潜入
王都に向かって月明かりの下を疾走する――
ガラガラガラ!
何故俺が、馬車馬さながらに荷車を引かなきゃいけないんだよ!?
「うおっ!? バルゴ、もう少し揺れないように走ってくゲッ!?」
荷車に乗って必死にしがみついているボーズが、舌を噛んだようだが、いい気味だ!
この数時間の間で、俺はボーズに対する尊敬の念がなくなっているから、心の中では『さん』付けするのを止めた。
「ボーズ・さん、舌を噛みたくなければ喋らないことだ!」
このやり取りをここまで何回したことか。
「もう王都が見えてきたから、後少しの辛抱です!」
俺に付いてくると言ったのはいいが、王都まで俺に馬車代わりをさせるとは、どういう了見だ!?
だいたい、ボーズは何のために俺に付いてこようと思ったんだ? 付いてきても、只の足手まといだろ!
俺1人なら30分の道程が、荷車を引かされたせいで1時間も掛かってしまった。
しかも、ボーズの準備待ちで、出発までも予定より1時間も遅れたんだぞ!
「着いたぞ、ボーズ・さん」
「ハアハア…… そ、そうか…… スゲェ速さだな、バルゴ!」
荷車を下りたボーズは、驚いたことにすぐに呼吸を整えていた。
「ほら、やっぱり間に合わなかったでしょ」
東門は閉ざされていた。王都の門が開いている時間は、午前6時から午後10時まで。
俺1人なら十分間に合ったのに、ボーズのせいで間に合わなかった。
「これじゃあ、今日は無理ですね……」
俺としては、今日中には治安局へ行きたかったのだが、ボーズのせいで台無しだ。
「バルゴ、心配するな。俺達は、これから【城壁越え】をするんだ」
「城壁越え!?」
王都を囲う高さ15mの壁を越える気か!? 見つかれば只では済まないぞ!?
城壁越えは重罪で、捕まれば最低でも10年の【強制労働所送り】だ。
「今更、そんなもん怖がってどうする? これから俺らは、治安局に潜入するんだぞ。あいつらに捕まったら、それこそ【強制労働所送り】くらいじゃ済まないぜ」
治安局に【潜入】だと!? ボーズの奴、気でも触れたのか?
「潜入なんてするつもりはないですよ。俺は、治安局の顔見知りに頼んで、ギルドが調べた【ギサ商会の調査書】の内容を教えてもらうつもりですけど」
「教えてもらう── だと!? バルゴ、バカ言ってんじゃねえぞ。治安局の職員にはな【守秘義務】ってのがあって、部外者には一切の情報を洩らさないんだぞ」
そうなのか? カーラなんかは、治安局の知り合いから、しょっちゅう情報をもらっていた気がするんだが……
「まぁ、裏金を渡せば少しは教えて貰えることもあるがな」
裏金!? 治安を守る者がそれでいいのか? と思わなくもないが、『地獄の沙汰も金次第』と言うからな。
俺には渡せる裏金もないし、ボーズの言う通り『潜入して調査書を盗む』以外に方法はないようだ。
そうなると問題は── この高い壁を越えられるかどうかだな。
「この壁、越えられそうですか?」
俺が城壁を見上げながら言うと、
「バルゴ。お前こんな城壁も越えられないのか?」
ボーズは気色の悪い笑みを浮かべながら言い放った。
俺は「あんたが越えられるとは思えないから聞いたんだよ!」と言いたいところをグッと堪える。
「まあ、心配しないで俺に任せておけ。このために準備してきたんだからな」
ボーズはそう言いながら、持ってきた荷物をゴソゴソと漁りだした。
そして、ボーズが取り出したのは
「ロープだ! これを使えば【城壁越え】くらい屁でもないぜ!」
やれやれ。そんなもので越えられると思っているとは…… そのロープを城壁の何処に引っ掛けるつもりだ?
この城壁は特別な材質でできていて、強固な上にツルツルに滑るようになっている。当然、何処にもロープを引っ掛けられるような所はない。
「このロープは、コイツに結んで使うんだ」
ボーズは、今度は弓矢を取り出した。
俺は完全に呆れ果てた。
ボーズはロープを結んだ矢を射るつもりのようが、そんな矢では城壁に穴を穿つことは不可能だ。
「まあ、見ていろ」
俺がボーズの失敗を確信している中、ボーズは矢を射った。
俺は『カン!』と矢が弾かれることを期待したが
ピタッ!
矢が壁に貼り付いた―― だと!?
「驚いたか? 特殊吸盤付きの矢だ。吸盤の吸着力は、俺の体重でも余裕で支えられるんだぜ」
城壁の下に移動したボーズは、スルスルと驚くほどスムーズにロープを上っていく。
身長178cm・体重72kgの俺よりも、1周り大きい体格でありながら、随分と身軽だな。
俺はホンの少し―― 1mm程度だけボーズを見直した。
「バルゴ、次はお前の番だ!」
城壁の上に到達したボーズが、俺に向かってロープを上るように促してきたが、俺にはロープは必要ない。
腰の棍を手に持ち10m程に伸ばすと、助走を付けて棍を地面に打ち付ける。そして、棍のしなりの反動を利用して一気に城壁の上に飛び上がった。
「や、やるな……」
俺の華麗な着地を見て、ボーズは驚いていた。
・・・・・・
「バルゴ、ここからが正念場だぞ」
城壁越えを成功させた俺達は、闇に紛れて治安局の目と鼻の先までやってきた。
正直『取り返しのつかないこと』をしようとしている気もするが、今更後には引けない。
今ギサ商会の手懸りを掴まないことには、俺の全財産が消えてしまうことになる。どんな危険が待っていようとも、それだけは阻止しなくてはならないのだ!
問題は―― 足手まといの存在だ。
「ボーズ・さん。あんたもついてくるつもりなのか?」
「当たり前だ。お前、保管室の場所はわかってるのか?」
保管室とは調査書が保管されている部屋のことだ。
バカにするな! 俺が治安局に何度お世話になったと思ってるんだ!
王都に来た当初、しょっちゅうケンカで捕まっては取り調べを受け、地下の独房にも何度も入れられた。何度も通う内に、治安局の施設内の構造は大体把握してある。
「そうか、場所は知ってるか。だが、保管室からその調査書を探し出せるのか?」
ギルドの調査書がどういうものかは、メイヤから聞いてある。
調査書の表紙には、ギルドの刻印と調査書を提出した日付が書かれているらしい。
文字が読めない俺でも、ギルドの刻印と日付ならわかる。調査書が提出されたのは昨日らしいから、昨日の日付のものを探せばいいだけだ。
「保管庫にはな、過去百年以上に及ぶ数知れない資料が保管されてるんだ。その中から『ギサ商会の調査書』を見つけ出すなんて、素人には不可能だぜ」
何だと? 保管室の中には、そんなに多くの資料が保管されてるのか?
百年前の資料なんて何に使うんだ? 2度と見ることのなさそうなものを、何故大事に保管してるんだよ?
オルガ王国では、半年過ぎた未解決事件は捜査打ち切りになる。だから、資料なんてせいぜい1年分くらいの量だと思っていた。
「どうして、そんなに資料があるんですか?」
「はっきり言って、殆ど見栄だ。俺達はこれだけ多くの事件を調査したんだ── という、連中の自己満足のために残しているんだ」
くそっ! そんな見栄のせいで俺の計画の邪魔をするとは!
「ボーズ・さんは、保管室に詳しいのか?」
「ああ。俺は数年前まで、治安局に何度も通っていたからな。俺なら【ギサ商会の調査書】もすぐに見つけられるぞ」
『治安局に何度も通っていた』だと!?
まさかボーズの奴―― ギルドの支部長だというのに、数年前まで治安局に逮捕されるようなことをしていた、ということなのか?
有り得るな…… さっきの【城壁越え】のことといい、ボーズは【元犯罪者】に違いない。それでいながらギルドの支部長になれたということは―― ギルド幹部の弱みでも握っているのか!?
・・・・・・
俺とボーズは、治安局の施設内に侵入した。
天井裏に入り込んで、目的の【保管室】を目指している。
今俺達の眼下には警備兵の控室があり、2人の警備兵の会話が聞こえてきた。
「ううう…… カーラさんが…… カーラさんが王都を出て行くなんて……」
「泣くなよ、みっともない」
「だって、俺がカーラさんのためにどれだけ尽くしてきたか…… 情報だって、カーラさんには見返りなしで渡していたのに…… それなのに…… ううう……」
「おい、めったなことを言うなよ。お前のことがバレたら、俺までトバッチリ受けるんだからな」
2人共、俺達の存在に全く気付いていない。
それにしても、随分簡単にここまで侵入できたな……
王都の重要設備には、【魔力感知】の魔道具(魔道具の発する魔力線に別の魔力が触れると音と光で知らせる仕掛け)が至る所に設置されている。
当然、治安局の敷地内にも魔道具は設置されている。
そんな場所で少しでも魔法を発動すると、あっという間に警備兵がやってくることになる。
魔力を漏らさない【隠蔽魔法】なら感知されないように思われそうだが、魔力線の流れが不自然に乱れることになり、その場合も魔道具が反応するようになっているから、隠蔽魔法を使っても潜入することは不可能と言えるのだ。
そうなると、『魔法を一切使わない』方法を取る必要がある。
つまり、己の身体能力のみで潜入するしかない!
命懸けの潜入作戦になりそうだ―― と思っていたが、意外なほど呆気なく潜入できた。
敷地内は数人の警備兵が見回りしているが、かなり杜撰な警備だった。侵入者の存在など全く疑っていないようだ。
それもそうか…… 常識で考えて、治安局に賊が押し入るなど有り得ないからな。
金目の物があるわけでもなく、捕まるリスクしかない場所に、態々侵入する者などいる筈がない―― と考えるのは当然だ。
その油断を付いて、俺達は簡単に侵入できたわけだが…… ボーズの奴は、やはり只者ではない。天井裏への侵入経路まで迷いなく進んでいったのだ。
俺はボーズに言いようのない不気味さを感じていた。
・・・・・・
保管室は、警備兵の控室の先にある。
できれば、下にいる警備兵2人には早く何処かへ行ってもらいたいのだが……
「バルゴ、焦るなよ。もうすぐ交代の時間だから、コイツらはすぐに出ていく筈だ」
ボーズは、警備兵の交代時間まで把握しているのか!? 恐ろしい奴……
「交代の時間だ。メソメソしてないで行くぞ」
「ううう…… わかったよ」
2人の警備兵が控室から出ていった。
「次の交代時間は2時間後だ。ここには暫く誰も来ないから、今のうちに保管室に入るぞ」
俺達は急いで保管室に移動し、潜入に成功した。
保管室の中は真っ暗だ。これでは字も見えないな、と思っていると、ボーズがロウソクに火を灯した。
「ここじゃ魔法は使えないからな。この灯りが頼りだ」
保管室の中は―― 棚だらけだ。確かに、これだけの中から目当ての調書を探し出すのは、俺では無理だ。
「ボーズ・さん、本当にこの中から見つけられるのか?」
「心配するな。ギルド関連の調査書は、必ず『あそこ』に置かれているんだ」
そう言って、ボーズが進んだ先には【キルドの刻印】の付いた棚があった。
滅茶苦茶分かりやすいな!
「新しい調査書は一番手前に置かれるのが決まりだ。ほら、コイツが最新の日付だぞ」
俺は、ボーズが手に取った調査書の日付を見る。
「ん? これは4日前の日付ですね。俺が探しているのは昨日の日付の物ですよ」
「そんな筈はない。これより新しいのは見当たらないぞ? ちょっと、コイツの中を見てみるか」
ボーズは4日前の調査書を読みだした。
「確かにコイツは【ギサ商会】に関する調査書じゃないな」
ボーズは顎に手を当て何か考えている。
「もしかすると、【ギサ商会の調査書】の存在自体が隠蔽された可能性があるな。そんなことができる奴といったら……」
・・・・・・
「大丈夫なんですか?」
「こうなったら、絶対に調査書を見つけ出さないと気が済まん!」
まさか、治安局の局長室に潜入することになるとはな……
どうせ、こんな深夜に局長室に人なんかいないだろうし、こうなったら『毒を食らわば皿まで』だ。
ところが、局長室の天井裏に到達したとき、話し声が聞こえてきた。
「大丈夫だろうな?」
「も、勿論です。もうアレはここには置いてありませんので」
「全く厄介だな、ギルドの調査書は…… 簡単に処分することもできんからな」
「そうですね。ですから間違って誰かの目に触れないように、アレはアイツに持たせて、既に王都から脱出済みです」
室内は真っ暗で、話している人物の顔は全く見えない。
「とにかく、【あの方】と商会の関係までは書かれていなかったのだな?」
「はい、それは間違いございません。ギルドの連中も、そこまでは調べられなかったようです」
「そうか…… 他の連中には、ほとぼりが冷めるまで大人しくしているように伝えておく」
「お、お願いします」
そのまま、2人は部屋から出て行った。
今の会話は間違いなく【ギサ商会の調査書】のことだ。どうやら、既に王都から持ち出されたようだ。つまり―― 手懸りがなくなったのか!?
今すぐ2人を追い掛けて締め上げたいところだが、どう考えても今は俺達の方が不利な立場だ。逆に捕まってしまうことになる。
「1人は局長の【ガルベル】で間違いないが、もう1人はわからん…… 聞き覚えのない声だった」
ボーズは局長のことを知っているのか!?
いったいコイツは何者なんだ!?