人間関係の捻れは、決して表には出ないように手配しましたから」
「はあ……?」
「ちょっと。さっきから何なのよ? ”レンタル動機ショップ”って」
痺れを切らした客が、とうとう前田に食ってかかった。探偵は爽やかな笑顔を浮かべた。
「動機をレンタル出来る、探偵御用達のお店ですよ。発表しても食いつきが悪そうだな、って事件には、ここで”心の琴線に触れる動機”を借りることが出来るんです」
「動機をレンタルだって?」
「金を払って、動機を買っているのか?」
「何故わざわざそんなことを……」
「ちょっと待ってよ! それって捏造じゃないの?」
部屋の中が騒がしくなってきた。前田はやれやれ、と言った具合に肩をすくめた。
「そうですよ、捏造です」
「そんな堂々と……捏造して良いワケ?」
「誰だって、プライベートをある事ない事書き立てられたくないでしょう? 貴方方事件の関係者達を守るために、表向きはあえて別の動機を発表するんですよ」
「でも……何か納得できないわ」
「じゃあ、今回は一体どんな動機を?」
「それは秘密。発表を楽しみにしていてください」
前田が茶目っ気たっぷりに含み笑いを浮かべた。すると今度は女将の友人が、半ば憤りながら探偵に歩み寄った。
「さっきからアンタ、発表って何なんだ? 我々の事件を、一体誰に見せるつもりなんだ?」
そう言って彼は探偵の襟元を捻り上げた。
「まさかアンタ、推理小説にでもするつもりじゃないだろうな? 冗談じゃないぞ。アンタにとっては格好のネタでも、こっちは現実に知り合いが殺されているんだ……」
「せっかく予算があるんで、使い切らないともったいないですよ。次はいつこんな巡り合わせがあるかも分からない」
しかし探偵は無視して、次々に電話をかけ始めた。
「もしもし? ”レンタルトリックショップ”さん? 久しぶり〜……そうなのよ、密室。ううん、出来が悪くって。それから後ろから鈍器で殴ったってさ。どう考えても、”被ってる”じゃない。うん、ぶっ飛んでる奴頼むよォー」
「何なんだこいつは……」
客の一人が呆れたように吐き捨てた。それから探偵は”レンタル動かぬ証拠ショップ”に”レンタル容疑者水増しショップ”、”レンタル閉ざされた空間ショップ”など、次々と電話を繋げて行った。
「……もしもし、”レンタル第二・第三の犯行ショップ”ですか? 恐れ入ります……ええ。旦那さん”のみ”だったんで。至急、被害者を派遣できますか? 場所は……」
「…………」
「ええ、ありがとうございます、では……」
「…………」
「さて皆さん、お待たせしました!」
長い長い通話を終えると、前田が晴ればれとした表情で両手を広げた。散々待たされた関係者達は、ぐったりとして、彼を恨めしげに睨んだ。暇すぎてオセロに興じていた犯人とその妹が、ようやくその手を止めた。
「終わったの?」
「はい! ようやくこれで全国で戦えるくらいの、とんでもない怪事件が完成しそうです!」
「戦うって、誰と?」
「皆さん、早速移動しましょう。ちょうど、”一週間くらい外界と連絡が閉ざされた雪山山荘”をお借りできたので」
「何で我々が、わざわざそんなとこに移動しなくっちゃならないんだ!?」
目をひん剥いて噛み付く客に、前田がにっこりとほほ笑んだ。
「もちろん、仕切り直しですよ。今のままでは地味ですから。たっぷり予算をつぎ込んで、ド派手にぶっ殺しちゃいましょう!」
「訳が分からないよ……」
およそ探偵とは思えないセリフに、関係者たちは言葉を失った。
「さあ! 舞台は整いました! 早く第二・第三の犯行に及んで、事件を全国区にしましょう!」
「さっきからコイツは何を言っているんだ?」
「心配ご無用。トリックも被害者も、全部こちらでご用意いたしますので」
「関係ない人を殺せっていうの!? 何言ってるの、出来る訳ないじゃない!」
やがて部屋の中は蜂の巣を突いたように大騒ぎになった。
「でも、今更ですよ。皆さん、ほら! 何をグズグズしているんですか? せっかくの私の晴れ舞台なんですから。さっさと新しい殺人現場へと向かいましょうよ」
「……………」
「おい……もういっそ、こいつを殺しちまおうぜ」
「へ?」
客の中の誰かが、そう呟いた。いつの間にか、前田の周りを関係者達が取り囲んでいた。前田は不思議そうに首をかしげた。
「何か言いました?」
探偵の問いかけには答えず、客達は目配せして頷き合った。
「そうね……」
「幸い、トリックも証拠も、ぜーんぶこの人がレンタルしてくれたみたいだし……」
「こいつを犯人に仕立て上げるってのはどうだ?」
「そんな複雑なトリック、急には思いつかないわ……大丈夫かしら?」
「その時は、知恵を借りよう。レンタルすればいいのさ」
「よし」
「何が”よし”なんですか?」
首をかしげる前田に、やけに顔を近づけた貴婦人が、にっこりとほほ笑んだ。
「何でもないわ。さ、探偵さん。早くその雪山山荘に向かいましょう」
◆◇◆
「……もしもし? 真田探偵事務所ですか? ええ。探偵を一人、レンタルしたいんですけど……」
〜Fin〜




