翻訳家探偵
「犯人は貴方ですね、奥さん!」
蒸し暑い夜だった。
山奥にある小さな旅館。その一室で、前田の声が響き渡る。彼の指差したその先には、浴衣姿の、ひとりの女性が立っていた。彼女はその瞬間、顔を引きつらせ、やがてブルブルと小刻みに震えだした。集められた宿泊客の間に、波紋のようにどよめきが広がっていく。驚き、恐怖、好奇、半信半疑……そんな様々な色に染められた視線が、四方からその女性に集められた。
「観念してください。もうネタは上がってるんだ!」
前田探偵が、厳しい口調で詰め寄る。タイムラグを利用した密室殺人。実際、前田が明らかにしたトリックによって、彼女が犯人であることは間違いなさそうだった。女はしばらく無言だったが、やがて小さく項垂れ、ぽつりと言葉をこぼした。
「……∆…©∂ƒ∫ƒ…∂‥]」
「……なんて言ってるんだ?」
その言葉に、その場にいた全員が首を傾げた。
彼女はどうやら外国からの旅行者で、日本語が上手く喋れないようだった。なるほど浴衣を着こなしてはいるが、よく見ると異国風の顔立ちをしている。そんな彼女が、どうしてこんな山奥の旅館で、殺人なんか……謎は深まるばかりだった。前田は少し困ったように後ろを振り返った。
「参ったな。私は英語がさっぱりでね。レイラ君?」
「どうやら英語じゃないようですね。ドイツ語ともフランス語とも違う……アジア圏でもアフリカ圏でもなさそうですし……」
後ろにいたレイラが、お手上げだと言った顔で首をすくめた。彼女にも分からないことがあるとは珍しい。語学が堪能なレイラをしても、判別不能な言葉のようだった。
「©∂ƒ˚……˚ƒ∂ƒ«∂∂!」
「うーむ。何か言ってるのは分かるんだが……言葉が通じないと、推理どころじゃないな」
「警察が来るまで待ちましょうか?」
「待ってくれ。こんな時のために……」
前田は内ポケットに手を突っ込み、何やら黒っぽい機械を取り出した。テニスボールほどの大きさで、所々に銀色のアンテナが伸びている。レイラが首を傾げた。
「なんですかそれ? カブトムシの死体ですか?」
「違うよ。これは『ミステリ専用解説機』だ。探偵の必須アイテムじゃないか」
前田が『ミステリ専用解説機』だと言い張っているそれを掲げ、ニヤリと笑った。
「これがあれば、『アリバイ』だとか『フーダニット』だとか、難しいミステリー用語もたちどころに解説してくれるんだ」
「解説? 辞典みたいなものですか?」
「それだけじゃない。例えば『どうしてこの部屋は密室だったんだ?』と尋ねれば、高機能AIが瞬時に答えを割り出し、『鍵がかかっていたから』と返ってくる。どうだい、すごいだろう?」
「……本当に役に立ってるんですか? それ?」
レイラが渋い顔をした。答えになってるんだか、なってないんだか……何だか、斜に構えたひねくれ者が言いそうな『なぞなぞ』レベルである。
「まぁやってみよう……案外翻訳にも使えるかもしれない。この受信機を向こうに渡して……」
前田がカブトムシ……『解説機』の方を浴衣の女性に渡し、
「……こっちのイヤホンで受信する。レイラ君、何か彼女に質問してみてくれ」
それから今度は『解説機』よりもひと回り小さな、カナブンの死た……緑のイヤホンを耳の中に押し込んだ。レイラが試しに質問してみた。
「貴方が犯人ですか?」
「……˚©.ƒ∂」
「『……はい』と言っている」
彼女が喋ると、カブトムシの頭の部分が赤く光る。ほぼ同時に、前田の耳の中のカナブンが青く光った。
「どうしてこんなことを……」
「∂ƒ©…∂∂´」
「『申し訳ございません』……と」
前田が犯人の言葉を聞き伝えた。どうやら『翻訳』は良好のようだ。浴衣の女性は、俯いたままポツリポツリと語り始めた。
「ƒ©∂ƒ©…]©´ˆ¨」
「『完璧なトリックだと思ったのに、見破られてしまいました』」
「∂ƒ˚©®‥©®©˚]∂]˚」
「『目の前の男の人……この探偵さんは、素晴らしい動きをしました。脱帽です』」
「∂…©…ƒ∂©˚]∂†¨´」
「『その手際の良さと、明晰さには驚きを禁じ得ません。彼こそが、探偵の未来を担う存在でしょう』」
「……本当にそんなこと言ってます??」
会話の途中で、レイラが顔を上げ、ジロリと前田を睨んだ。
「言っているとも。私は彼女の言葉をそのまま伝えているだけだ」
「怪しいなぁ」
「それより、早く続きを!」
前田にうながされ、レイラは仕方なく質問を続けた。
「どうしてこんな事件を?」
「∆ƒ´“∑æ∂ƒæ∂]。æ∑©æ∂惃∂」
「『仕方なかったのです。彼は私に隠れて、複数の女性と浮気していました。それより、探偵さんについてもっと語っていいですか?』」
「なんで?」
「©…˚…ƒæ«ƒƒ∑´’ƒ∑´」
「『彼は本当にアメージング……一人の犯人として、私は彼を誇りに思います。これほどリスペクトのある推理を私は経験したことがない。この事件は必ずやミステリ史上に残る名事件となるでしょう。この事件をより完璧なものにしてくれた探偵さんに拍手を送りたい。それから関係者の皆さんにも最大の感謝を……』」
「待って……待ってください!」
レイラが頭を抱えた。
「何の話ですか??」
「何のって……事件の話だよ。私は彼女の話を正確に伝えているだけだ」
「絶対自分に都合よく解釈してるでしょう!? 何でこの状況で先生を褒め称えているんですか!? そんなこと言ってないでしょ!?」
「ƒ∑´æƒ∂…ƒæ√∂ø˚˚」
「『歴代の殺人事件の中でも最高峰……05年の”パリ事件”以上の衝撃です。ホームズ、ポアロ……そしてマエダ。彼の偉業は歴史に刻まれ、否、彼の一挙手一投足こそが歴史そのものであり……』」
「不遜過ぎる!」
レイラが悲鳴を上げた。
「さっきから話が大き過ぎるんですよ! 歴史だとか未来だとか……これ、殺人事件でしょう?」
「レイラ君、賛辞や感謝は素直に受け取るべきだよ。その方が気持ちいいじゃないか」
「もういい! 私に貸してください!」
レイラが前田からカナブンをもぎ取った。
「あぁっ!」
「私が聞き取りますから。先生が質問してください」
「そうだな……最後に何か言い残して置くことはありますか?」
「√∂]©´¨∫……」
「『これを……』」
「ん?」
彼女は浴衣の袖から、おずおずとネックレスを取り出した。
「ƒ˚…ƒ√ƒ∂」
「『お詫びと言っては何ですが、私の故郷に伝わる大切なネックレスです』」
「おぉ、これは……なんと美しい」
ネックレスを手渡された前田が、感嘆の声を上げた。古めかしい、しかし荘厳なネックレスだった。各所に宝石がちりばめられ、虹色の輝きを放っている。台座には竜の紋章が刻まれ、何やら重々しい印象だった。精巧な装飾が施されたそれを、前田は首に下げた。
「『代々私の村で受け継がれてきたそのネックレスには、魔力が宿っていると言われ……』」
「なるほど。これを私に預けたいということですね?」
「『それを身につけたものは、強運に恵まれ』」
「ほぉ」
「『……その代わり全財産を失います』」
「何でだよ!?」
「『とてつもない強運を手にする代わりに、肩こりや腰痛に悩まされ、冷え症、視力の低下など、さらに脂っこいものは食べられなくなり……』」
「どこが強運なんだ。もはや呪いじゃないか!」
「『……ですから決して身につけないでください』」
「先に言ってくれ!」
前田はネックレスを外そうともがいたが、彼女が慌てて制止した。
「『あぁ! ダメです、無理に外そうとしては……それを外すには、きちんとした儀式があって』」
「儀式?」
「『ええ。まず鼻の穴にゴボウを突っ込み、口の中をトンカツの衣でいっぱいにした後、イナバウアーをしながら頭で卵を割り……』」
「……オイ。本当にそんなことを言っているのか?」
「私は彼女の言葉を正確に伝えているだけです」
レイラが澄ました顔で言った。
こうして事件は無事解決し、前田はLevel30まである『儀式』に奮闘した。とても運が良かったのだろう、彼は何とか無事ネックレスを外すことに成功し、しばらく肩こりや腰痛に悩まされ、そして後日全財産を失った。
〜Fin〜




