ゾンビ化探偵
その日は突然やって来た。
8月某日。
ただの探偵・前田”負”家は、郊外のとある民宿に殺人事件の調査に来ていた。
密室双子隠し扉時刻表伝説どんでん返し殺人事件。
トッピングに失敗したカレーみたいな殺人事件は、前田の名推理により無事解決した。複雑怪奇な殺人事件で、しかしだからこそ、これが公になれば前田の名声が一躍跳ね上がるのは間違いなかった。前田はすこぶる機嫌が良かった。全く良い仕事をしたものだ。多少の疲れこそあれど、彼は満足げに布団に潜り込んだ。明日の朝が待ちきれなかった。目が覚めれば、彼の華々しい名探偵人生が、そこから始まるのだ。
しかし悲劇は、夜を明けずに再び幕を開けることになった。
「前田先生……?」
深夜2時。
事件解決の興奮も収まらず、関係者一同はまだロビーに集まって、中々寝付けないようだった。その日の宿泊客5名、それから夜間の従業員3名全てにアリバイがあることを、その時女将は確認している。やがて女将は、今回の主役・前田の姿が、いつの間にか見えなくなっていることに気がついた。不審に思った女将が前田を探しに部屋を覗きに行くと、鍵は開けっ放しになっていた。扉の向こうに、床にうつ伏せになって、誰かが倒れているのが見える。
前田だった。
「前田先生? 先生どうしたんですか……」
部屋の明かりはついたままだった。ピクリとも動かない前田に、さすがに女将も慌て始めた。そっと近づいて脈を取る。
「あれまぁ!」
脈がない。前田は、死んでいた。それから女将が悲鳴を上げるのに、2〜3秒とかからなかった。
解決したはずの事件。犯人が捕まった後、何者かに、探偵が殺されてしまったのだ。
「そんな……犯人は捕まったんじゃなかったのかよ!?」
数分後。
騒ぎを聞きつけ、再び現場へと走って来た関係者が、驚愕の表情で部屋を覗き込んでいた。
「確かに捕まったよ。犯人は自白もした、証拠もバッチリ揃ってる。昨日の事件は、アレで解決したんだ」
「昨日の事件? だったらコイツは……」
「……新しい殺人事件ってこと!?」
集まった輪の中から、悲鳴に近い叫び声が上がる。
「勘弁してよ、二日連続で殺人事件だなんて……本当にもう、呪われてるんじゃないの!?」
「誰だよ、こんな奴に依頼したの!」
「やはりこの探偵が”死神”だって噂は本当だったのか……」
「まぁ待てよ。しかし……」
人々が次々に口を開いた。
「見方によっちゃ……これで良かったんじゃないか?」
「どういうこと?」
「つまり探偵が死んで……呪いが解けた。ハッピーエンドじゃないか」
「確かに……」
一理ある。全員が顔を見合わせた。
「皆、正直に言ってくれ。この探偵に恨みを持っていたものは?」
宿泊客の中で、浴衣を着た男性が声を張り上げた。彼は前田に容疑者として散々疑われ、根掘り葉掘り嗅ぎ回られた一人だった。
「私……私彼の捜査方法、正直好きじゃなかったわ。ちょっとストーカーじみてたし……あれって犯罪じゃないの?」
彼だけではない。事件に関わった人々ほぼ全員が、前田に執拗な聞き込み捜査を受けていた。
「確かに事件を解決してもらったのはありがたいけど……」
「疑われるって、そりゃ、良い気持ちはしないわね」
「いくら殺人事件とはいえ、プライベートのことまであれだけしつこく聞かれると、な」
やがてポツリポツリと、彼らから声が上がり始めた。
「いつかこんな感じで誰かの恨みを買って、殺されるんじゃないかと常々思っていたよ」
「目つき悪かったしね」
「減らず口っていうのかな。『口は災いの元』って、小学校で習わなかったのか?」
「鼻毛出てたしな」
「僕はあの耳がちょっと……」
集められた元容疑者たちには、一夜の恐怖と興奮で、奇妙な連帯感が生まれていた。
「なるほど……。つまり彼は、ここにいる全員から少なからず嫌われていた、ということだな。となると犯人は……」
全員が押し黙った。長い沈黙が廊下を包む。やがて、女将がおずおずと手を挙げた。
「あの、私……犯人でも良いですよ」
「女将さん?」
全員が目を丸くした。女将は皆を見渡し、淡々と告げた。
「これ以上お客様にご迷惑をおかけするのは……なんだか申し訳なくて。この民宿で起きた責任は、私にもありますので」
「そんな……ダメよ! こんな男のために人生を棒に振ってはいけないわ!」
「そうだよ! この探偵にそんな価値ない。こんな奴、死んで当然じゃないか! 貴女が罪を被ることなんてない!」
「だったら俺が……」
すると、それまで黙って腕を組んでいた男性客が、静かに手を挙げた。
「俺が犯人でも、良いぜ」
「ちょっと何よ、あなたまで!」
一人の女が慌てて男に食ってかかった。男は低い声で告げた。
「だってよ、この中の誰かが犯人なんだろ? せっかくできた”仲間”をよ、俺は疑いたくないんだよ。だったら、”俺が殺した”でも良い。実際、殺したいくらいだったからな」
「待って! だったら私も」
すると、それを聞いていた若い女性が叫んだ。
「私も犯人でいい! 私もこの探偵、殺したかった!」
「オイオイ。君たち……」
メガネの男が、呆れたように肩をすくめた。
「……君たちだけに良い格好させるかよ。本当に殺したかったのは、この僕さ!」
「みんな、何言ってるのよ。私以上にこの探偵に辱めを受けた人がいるって言うの?」
一人、また一人と、犯人の名乗りが上がる。気がつけば全員が、顔を寄せ合って円陣を組んでいた。容疑者の心が、一つになった瞬間であった。
「つまり俺たち全員、この探偵を殺したかったんだな」
「やっとスッキリしたわ。誰も悪くない。一番悪いのは、探偵じゃない」
「嗚呼。じゃそうと決まった以上、死体はどっかに埋めておくとして……」
「失礼」
「うおぉォッ!?」
突然部屋の扉がガラッと開き、廊下にいた全員が飛び上がった。扉の向こうに立っていたのは、前田だった。
「前田先生!」
「探偵さん! 生きてたんですか!?」
「バカな!? 脈は止まってたはずじゃ……」
「え? まぁ……」
前田はニコニコと笑みを浮かべ、頭を掻いた。
「部屋でカレーを食べていたら、危うくルーにスプーンを滑らせちゃいましてね。そのまま一回転して、どうやら気絶してしまったようです。妙な角度で手首を圧迫されてたから、脈も止まっちゃってたみたいで……それにしても皆さん、これは何の集まりですか?」
「良かった! みんな心配してたんですよ!」
若い女性が慌てて叫んだ。
「寝ている間に、前田先生が殺されたんじゃないかって。私たち、途方に暮れていたんです。貴方がいなくなったら、私たち、もうどうしたら良いか分からなくて……」
「嗚呼。殺人事件を解決してくれた、大恩人だからな。前田先生が殺されたんじゃ、こっちは死んでも死にきれねえ」
「貴方は、希望だ。貴方と言う指標を失ったら、我々はどこに向かって進めば良いのか……」
「そうなんですか?」
前田は目を瞬かせた。
「寝ている間に、何かあったのかな? ちょうど『いびき録音アプリ』って言うのがあるから、聞いてみましょうか……」
「おおッとォ!!」
前田がスマホを取り出した瞬間、そばにいた男がハイキックでそれを吹っ飛ばした。安物のスマートフォンは天井のコンクリートの部分に当たって、粉々に砕け散った。
「な……?」
「何も聞かなくて良い! 先生は何も聞かなくて良いんです。別に大したことは録音されていませんから」
「私のスマホ……」
「それより今は、無事に生きてたことを喜びましょうよ、ねえ?」
「うーむ。しかしそう言われると、職業柄、どうしても気になってしまうなあ。そうだ、監視カメラがありましたよね? それで確認……」
「はぁあッ!!」
部屋から出て行こうとする前田を、女性客がラリアットで迎え撃った。前田はそのまま地面に叩きつけられ、背中を翻筋斗打った。
「ぐあああ!」
「監視カメラは故障しましたよ。ねえ、女将?」
「え? ええ……」
「全フロア故障中です。昨日から」
「そう、昨日から故障中だった、うん」
「な、何をするんだ……」
前田が咳き込みながら叫んだ。
「危うく死ぬとこだ!」
「こっちはその予定だったんですよ」
「何?」
「いえなんでも……」
「そうだ。『探偵用ペンシル型レコーダー』を胸ポケットに入れておいたんだった。何か写っているかもしれない……」
「せいッ!!」
客の右ストレートが炸裂し、前田は後方に吹き飛ばされた。ペンシルは砕け散り、真っ赤なインクがドバドバと、前田のシャツに溢れた。
「うぐぅ……!」
「まだ立ち上がろうと言うのか、探偵」
「やっつけてもやっつけても向かってくるな。まるでホラー映画だ」
「み、皆さん、一体何故……こんな仕打ちを……」
苦痛に顔を歪ませる前田に向かって、メガネがかしこまって言った。
「探偵さん、そろそろお帰りになっては如何ですか?」
「何だって……?」
「お疲れでしょう? 事件も解決したことだし、ねえ」
「そんな、今何時だと思ってるんだ。夜中の3時過ぎてるぞ。疲れているからここで休ませてもらってるんじゃないか」
「もう帰ってください。帰ってくれ。此処は貴方のいるべき場所じゃない」
「そんな、事件を解決したのにこの言われ様……」
理不尽な物言いに解せぬ顔をしている前田を、客たちが取り囲んだ。
「貴方こそお忘れなき様。貴方が探偵である限り、周りには必ず犯人が潜んでいることを」
「どうして私が怒られているんだ……」
それから前田は『二度とこの民宿に近づかない』、『事件を誰にも口外しない』と誓約書を書かされ、追われる様に野に下った。前田が鮮やかに解決した、史上稀に見る怪事件が表沙汰になることは、決して無かった。
〜Fin〜




