情熱家探偵
「探偵に最も必要な能力って何だと思う?」
「…………」
「やっぱり頭脳? それとも行動力? 事件に巻き込まれる”巻力”かな?」
「…………」
「でもね……実はどれも違う。本当は……”情熱”なんだよ」
「…………」
「”やる気”、”根性”……”情熱”。それがなければ……たとえどんな事件を前にしても、無意味だ。だから私たち探偵は、常に”情熱”を持って捜査に当たらなければならないんだよ」
「何の宗教ですか?」
そこでようやくレイラは読んでいた学術書から顔を上げた。玄関先で、前田が腰に手をあて仁王立ちしていた。昼過ぎ、探偵事務所へと出勤して来た前田は、無駄に笑みを浮かべ、いつになく目を輝かせていた。
「おはよう! レイラ君!」
「おはようございます先生、でも、もう昼過ぎですよ」
探偵事務所が開くのは朝10時である。
「朝すらまともに起きられない人に、情熱がどうこう言われても」
「とんでもない! 私はね、”目覚めた”んだよ。起床という意味ではなく、私の、内なる衝動、私の魂がッ!」
「うわっ……」
「今『うわっ……』って言ったかい?」
「言いました。急に暑苦しくなったので、ドン引きしているんです」
「ハーッハッハッハァ!」
前田は高笑いを浮かべ、窓際にある自分用の椅子に飛び乗ろうとして、そのまま壁に激突した。
「フフ、フハーッハッハッハァ!!」
「先生、大丈夫ですか? 酔っ払ってるんですか?」
「違うんだよレイラ君。これは”情熱”の力なんだ」
前田が鼻血をぬぐい、顔を引きつらせながら、無理やり笑顔を作った。
「何の力ですって?」
「”情熱家”になろうと思ってね」
「はぁ」
自信満々で語り出す前田に、いよいよレイラは薄ら寒いものを感じた。またそこらへんの自己啓発本か、それとも怪しいオンラインサロンにでも騙されたのだろうか?
「今まで”探偵”といえば……どちらかというと斜に構えて、冷静でいることが”探偵らしさ”だったじゃないか」
「まぁ……頭脳労働的な部分はありますけど」
「でもこれからは違う! それじゃ周りのライバルに埋もれて終わりなんだッ! ”情熱家探偵”! これこそ私が選ぶべき道だッ もっと熱く! 情熱的に事件を解決していかなければッ!!」
どうやら本気らしい。本気だからこそ、恐怖を感じる。普段の2倍はあろうかと言う声量に、レイラは思わず顔をしかめた。
「情熱的って、どんな風に?」
「フフ……まぁ見ていたまえ」
前田は胸ポケットから茶封筒を取り出して見せた。
「都合の良いことに、ここに事件の依頼が一通届いている。早速情熱捜査開始だッ!!」
そう言うと彼は、窓を開け、もう一度同じセリフを通りに向かって叫んだ。
「先生……」
「ん? なんだい?」
「バカにしていいですか?」
「ダメだよ! そんな……面と向かって」
レイラはため息をつき、諦めてポンコツ探偵と共に現場へと向かった。
情熱現場には、すでに多くの情熱刑事たちが集まっていた。
「情熱刑事て」
レイラのつぶやきは無視され、前田は意気揚々とタクシーを飛び降りた。情熱大陸のテーマを口ずさみ、黄色いテープを引きちぎりながら、前田は情熱的に現場入りした。
「みなさん、Buenos días!」
「前田さん!」
「これはこれは前田探偵、Hola!」
「Hola!」
前田の周りに次々と情熱刑事たちが集まってくる。情熱の国・スペインの言葉で挨拶した彼らは、そのまま熱い抱擁を交わし、白いテープの上でフラメンコを踊り始めた。現場では先ほどから、ラテン系の陽気な音楽が流れている。
「ちょ……ダメでしょう!? 現場がフラメンコで滅茶苦茶になっちゃいますよ!」
足元に散らばった遺留品などが蹴飛ばされ、そこら中に散乱する。困惑するレイラに、刑事からタコスが手渡される。
「どうやらここは、タコスを食べながら、情熱的に捜査しようと言う現場のようだね」
「そんな現場聞いたことないです」
タコスはメキシコ料理だったが、情熱の前には、そんな些細な違いは気にならないようであった。
「それで事件は……情熱事件の方はどうなってる?」
「普通に事件でいいでしょ」
前田が刑事たちに尋ねた。
「はい。殺されたのはこのアパートに住む女子大学生。部屋で争った後はないので、犯人は顔見知りかもしれません。盗品もなし。犯人は殺害後、”気合”と”根性”でこの部屋を密室にした後……」
「”気合”と”根性”で?」
「その後、湾岸方面へ”努力”で逃走した模様です」
「”努力”で逃走」
「被害者の”絆”は目下調査中ですが……」
「……”交友関係”ってことですか?」
「彼女の在籍した大学は、”男気”や”信念”を理由に、現在協力を渋っています」
「”個人情報の保護”ですね?」
「うーむ。逃げた犯人の”努力”とやらを、急いで”無駄な努力”にしてやらねば」
前田がタコスに齧り付きながら唸った。
「待って……待ってください」
レイラがようやく平静さを取り戻した。危うく情熱に流されて、不可解な会話を受け入れるところだった。
「そもそも”気合”と根性”で密室にするって何なんですか? 具体性が全くないじゃないですか!」
「それはだって……”やる気”があれば、密室だってできるさ。人間”できる”と思えば、何だって”できる”んだ」
「全然説明になってません。さっきから”情熱”だとか”絆”だとか、フワッフワし過ぎてて……きちんと事件を解明するのが探偵の仕事でしょ?」
「そうカリカリするなよレイラ君。君は真夏の太陽か。もう一個タコス食べるかい?」
「食べません!!」
レイラは前田の手を払いのけた。とうとう本気で怒らせてしまったようだ。現場を離れ、一人タクシーで帰宅しようとする彼女を、前田は慌てて追いかけた。
「落ち着くんだレイラ君、大丈夫、具体的なトリックは後で理系の人が考えてくれるから……」
「ダメでしょそれじゃ。じゃあ先生は一体何をやるんですか?」
「タコスを……」
前田はいつのまにかメキシコの伝統的な帽子・ソンブレロを被っていた。両手には大量のタコスが握られている。
「今日中に”情熱タコス”を後30人に配らなきゃ……。大丈夫、初期投資はかさむが、情熱的会員を増えせば増やすほど、私たちにもちゃんと儲けが回ってくるんだよ」
「先生……」
レイラはいよいよ哀れんだ目で前田を見つめた。
「先生、見てください」
「ん?」
レイラが指差した先では、子供たちが数名屯ろしていて、公園でサッカーに興じていた。
「あの子たち、楽しそうじゃないですか? 別にお金がもらえるわけでもないのに……」
「…………」
「すみません。だけど……だけどあれこそ、真の”情熱”と言えるんじゃないでしょうか。今の先生は、金儲けに囚われ、犯人を捕まえると言う探偵としての”情熱”を忘れているんじゃないですか?」
「レイラ君……」
レイラの顔には明らかに失望の色が浮かんでいる。前田は少し罰が悪そうに項垂れた。
「そうだな……私の方こそ悪かった。ネットで”簡単にお金が稼げる”と言われ、少し浮かれすぎたよ」
「先生……」
「私もちょっと、タコスに囚われ過ぎていたかもしれない。何より”情熱家”である前に、まず”探偵”でいなくてはならないのに……」
「先生……!」
レイラは顔を上げた。前田はタコスを一口齧り、力強く頷いた。
「レイラ君、犯人を見つけよう!」
「はい!」
「それこそが”探偵”としての”情熱”……在庫で抱えた108ダースのタコスについて考えるのは、その後だ!」
「はい……はい!?」
呆然とするレイラを残して、前田は駆け出した。程なく事件は解決し、犯人は努力も虚しく逮捕された。報酬こそ少なかったが、前田はひとり満足げに頷き、大量のタコスと共に事務所へと戻って行った。レイラは友達を呼び、しばらくみんなで”タコパ”をして過ごしたが、それでも在庫は一向に減る気配がなかった。
〜Fin〜




