資産家探偵
「犯人は貴方ですね、奥さん」
静まり返った大広間に、突き刺すような一言が放たれる。その一言で、その場に集まった全員の視線が、中央にいた女性に集まった。探偵から追求の矢を受けた彼女は、一瞬石のように固まり、そして小刻みに震えだした。どうやら的中したようだ。苦悶に満ちた顔、ぐにゃりと歪んでいくその表情が、つい先ほど披露された探偵の推理、それが正しかったことを物語っていた。
「申し訳……ございません……!」
やがてポツリと床に零された声。蚊の泣くような声に、皆が息を飲んだ。その瞬間、勝利を確信し、探偵は不敵な笑みを浮かべた。
「そんな……まさか彼女が犯人だったなんて!」
白日の下に晒された真実に、周りの人物達も驚きを隠せないようだった。
こうして事件は解決した。
中央ではちょうど床に崩れ落ちる犯人を、警察官が取り囲んでいる。ここから先は警察の仕事だ……そう言わんばかりに扉から部屋を後にしようとする探偵の元に、セーラー服の少女が駆け寄ってきた。
「レイラ君」
無表情でそばまでやってきた金髪の少女を、長身の探偵が晴れやかな顔つきで出迎えた。
「お疲れ様です、前田先生。それにしても、今回は何だかやけに気合が入ってましたね」
「そんなことはない。私はいつだって準備万端、全力投球だよ。どんな難事件だろうが、行くと決めたら必ず行く。仲間たちからは、昔からよく『雨雨探偵雨探偵』と畏れられていたものさ」
レイラは頷いた。そんな頻度で殺人事件が起こっていたら、恐れられるのも無理はない。
「何を仰られてるのかよく分かりませんが、相変わらずお元気そうで何よりです」
「ハァーハッハッハァ!」
白い目で見つめる少女を尻目に、前田探偵は高笑いを決め込むのだった。
「……ーッハッハッハァ! フゥーハア! フハハ……フハハハハハハァ!」
「先生、笑い過ぎですよ。お客様に失礼です」
「ハッ! ハァ……ハァ……申し訳ない。つい興奮して……!」
「いえいえ、お構いなく。先生には一週間前大変お世話になりましたので……」
レイラが低い声で前田を窘める。光るハゲ頭をタオルで拭い、依頼主が愛想笑いを浮かべた。
「確かにあの事件は、笑いたくなるほどの大活躍でしたな、前田先生!」
「いやあ、それほどでも……ンフフ」
そう言っている間にも笑みが溢れてしまう。探偵事務所の真ん中に備え付けられた、牛革のソファに踏ん反り返って、前田は自然と胸を張った。
「先生が謎を解いてくれたおかげで、殺された父も浮かばれます」
「こちらこそ。貴方のお父さんの無念を晴らす事が出来て、光栄です」
鼻高々な探偵の様子を見て、レイラは呆れた顔でため息を漏らした。向かいに座っている依頼主の男性が猫なで声を上げた。
「それで、こちらがとりあえずの1000万です……」
「いやあ、申し訳ないですねえ!」
テーブルに置かれた巨大なアタッシュケースを見るなり、前田の目が輝いた。その後ろで、レイラのため息は更に深くなっていった。
「いやはや、人助けはしておくべきですね。まさか、最初からこんな見返りを期待して探偵業を営んでいたつもりはないんですが……」
「受け取って下さい。生前の父の、最後の遺言ですので。『私を殺した犯人を捕まえたものに、全財産を明け渡す』……と」
「ありがたく受け取っておきます。便利な時代ですよ。今や死ぬ直前、スマホで遺言が遺せるんですから」
そう言って前田はもう一度高笑いを決め込んだ。
一週間前。
大富豪の主人が何者かに殺された事件。
犯人は被害者が寝室で寝ている隙に、後頭部を花瓶で殴った。被害者は急いで病院に運ばれたが、現場は大混乱に陥った。何せ被害者の寝室は、完全な密室だったからだ。
この不可解な密室殺人を解決し、見事に犯人を的中させたのが、他ならぬ前田だった。そして前田は、死ぬ間際被害者が遺したダイイングメッセージのおかげで、思わぬ大金を手にすることになったのだった。
『犯人を捕まえたら、遺産を全て渡す』。
今回、前田が張り切っていたのもこのためだった。
目の前に積まれた大金に顔を緩ませる前田を見て、レイラが低い声で呟いた。
「全く、これじゃどっちが悪党だか分かったもんじゃありませんね」
「何か言ったか? レイラ君」
「いえ、何も」
愛想を尽かした青い目の少女は、そっぽを向いて隣の部屋へと移って行った。前田はレイラを目で追ったが、すぐにその視線はアタッシュケースへと吸い込まれて行く。今回の依頼主・被害者の息子が深々と頭を下げた。
「まさか我々も、あんなに父と仲の良かった母が犯人だとは夢にも思わず……何もかも、先生のおかげです」
「何を仰る。事件を解決するのが探偵の務めです。何より私もおかげで、こんなに素晴らしい事務所を作ることができましたし。ハァーハッハッハ!」
笑いが止まらない前田は、広々とした空間を振り返り、優雅に両手を広げて見せた。
そう、彼は手にした思わぬ成功報酬を使って、早速事務所を東京の一等地に移転したのだった。雲に手が届きそうな最上階。ベランダにはプライベートなプール、室内にある枯山水に、大都会・首都東京を一望出来るパノラマの窓。そこに『新・前田探偵事務所』は設置された。
前田はソファに首をもたげ、逆さまに室内を見渡した。天井にはシャンデリアが無駄に何個も取り付けられ、床には毛皮の虎が、これまた無駄に何匹も敷き詰められている。部屋の中には壁一面を使った観賞用のプロジェクターに、高級熱帯魚、プロ御用達のトレーニング機材までが並ぶ。およそ悪党の根城としか思えないこの探偵事務所を、前田は報酬を当てに全て一括で購入した。その額は、優に九桁を超える勢いだった。
荘厳な様相に、前田が満足そうに一人うなずく。無駄に笑顔の超富豪探偵が、無駄に備え付けられたワインセラーから、目が飛び出るほど高いシャンパンを無駄にするために取り出した。きっとワインの銘柄も、味も、何一つ前田には分かっていないに違いない。
「さて、じゃあ乾杯でもしましょうか。お父上のご冥福を祈って!」
「え、ええ……先生の今後のご活躍をお祈りして……ん?」
前田が依頼主にワイングラスを差し出すと、突然彼の携帯が鳴り出した。
「はいもしもし……。はい? えっと……貴方は……え!?」
「なんだ……?」
「な……何だって!?」
男は電話口で一際大きな声で叫んだかと思うと、次の瞬間携帯を取り落とした。白い顔がゆっくりと震え出す。一体何事だろうか? 前田は慌てて彼の元に近づいた。
「ど、どうされたんですか? 大丈夫ですか?」
「先生……大変です。父が、父が生きてたみたいです……!」
「は!?」
前田がワイングラスを落とした。床に敷き詰められた虎の顔が赤く染まった。男が小刻みに震えながら、目に涙を浮かべた。
「さっき病院から連絡があって、危篤状態から復活したって!」
「そ、そんなことが……」
「先生。実はもうここに、父が来てるみたいなんです」
「何?」
事態を飲み込めず、混乱する前田の耳に、呼び鈴のベルが届いた。
「はーい。今開けます」
それに気づいたレイラが、玄関から新たな客を事務所に招き入れた。無駄に高級な装飾が施された扉の向こうから現れたのは……他ならぬあの日の被害者だった。男が叫んだ。
「父さん! それに母さんも!?」
「な!?」
杖をついた白髪の老人に寄り添うように、その後ろに立っていたのは、あの日前田が糾弾した彼の奥さん……犯人その人だった。突然現れた死んだはずの被害者とその加害者に、前田も混乱するばかりだった。
「こんなところにおったのか、三郎」
やってきた白髪の老人が唸った。
「と、父さん……! これ、一体何が起こってるんだ?」
「何が起こってるんだ、じゃない。いいから帰るぞ。殺人事件なぞ、起きておらん」
「ええっ!?」
「どういうことだ?」
困惑する二人に、白髪の老人が杖を振り上げて説明し出した。
「全てはワシの飛んだ勘違いだったんじゃ。そもそも妻は、毎晩ワシの寝室に来て花瓶の水を変えておった。最近歳をとって、すっかり物覚えが悪くなったワシは、あの晩てっきり賊が押し入ったモノと思いこんでしまった。そして意識がなくなる瀬戸際、この恨み晴らさずおくべきか、と思わず遺言を残したのじゃ」
彼を殺したはずの元犯人・奥さんがすすり泣いた。
「すいません、全部私が悪いんです。最近歳をとって、すっかり体が動かなくなった私は、あの晩うっかり花瓶を夫の頭の上に落としてしまったんです。そして動かない主人を見て、私が殺してしまったんだと、怖くなって……」
二人の話に、前田たちはぽかんと口を開けた。
「じゃ、じゃあ……父さんは、殺されたんじゃなかったんだね?」
「勿論じゃ。妻が私を殺すはずないじゃろう」
「ごめんなさい、貴方……」
全ては勘違いから始まった殺人事件だったの。
そういうと奥さんは、夫を支えるようにその肩に寄り添った。
前田と依頼主は呆気に取られっぱなしだった。
殺されたはずの人物が生き返り、犯人だったはずの人物を庇い出す。思いもよらなかった急展開に、前田は思わず目眩を覚えた。
「一体何がどうなって……」
「さ、帰るぞ三郎。殺人事件でも何でもないのに、探偵事務所に用はあるまい」
「う、うん……。父さん、それにしても無事で良かった」
父親に促され、息子が戸惑いながらもうなずく。アタッシュケースを持って帰ろうとする依頼主に、次に慌てたのは前田だった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何じゃ?」
必死に三人を引きとめようとする前田を、生き返った被害者がジロリと睨んだ。
「それじゃ、遺言は……私の取り分は……」
「何を言っておるんじゃ。死人が生き返ったんじゃから、遺言は勿論無効じゃ」
「いやいや……いや、ちょっと待って……」
「先生、ありがとうございました。ご覧の通りですので、この1000万と、遺産の件は無かったと言うことで。あ、勿論依頼金の18000円は、後日きちんとお支払い致します。それじゃ、我々はこの辺で……」
「待ってくれ! そんな……これ、全部前払いで……」
泣き出しそうな探偵を残し、三人の家族はお互いの無事を讃え合いながら、仲睦まじく扉の向こうへと消えて行った。
「待って……待って……」
「どうしたんですか? 先生、先生?」
こうして事件は再び解決した。様子を見に来たレイラにすら気づかず、前田はしばらく呆然と、虎の上をのたうち回っていたのだった。
〜Fin〜




