襲撃
カスタットの町から1台の幌馬車が、王都へと続く街道の上を走っている。
まだ明け方すぐの時刻で、街道にはその馬車以外の姿は見えない。
馬車には9人の人間が乗っていた。
1人は御者で、それ以外の4人が衛兵、残りの4人は縄で拘束されている。拘束されているのは、昨日【北天の星】の手によって捕らえられた【ギサ商会】の者達だった。
馬車は、彼らを王都へ護送するために、早朝から街道を走っていた。
カスタットを出ておよそ1時間―― 馬車が急にスピードを落とし、そして完全に停止した。
「おい! 何故馬車を止めた!?」
馬車に乗っていた衛兵の1人が、御者に向かって叫んだ。
だが、御者の返事がない。
不審に思った衛兵が御者台を覗くと、そこにいる筈の御者の姿がなかった。
なんだ、小便か…… 我慢できないならそう言えばいいものを。
衛兵は「やれやれ」と呟く。その時──
ドサッ!
後ろで何かが倒れるような音がした。衛兵が後ろを振り向くと、自分の仲間の衛兵3人が倒れている。
「おい! どうした!?」
衛兵は気付いた。倒れた仲間達の側に、御者の姿があることに……
「お前、何故ここにい」
ここにいる?
そう尋ねる筈だった衛兵の口は途中で閉ざされ、衛兵は力なく崩れ落ちた。
動かなくなった衛兵の横には、いつの間にか血糊の付いた小刀を握った御者が立っていた。
「えへへへ。助かりましたよ」
口を開いたのは、拘束されていた商人風の男。
「早く俺達の拘束を解いてくださいな」
御者は、笑みを浮かべている商人に、ゆっくりと近付くと、
シュン……
衛兵にしたのと同じ様に、小刀で商人の喉を切り裂いていた。
残りの3人の顔が硬直する。
「お前達は失敗した。お前達に生きている価値はない」
「た、助け」
御者は、残りの3人も一瞬の内に始末したのだった……
御者── 否、その正体は裏の世界で【首切り】と異名を持つ殺し屋で、【ギサ商会】から、捕らえられた4人の始末と、ギルドの調査書の回収を依頼されていたのだ。
「この馬車には、【調査書】はなかった…… となると、冒険者ギルドか」
調査書は、冒険者ギルドから王都に届けられるに違いない。依頼を受けた冒険者から、調査書を奪い取る必要があるだろう。
【首切り】の目は、冷たい光を放っていた。
◇◇◇◇◇
俺とボーズは、【ギサ商会の調査書】を手に入れることができないまま、治安局を後にした。
だが、全く収穫がなかったわけではない。局長室にいた2人の怪しい人物の会話から、調査書が既に王都の外に持ち出されたことがわかった。
「調査書は、ギサ商会の連中に持たせて、王都から脱出させたに違いないな」
ボーズの言葉を聞くまでもなく、俺だってそれくらいの見当は付く。
こんなことなら、昨日の内にギサ商会を追い掛けるんだった…… せめて奴らが西門と南門のどちらから出ていったかがわかれば、今からでも追い掛けるんだが、今更もう遅い。夜明けまで待つしかない。
「バルゴ。俺は朝一番に王都支部に行って、グレンウルフとウルフォンの群れが討伐されたことを伝えてくるつもりだが、お前はどうする?」
「俺は南門の前で門番が来るのを待ちます」
俺は早朝一番に、南門の門番にギサ商会の連中が門を通ったかどうか聞いてみるつもりだ。
「バカ野郎! お前が王都の中にいたら『城壁越え』をしたことがバレるだろ! 一度王都の外へ出て、朝一番に東門を通るんだ」
くっ…… ボーズに『バカ野郎』扱いされるとは、屈辱……
俺達は再び城壁を越えて王都の外に出て、東門が開くのを待ったのだった。
東門が開いた後は、予定通りボーズは王都のギルド支部へ向かい、俺は南門へ向かった。
南門の門番に、昨日ギサ商会が通ったか尋ねたら、昨日と門番が代わっていたらしく、「わからん」という返事が返ってきた。
「わからん」っておかしいだろ!
門を通る時は、門番が身分証を確認して記録帳に記載することになっているから、記録帳を調べればわかる筈だ。
すると門番は数冊の帳面を持ってきて、「昨日の通行記録だ。自分で調べろ」と言って俺に渡した。
毎日千人を超える通行者がいるから、記録帳は5冊分もあった。この中から探すのも大変だが、そもそも俺は文字が読めないんだよ…… 仕方なく俺は西門に向かうことにした。
西門の門番は運良く昨日と同じであったので、『ギサ商会が西門を通っていない』ことを確認できた。
~~~~
因みに、王都の門番は、
読み書きできることは勿論、一般衛兵以上の武力と高い記憶力を兼ね備えた者だけが就ける、エリート職である。
~~~~
結局、俺が南門を出たのは、午前8時過ぎだった。
ギサ商会の連中は、昨日の内にカスタットの町に着いているだろう。カスタットの町で追い付けないと、その後どの方向へ向かうか予測できない。
まだ、カスタットの町にいてくれよ。
俺は祈りながら街道を走った。
◇◇◇◇◇
「むっ!?」
【首切り】は、街道から少し離れた岩影から、街道を通る人間を観察していた。
【ギサ商会の調査書】を持っている者を探しているのだった。
街道を通る人や馬車は多いが、ギルドの関係者や冒険者らしき者は、まだ通っていなかった。
そんな中、【首切り】は信じられないスピードで街道を走っていく男を見た。
速い…… もしかすると、私よりも速いかもしれない。
身形からして、その男が冒険者であると見当が付いたが、カスタットの町へ向かっている男がターゲットでないことはわかっている。
しかし、【首切り】は男のことが気になった。
それは純粋な戦闘欲――【首切り】にとって『強者の首を切り裂くこと』は、これ以上ない喜びだった。
弱者の首を切ることでは満たすことのできない渇望が、『あの男』なら満たせるかもしれない―― 殺人狂ならではの欲望が湧いてきたが、今は我慢し任務を優先することにした。
【首切り】はその後も、ひたすら調査書を持った冒険者が通るのを待ち続けた。
そして、正午を過ぎた頃――
アイツは!?
朝に見掛けた冒険者の男が、俯きながら歩いてくる姿が見えた。男の左手は『何か』を包んだ袋を持っている。
間違いない! 奴が持っているのは【調査書】だ!
運の良いことに、今街道には『男』以外に人通りがない。
【首切り】は喜びに打ち震えた。
◇◇◇◇◇
俺がカスタットの町に着くと、町の中は【王都で詐欺を働いた連中が逮捕された】というニュースで持ち切りだった。
捕まえたのが【北天の星】だと聞いて少し複雑な気分だが、これで俺の金が戻ってくると思うと、これ程嬉しいニュースはない!
ギサ商会が騙して集めた金は、今は町の役所で保管されており、王都の治安局に受け取りに来てもらうことになっているそうだ。
今朝早く、ギサ商会の連中の護送を兼ねて、数人の衛兵が馬車で王都へ向かったということだった。
街道でそんな護送馬車とすれ違わなかったが、俺が王都で走り回っている間に王都へ来ていたのだろう。
カスタットの町まで来たことは無駄足になってしまったが、折角だから、ギルドへ行って何か手頃な依頼を受けようと考えた。
カスタット支部は王都支部程ではないが、結構大きな支部で受付が4つある。その内3つには、順番待ちをしている冒険者の姿があったが、1つだけ誰も並んでいない受付があった。
俺は、その『誰も並んでいない受付』に向かった。
「マールさん。どうして支部長のあなたが、受付をしてるんですか?」
「あら! 久しぶりね、バルゴ!」
俺は王都の冒険者ギルドに登録する前に、少しの期間カスタット支部に在籍していたことがあって、支部長のマールさんには、いろいろとお世話になった。
「ちょうど良かったわ! あなたに打って付けの仕事があるんだけど、受けてくれないかしら?」
「俺に打って付けの仕事? 済みませんが、俺は今ソロで活動しているので、魔物の討伐依頼は受けられないんです」
マールさんは、俺を【北天の星】のメンバーだと思っている筈だ。そうすると、依頼は【銀級】パーティー用のものに違いない。
マールさんの頼みなら断りたくはないが、ここは王都のギルドの管轄内―― 今の俺にはソロ用の依頼しか受けることができないのだ。
「知ってるわよ。バルゴ、あなた【北天の星】をクビになったんですってね!」
マールさんが大きな声で話すから、周りの冒険者がこっちを見た。
「あいつが【北天の星】をクビになったバルゴか」
「やっぱり『性格悪そうな顔』してるぜ」
「ああ、如何にも『無能』っぽいな」
くそっ…… 俺を見て笑ってやがる……
「荷物の運搬依頼があるんだけど、受けてくれないかしら?」
「荷物の運搬?」
それ、俺でなくても誰でもできる気がしますが、それが俺に打って付けの仕事?
「実はその荷物── かなり重要な物だから、私自ら依頼を受ける人を探してるんだけど、なかなか適任者がいなくて困っていたのよ」
そうだったのか! それなら俺が引き受けるしかないな!
「わかりました。俺が引き受けましょう」
「本当は、依頼料は安いし、王都まで行くのも面倒だから、誰も行きたがらなくって困ってたんだけどね……」
「ん? マールさん、何か言いましたか?」
「いいえ、助かるわ! じゃあ、ここにサインしてね!」
俺はサインを済ませた後、依頼の説明を受けた。
「この袋を王都支部へ届けるんですか!?」
「そうよ。報酬は王都支部で受け取れるように書簡を渡しておくわ」
昨日「旅に出る」と言って、王都を出ていったばかりなのに、また王都支部に顔を出せば、他の冒険者からバカにされること間違いなしだ……
正直依頼を断りたいが、サインを済ませた後に依頼を断ると【失敗】扱いになって、冒険者としての俺の評価が下がることになる。
俺は泣く泣く荷物を受け取り、カスタット支部を後にした。
・・・・・・
カスタットの町を出て、1時間くらい歩いた頃──
俺は、怪しい気配に気付いた。
そういえば、『行き』のときもこの辺りで『嫌な気』を感じたな……
今この街道に人影はない。気配の方向がハッキリしないことが不気味だ。
魔物? 否、人間だな。
この気配からは純然たる【殺気】を感じる…… 俺を襲う気でいるのは間違いなさそうだ。
しかも、俺に位置を悟らせないとは、かなりの【使い手】だ。
街道に【強盗が出る】という噂は聞いていないが、こんな奴がいるとは王都周辺も物騒になったものだ。
俺は歩くスピードを維持しながら、右手を腰に挿した棍に掛けて警戒する。
シュシュシュシュ……
微かな風切り音が四方から聞こえてきた!?
カンカンカンカン!
俺は瞬間的に棍を伸ばし、全ての風切り音を凪払った。俺を攻撃してきたのは、鋭く長い釘の様な武器だった。
シュシュシュシュ……
カンカンカンカン!
再び風切り音が四方から襲ってきたが、俺はそれらも棍で難なく打ち落とす。
俺を試しているのか?
これまでの攻撃には、本気で俺を殺す意思が込められていなかった……
本命の攻撃は、いつ来る?
待ち構える俺に向かって、次に飛んできたのは黒い球体。
ドーン!
それは俺の目の前で爆発し、俺の視界は黒い煙に包まれた。
来る!
俺は、『殺気の塊』が猛スピードで接近してくるのを感じた。
しゃらくせぇ!
ボッ!
俺は殺気に向かって棍を突く。突きの衝撃波が空気を突き破り、前方の煙が一瞬で霧散する。
手応えなし…… 躱されたか……
と思った瞬間――
ヒュン…… 俺の首筋目掛けて閃光が走った!?
カン! 間一髪、俺はその閃光を棍で受け止め、今度は【神速の突き】で反撃する。
ボーン!!
それも躱されたが、衝撃波が僅かにかすったようだ。
煙が晴れた中に、黒い人影が踞る姿が現れた。
「やる……」
黒装束姿の怪しい奴が呟いた。
「久しぶりだ、私を本気にさせてくれる奴と会ったのは」
うーん…… コイツは本気で危ない奴だ。
片手で相手をするのは、ちょっとキツイかもしれない。
黒装束が何かを投げた。
釘だ!
飛んできた4本の釘を、俺はサイドステップで躱した── と思ったら、釘の軌道が変化して俺を追従してくる。
なるほど! 釘には細い糸が付いていて、それで操っているのか。
だが、この釘は牽制に過ぎない。
俺が全ての釘を打ち払ったとき── 黒装束は俺のすぐ側まで接近していた。しかも、今度は両手に小刀を構えていた!?
ズバッ!
血飛沫が舞い上がった!?