幕間
「あれ……あなたは」
職業案内所は人で溢れ返っていた。職員の澤屋は、机の前でふと動きを止めた。目の前の顔に見覚えがあった。パソコンを操作し、顧客のデータを漁る。
「確か『死神』の……」
「『死神』じゃない。探偵だよ。全く、探偵のことを『死神』って言う風潮はどこから出来たんだ?」
「だって毎回毎回、悲惨な事件に巻き込まれてるじゃないですか」
目の前の客……前田が、イライラしたように膝を揺すった。澤屋は苦笑した。と、モニターに顧客情報が映し出された。
前田克家。
年齢は25歳。柔道二段。普通自動車免許を取得。都内に探偵事務所を営み、さらに兼業できるプラスアルファを探そうと、去年から足繁くここに通っている。何度も何度もやって来るから、さすがに新米の澤屋も、彼の顔を覚えてしまった。
しかしここが職業案内所ということを考えると、決してそれは良いことばかりとも言えない。彼はまだ天職を見つけられないでいるのだ。前田が紙コップに注がれた珈琲を口に運ぶ。澤屋が前田に向き直った。
「『小説家』はダメでしたか?」
「ダメだ。『小説家兼探偵』なんて、ありきたり過ぎて。もうちょっとこう、のんびりと、競争が激しくない分野で生きていきたい」
前田が至極真面目な顔でそう言った。
「前田さん。あなたの履歴書? ポートフォリオ? ですか? ……あなたの活躍がまとめられたものを、今拝見していますが……」
澤屋は、机の上に並べられた小説や漫画などをまじまじと眺めた。
「改めて振り返ってみると、あなた『小説』の第1話では『犯人役』をいとも簡単に変更しているのに、『ドラマ』第9話では『そんなことできるわけない!』と突っぱねてますね」
「『小説版』と『ドラマ版』で何だかキャラが違うと言いたいのか? うーむ。しかし良くあることじゃないか」
前田は肩をすくめた。
「それに、あれは囮捜査なんだよ。探偵は事件解決のため、時に自分の性格すら演じないといけないんだ。わざと知らないフリをして犯人をおびき寄せる、罠みたいなものさ」
「素直に『間違えました、ごめんなさい』と言えないのか? この人は」
「何か言ったか?」
「いえ、何も……」
澤田はパソコンに目を戻した。まだ午前中だが、職業案内所はすでに混み始めてきた。狭いロビーに、職業を求めて不安げな顔をした人々がずらりと並んでいる。外は少し、小雨が降ってきたようだった。
「そうですね。前田さん自身が今やりたいことは? 普段どんなことに興味がおありですか?」
「そりゃあもちろん……。私は我が国の政治と経済を、常に憂いていてだねえ」
「では、『政治家探偵』なんてどうでしょう?」
「政治家?」
前田が首をひねった。
「政治家って、あの汚職とかする奴?」
「前田さん、政治家の全員が全員汚職してる訳じゃないです。政治家の皆さんに謝ってください」
「だって毎年ニュースになってるじゃないか」
「『政治家が悪いことをした!』ってニュースになってる内は、ある意味まだ大丈夫です。『政治家が悪いことをしなかった!』ってニュースになったら、いよいよヤバいかもしれません」
「政治家になって、汚職以外に何をすればいいんだよ?」
「そりゃ色々あるでしょう。環境問題とか、食料問題とか、人口問題とか。取り組むべき課題は色々」
澤屋がキーボードをカタカタ言わせた。
「たとえば、『社会保障費の増大探偵』なんてどうでしょう?」
「『社会保障費の増大探偵』」
「ええ。近年問題になってますから。みんな興味津々だと思いますよ」
「確かに聞いたことのない探偵だが……それで、その探偵は具体的にどんなことをするんだ?」
「とりあえず事件を解決して……事件が解決するたびに、前田さんの社会保障費が増大していきます」
「何でだよ!? むしろそっちの方が事件だろ!」
「社会の役に立てますよ」
「ヤダよそんなの。そんな国の一大事を解決できたら、私はしがない探偵なんてやってないよ」
前田が椅子に背を投げ出した。
「考えてもみたまえ。そんなの、読みたいと思うか?」
「確かに……本屋に『社会保障費の増大探偵』と『小説家探偵』が並んでいたら、私なら『小説家』を選びますね」
「ならやらすな!」
前田が両手を広げて嘆いた。
「ちゃんと職業を紹介してくれ。ここは君のボツネタを披露する場じゃないんだ」
「前田さんに紹介できる職業も、ここのところ減ってきちゃってるんですよ」
「何?」
何故だ? と前田は首を傾げた。
澤屋は何やら意味ありげに目配せした。
「実は……ここだけの話、前田さんに妙な疑いがかけられてましてね」
「疑い?」
「前田さんの事務所が悪いことをしてるとか、見張られてるとか」
「そんなの聞いたこともないぞ」
澤屋は一枚の用紙をプリントアウトして前田に差し出した。それは、某掲示板のレビューサイトだった。そこに前田の探偵事務所の評判がつらつらと書き連ねられている。前田はしかめっ面をしてそれを眺めた。
「これは……」
「前田さん。前田さんの周りに、事件が多いのは何故だと思いますか?」
澤屋が声をひそめた。いつの間にか、雨脚が強くなっている。空が白く光った。一拍おいて、身の竦むような轟音がロビーを揺らす。前田が複雑な表情で澤屋を見返した。
「そんなの……職業柄だろ。私は探偵だよ。ただの偶然だ」
「でも、偶然じゃなかったら?」
「…………」
地鳴りのような低く鈍い濁音が、空のあちらこちらで、断続的に響き始めた。前田は言葉に詰まった。プリントアウトされた用紙には、前田が『世界的な犯罪組織』だとか、『CIAやMI6に見張られている』だとか、有る事無い事好き勝手書かれている。
……偶然じゃなかったら。
「……馬鹿馬鹿しい」
前田は紙から顔を離し、吐き捨てた。
「こんなの全部デタラメだ。私は犯罪組織なんて知らないし、ましてや『死神』なんかじゃない。私は探偵だから、事件が起きたら現場に駆けつけるというだけの話だ。そりゃ逮捕されるんだから、彼らにも多少恨みはあるだろうがね」
前田は拳を握りしめて力説した。
「別に犯人は最初から私を狙って集まって来る訳じゃない」
「ですよね……あ、でも」
澤屋が苦笑して、それから不意に前田の方を振り返った。雨が降っていた。いつ止むとも知れない雨が。澤田が言った。
「もしかしたら……この助手の女の子の方かも知れませんよね。犯人たちが狙ってるのって」




